12.実験結果
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
部屋は静かで、昨夜の雨の湿気がまだ残っている。
凪沙は隣で穏やかに眠っていた。
その寝顔を見つめながら、
蓮はそっと布団を抜け出した。
昨夜、寝る前に――
彼は三つのカメラを仕掛けていた。
キッチン、玄関、寝室。
自分が眠っている間に何かしていないか。
夢遊病なのか、それとも別の“何か”なのか。
“確かめるための実験”だった。
録画ランプを確認し、
凪沙が起きる前に三台すべてを取り外す。
カメラを鞄にしまい、
何事もなかったように寝室へ戻った。
***
「おはよう。早いね」
キッチンから、凪沙の声がした。
髪をまとめ、エプロンをつけている。
「昨日、遅かったのに大丈夫?」
「まぁ、なんとか。今日も会議あるし」
「そっか。朝ごはん作っといた」
テーブルに置かれたトーストと目玉焼き。
透明なコップの水が、朝日に光っていた。
「いってらっしゃい」
「うん、ありがとう」
午前8時。
いつもと変わらない朝。
蓮は鞄を手に家を出た。
***
午前8時30分。
住宅街のスーパー裏のゴミ捨て場。
開店前の静かな時間。
収集作業員が、積まれた袋を一つずつ持ち上げていた。
その中の一つ――異様に重い袋があった。
持ち上げた瞬間、ぬるりとした液体が足元に垂れる。
「……なんだ、これ」
恐る恐る袋の口を裂くと、
鼻を突く腐臭とともに血のような赤黒い液体が溢れ出た。
袋の中には、女が仰向けで折り曲げられるように押し込まれていた。
服は泥と汚れで染まり、
腹部が深く裂かれている。
その裂け目には、生ゴミや腐った野菜くずが詰められていた。
「……っ、嘘だろ……!」
作業員の悲鳴が、
静かな住宅街に響き渡った。
***
そのころ、蓮は出勤途中の車の中。
ラジオから流れるアナウンサーの声が変わる。
『――速報です。市内のスーパー裏のゴミ捨て場で女性の遺体が発見されました。
遺体の腹部には生ゴミが詰められており、警察は殺人事件として捜査を開始しました。
被害者は、朝倉有紗さん(二十六)。』
ハンドルを握る手が止まった。
「……有紗……?」
昨夜の帰り道。
街灯の下で笑っていた彼女の顔が浮かぶ。
「夜道ひとりも退屈だし」と言って並んで歩いた声が、
耳の奥で蘇る。
心臓が強く跳ねた。
「嘘だろ……昨日、あんなに普通だったのに……」
信号が青に変わっても、足はアクセルに届かなかった。
***
会社に着くと、胸の奥がざらつくような違和感を覚えた。
昨日の夜、仕掛けたカメラの映像。
――確認しなければ。
朝のざわめきを避け、
トイレの個室に入る。
鍵をかけ、鞄を開く。
手が汗で湿っていた。
録画データを再生する。
リビングの映像。
夕食のテーブル。
凪沙がキッチンで料理をしている。
彼女は棚の下から小さな袋を取り出した。
白い粉をつまみ、
水の入ったコップにそっと落とす。
スプーンで一度だけ、静かに混ぜた。
粉が溶け、透明な水面に薄い濁りが広がる。
凪沙はためらいもなく、そのコップを自分の席に戻した。
映像の中の自分は、
何も知らずにそれを口にしている。
軽く笑い、
何かを話して、
やがて欠伸をして立ち上がる。
映像が切り替わる。
玄関。
凪沙が白いワンピースを羽織り、
ドアノブに手をかける。
外灯の光が、
その頬を一瞬だけ照らした。
傘を持ち。
白い布がふわりと揺れ、やがて闇に溶ける。
蓮は画面を見つめたまま動けなかった。
胃の奥がぎゅっと縮む。
息が浅くなり、
何かが逆流してくる。
「うっ……」
トイレの便器に身を乗り出し、
激しく嘔吐した。
胃液の混じった吐瀉物が視界を歪め、
ふと、それが何かの残飯のように見えた。
青臭い生ゴミ、
濡れたキャベツの葉、
魚の骨。
――腹部に、生ゴミが詰められていた。
誰かの声が、
耳の奥で囁く。
『ニュースで言ってたよ。朝倉有紗、腹を裂かれて、生ゴミを詰められてたんだって』
「やめろ……」
頭を振っても、声は消えない。
息が荒くなり、
便器の中の吐瀉物が蠢いて見えた。
「やめろ……違う、俺じゃない……」
鏡に映る自分が笑っていた。
冷たく、感情のない顔。
――“あなたを傷つける人は、もういないよ。”
その声が、
凪沙の声だと気づいた瞬間、
視界が真っ白に弾けた。
世界が、
音を失った。
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