第25話 逃走経路の交差点

ドスン、とリセルは硬い石畳の上に、背負ったアークもろとも激しく着地した。全身を襲う激痛を無視し、彼女は通路の壁を支えにして立ち上がる。湿った土と古い岩の匂い。ここは地下第二層の極低温空間とは全く異なる、古代の通路だった。


「世界の裏側を知る鍵……能力の源流……」


リセルはドクター・ノアの言葉と、壁に刻まれた古代文字を反芻した。アークの青い骨の傘——【真なる器】の修復方法がこの道の先にある、というノアの言葉は、リセルにとって抗いがたい誘惑だった。しかし、ノアの真意は分からない。彼は解析のために、リセルたちを追っ手との衝突へ意図的に誘導している可能性が高い。


「くそっ、あの学者風情が……!」


リセルは吐き捨てるように呟き、背中のアークの状態を確認した。昏睡状態は続いているが、顔色にわずかな生気が戻っている。この通路の魔力が、アークの回復に作用しているのは確実だった。


「アーク、私たちは利用されているかもしれない。でも、あなたの命を繋ぐために、私は進むわ」


彼女はそう決意したが、時間がない。ノアが警告した通り、通路の奥から急速に接近する機械的な足音と、赤い探査光が壁を滑るように見え始めた。回収部隊だ。


「早すぎるわ! なぜ、この隠された通路をここまで早く!」


リセルは絶望的な焦燥感に駆られた。回収部隊は、都市の地下構造を熟知している。彼らにとって、この通路は「最終追跡経路」に過ぎないのだ。


リセルはアークを背負い直し、走る。通路は迷路のように屈曲しており、視界はすぐに遮られてしまう。彼女は折れた青い傘を杖のように地面に突き、わずかな魔力を絞り出して【真なる器】を操作しようと試みた。しかし、骨の損傷により、魔力流は安定しない。


その時、リセルの脳内に、昏睡中のアークから冷たい解析データが流れ込んできた。


『――観測。通路の屈曲率、零コンマ四。先頭ユニット、五秒後に接触可能』


「五秒!?」


リセルが反射的に振り返るより早く、通路の屈曲した先、壁の真横から、高熱を帯びた赤い光線が放たれた。


キイン!


光線はリセルの頭上、わずか数センチの壁を焼き尽くし、そのまま通路の反対側の壁を貫通した。その貫通痕は、リセルが立っている場所の、正確に心臓の高さだった。


「危ない! 彼らは、私が曲がる位置を完全に予測しているわ!」


回収部隊は、リセルたちが地下深部に逃げ込んだ後も、上空の船影からの観測データと、地下構造のデータを照合し、完全にリセルの行動を先読みしていたのだ。


リセルは身を低くし、一瞬で通路の角を曲がる。追跡者はすぐ背後に迫っていた。


『ターゲット、回避確認。排除フェーズ、続行』


機械的な音声が、リセルのすぐ後ろで響く。彼女はほとんどパニックに陥りそうになったが、そこで第二の脅威の存在を思い出した。術師団の末裔。ノアが警告した、アークの能力を永久封印しようとする者たちだ。


リセルは、走る速度をわずかに緩め、前方の通路に意識を集中させた。回収部隊が背後から迫る中、彼女が逃げてきた方向とは逆、都市の深部へと続く通路の奥から、違和感を覚える『何か』が接近していた。


それは、機械的な音とは違う、静かで冷たい魔力の『流れ』だった。


「……来たわね。回収部隊だけじゃない」


リセルが足を止めた、その場所は、通路が二股に分かれる交差点だった。


左の通路は、壁に亀裂が入り、今にも崩れそうなほど不安定だ。回収部隊の放った熱線が、この通路の構造を一時的に不安定化させたのだろう。


右の通路は、一見すると安定しているが、内部に極めて微細な、しかし確実に『制御された』魔力の流れが漂っていた。まるで獲物を捕らえるための、目に見えない『鎖』が張り巡らされているようだった。


リセルはアークの【真なる器】を握りしめた。どちらを選んでも、待ち受けているのは罠だ。回収部隊は間違いなく、崩壊寸前の左の通路を通って、リセルたちを待ち伏せているだろう。


その時、アークの無意識の観測が、リセルに二つの情報を送った。


『――観測。左の通路。熱量の残渣、臨界点。崩壊は、三秒以内』

『――観測。右の通路。魔力流、定着。回避不能の、拘束術式(ホールド・ロック)』


左へ行けば、回収部隊と崩壊に巻き込まれる。右へ行けば、術師団の放った拘束術式に捕まる。リセルは息を飲んだ。


「三秒……待って、左の通路の崩壊が三秒以内なら、回収部隊も巻き込まれる可能性がある……!」


リセルは一瞬、回収部隊を罠にかけることを考えたが、その前に術師団の拘束術式がアークを捕らえる可能性が高い。


彼女が逡巡した直後、背後の屈曲部から、三体の回収部隊の赤い装甲が、壁に反射して見え始めた。彼らは、リセルがどちらへ逃げても対応できる、完璧な三角陣形で接近してきていた。


「もう……逃げ場がない!」


その時、右の通路に仕掛けられていた拘束術式が、リセルとアークの存在を察知したのか、青白い魔力の鎖を、通路の天井と床から、音もなく垂らし始めた。鎖は、触れたものの魔力を強制的に封印する、古代の強力な術式だ。


「術師団の末裔が、本当にアークの能力を永久封印しようとしている……!」


リセルは、回収部隊の熱線と、術師団の鎖という、三つ巴の挟撃に挟まれた。


彼女が反射的にアークを庇って身を固めた、その瞬間、二股に分かれた通路の、真ん中の壁。古代文字が刻まれたその壁が、ドクン、と不気味な心音を立てた。そして、壁の一部が、まるでゼリーのように液体化し、その奥に、黒く、深い、新たな亀裂が静かに開いた。


『鍵』の通路が、極限の危機に瀕したアークの無意識の能力発動によって、さらに奥へと繋がる**『第零通路(ゼロ・パス)』**を開いたのだ。


だが、その通路の亀裂が開いた瞬間、通路の奥(都市の深部)から、冷たい、権威的な男の声が響いた。


「――逃走経路を辿る異物よ。そこで止まれ。我々、古代の術師団が、その虚飾の力を永久に封印する」


声と共に、亀裂の奥から、象牙色の杖を持ち、古代の術師団の装束を纏った、三人の精鋭が姿を現した。彼らの背後には、彼らのリーダーである、厳格な眼差しを持つ一人の男が立っていた。


回収部隊が赤い光線を収束させる。術師団の鎖がリセルへと迫る。そして、リセルとアークの目の前には、能力の暴走によって開いた、新たな漆黒の亀裂。


リセルは、亀裂の奥に目を向けた。その闇の先から、強く、強く、アークの傘が求める『魔力の鼓動』が、もはや隠しきれないほどの音量で響き渡っていた。それは、アークの力の「源流」だった。


「この亀裂に飛び込めば、追跡を断てる……! だけど、この力の源流に触れることは、一体何を意味するの……?」


リセルは一瞬の判断を迫られていた。目の前には三つの脅威が待ち構えており、背中には、アークの能力の真価を巡る、世界の秘密が詰まっている。

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