5.有紗2

朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

ぼんやりとした明るさが部屋を照らす。


隣を見ても、結城の姿はない。

いつの間にか出ていったのだろう。


テーブルの上には、飲みかけのコーヒーのカップと、

読みかけの新聞が広げられている。

見出しには、“若い女性 行方不明”の文字。


有紗は髪をかき上げ、深く息をついた。


この数ヶ月、

結城はほとんど家にいなかった。

「仕事だから仕方ない」と自分に言い聞かせても、

その言葉が胸の中でどこか空虚に響く。


話したいことはたくさんあるのに、

口に出す前に、いつも疲れた彼の背中が浮かぶ。

そして何も言えず、

溜め息だけが残った。


「昨日のうちに出しときゃよかったな……」


小さく呟きながら、

床に置かれたゴミ袋を手に取る。


結城に言われた“片付けろ”という一言が、

今も胸の奥に引っかかっていた。

ただの生活の一コマのはずなのに、

どこか心の距離を象徴しているようで。


外に出ると、空気はひんやりとしていた。

夜の湿り気がまだ残っている。

マンションの外壁に朝日が反射し、

淡く光っているのが妙に眩しく感じた。


階段を下りる途中、

有紗はふと、

自分が「誰かに見られている」ような気がした。

振り返っても、そこには誰もいない。


ゴミ捨て場には、すでに誰かがいた。

男が片手でペットボトルをまとめ、軽くため息をついていた。


「あ、すみません……置いちゃって大丈夫ですか?」


男が顔を上げる。


「ああ、大丈夫ですよ。瓶と缶、分かれてます」


声が柔らかかった。

近くで見ると、清潔感のある穏やかな顔立ち。

朝の光に髪が透けるように見える。


「ありがとうございます。助かりました」


「いえ。早いですね」

「んー……寝坊して出し忘れただけです」


有紗が笑うと、男も少し照れたように笑った。


「あ、俺、隣の棟に住んでるんです。蓮っていいます」

「あ、有紗です。……お隣さんだったんだ」


その名前に、有紗の胸がかすかにざわついた。

どこかで聞いたことがある気がする。

けれど思い出せない。


「じゃあ、また」


軽く会釈して去っていく蓮の背中。

その歩き方が、なぜか目に残った。


有紗は自分の胸の鼓動を抑えるように深呼吸し、

ゴミ袋をそっと置いた。


朝の空気の中で、

微かに柔軟剤の匂いが残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る