第21話 極低温の観測と回収部隊の刃

ドスン、と乾いた着地音を最後に、リセルは凍えるような冷たさに全身を包まれた。彼女が落下した黒曜石の岩盤は、古代の術式で隠されていた空間だった。周囲に充満する極低温の残渣魔力が、背中のアークが持つ青い骨の傘——【真なる器】に吸い込まれていくのを感じる。


「これで、アークの魔力は回復に向かうわ」


リセルは安堵しようとしたが、その思考は即座に打ち消された。この空間が外部勢力の「観測網の最深部」であるという解析結果は、リセルの冷徹な戦略脳に警鐘を鳴らしていた。


その瞬間、頭上の縦穴から、三本の探査光がリセルの居場所を正確に捉える。回収部隊だ。彼らは信じられない速度で、壁を蹴る音もなく滑り降りてきた。彼らの全身を覆う機械装甲は、この極低温の環境下で青白く輝き、彼らの優位性を誇示していた。


「ターゲット座標固定。回収フェーズ、続行」


機械的な音声が、リセルに直接語りかけるように響く。三体の回収部隊は横一列に展開し、それぞれが腕部に装着された兵器をリセルとアークに向けて収束させた。


「やらせないわ!」


リセルは即座に反応した。彼女はアークを岩盤のひび割れに隠し、自身は前に躍り出ると、彼に背負わせてもらったままの『真なる器』の傘を、まるで盾のように構えた。


一斉に、回収部隊から細く鋭い青い光線が放たれた。それは通常のレーザーとは違い、極低温の魔力を圧縮したエネルギーの刃だ。


リセルは反射的に傘を「展開(デプロイ)」させる。ごく微細な魔力の流れを操る【虚飾の展開者】の応用だ。彼女が狙ったのは、光線そのものではなく、光線の周囲を流れる微細な魔力の揺らぎだった。


「風脈の干渉! ほんの少し、軌道を逸らせ!」


キンッ、という金属的な甲高い音が空間を震わせた。三本の光線はアークの傘の操作によってわずかに軌道を逸らされ、リセルの左右の壁に激突する。岩盤が爆ぜ、冷たい岩屑がリセルを襲った。


「くっ……! 三方向同時攻撃に対応しきれないわ!」


回収部隊は感情を持たないため、リセルの回避行動に動揺一つしない。彼らはすぐに体勢を立て直し、今度は間隔を詰めて、より収束度の高い攻撃を連続して放ち始めた。


リセルは絶望的な状況に追い込まれていた。彼女の魔力は、アークの傘の応用(真なる器の能力)を使用するたびに急速に消耗する。この狭い空間では逃げ場がない。


その時、リセルの脳内に、再び冷たい解析データが流れ込んできた。


『――観測。パターン・固定。攻撃開始から終了までの、エネルギー収束、零コンマ七秒。回避軌道、右三度』


昏睡しているはずのアークから送られた、驚くほど精密なデータだった。彼の【虚飾の展開者】は、周囲のエネルギー流を観測し、敵の行動パターンさえも解析し続けているのだ。


「右三度!」


リセルはアークの指示に従い、次の攻撃が収束し始める直前に傘の角度を調整し、同時に体を右へ大きく捻った。


次の青い光線は、リセルの頭上を掠め、先ほど光線がぶつかった場所の真横、すでに熱を帯びた岩盤に着弾した。エネルギーの干渉により、着弾地点で小さな爆発が起こり、岩屑が周囲に飛び散る。


「これよ! アークの観測があるなら、まだ戦える!」リセルは確信した。「あなたは、まるで私だけの精密な管制塔ね!」


回収部隊の三体は、ターゲットの回避と反撃にデータを更新した。


『障害物:リセル・フローレンスの干渉。干渉率、極めて微細だが、許容範囲を超過。行動パターンを、排除(エリミネート)へ変更』


彼らはアークを回収する「フェーズ」から、リセルを排除する「戦闘」へと、即座に目標を切り替えた。


回収部隊の一体が、リセルへ向けて突進を開始した。その腕部が変形し、圧縮された極低温魔力の刃が長く伸びる。近接戦闘による確実な排除の意図だ。


「馬鹿な……接近戦を仕掛けてくるなんて!」


リセルは驚愕した。残りの二体は遠距離から精密なエネルギー光線を放ち、リセルの逃げ道を塞ぐ。これは、アークの観測による回避を封じる、完璧な連携だった。


巨大な魔力の刃がリセルの頭上を覆った瞬間、リセルは背中に負ったアークの傘を、刃の魔力流が最も凝縮する一点めがけて、思い切り押しつけた。


「頼むわ、アーク!」


傘の青い骨が閃光を放ち、リセルの全魔力が吸い込まれていく。直後、回収部隊の魔力の刃は、先端からミクロの粉砕音を立てながら、急速に「消失」し始めた。


これは、アークの能力が持つ『局所的な現実改変(リアリティ・シフト)』の片鱗だった。


回収部隊は一瞬動きを止めた。彼らのシステムが、未知の現象を認識したのだ。


『警告。ターゲット能力:現象の改変を確認。回収優先度Sから、討伐優先度SSへ引き上げ。全ユニット、殲滅モードへ移行せよ』


三体の回収部隊は、青い光を放っていた兵装を一斉に赤く変色させた。それは、彼らがリセルとアークを、もはや生かしてはおけない、制御不能な脅威と見なした証だった。周囲の極低温の魔力が、回収部隊の全身に引き寄せられ、彼らの装甲を覆う赤い光をさらに強烈なものに変えていく。


リセルの目の前で、三体の回収部隊が巨大な熱量と圧力を帯びた赤い光を、アークの隠れている岩盤めがけて放とうとした。


「間に合わない!」


リセルは叫んだ。彼女の体は魔力枯渇の極限にあり、もう傘を「展開」させる力は残されていなかった。


その時、岩盤の奥から、規則的な魔力の『鼓動』が響き始めた。それはまるで、アークの傘が求めていた「心臓」の音のようだった。そして、赤い光線が発射される直前、リセルの真下、黒曜石の岩盤に、突然、巨大な『亀裂』が走った。


それは、アークの無意識の能力発動による、空間の崩壊だった。亀裂の奥から、さらに冷たく、濃密な魔力の波が吹き上がり、回収部隊の収束する赤い光を、わずかに乱した。


「この亀裂……この先に、アークが求めていたものがある!」リセルは確信し、その亀裂へと飛び込もうとした。


しかし、回収部隊の三体は、亀裂への逃走を許さなかった。一斉に放たれた赤い熱量の攻撃が、亀裂の縁を焼き尽くすように収束する。リセルは亀裂に飛び込む寸前で、その熱波に弾き飛ばされた。


彼女が着地した場所は、岩盤の隅、古代の金属製の円盤の真横だった。円盤は赤熱し、激しく振動している。そして、その円盤の向こう側、濃密な霧の向こうから、別の何かが、この地下空間に侵入してくる、重く鈍い音が響き始めた。


この地下は、まだ他の生命体が隠れている。


「まさか……まだ、何かが来るの!?」リセルは焦燥した。


回収部隊の攻撃は止まらない。彼らは亀裂から逃走を試みるリセルを完全に排除しようと、次なる一撃を収束させ始めた。

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