緋色の瞳 part2

 第一訓練場は、エルファンド魔導女学院に数ある施設の中でも、特別な空気を帯びた場所だった。


 校舎群の奥に独立して建つドーム型の闘技場。その中心には直径五十メートルのリングが広がり、すり鉢状の観客席が取り囲んでいる。

 街中には決してないその光景は、どこか異界を切り取ったかのようで、踏み入っただけで胸が強張った。


 リングはそれ自体が巨大な魔導具だ。観客席とは領域魔法による結界で完全に隔てられている。

 紫光の幕が淡く円環を描き、流れ弾も決してこちらには届かない――そう分かっていても、クルーエルは無意識に息を詰めていた。


 ラキシュと並んで観客席に腰掛け、リングを見下ろす。張り詰めた空気に包まれ、吐く息すら白んで見えそうだった。


(本当に……やるんだ)


 昨日まで夢にも思わなかった光景が、いま眼下に広がっている。

 チーム・アスタロトの未来を巡って、臨時講師のネイトと、仲間であるオルトリンデが真正面からぶつかろうとしているのだ。


 リング中央には二人の少女が向き合っていた。


 一人は黒衣の魔導師――ネイト・エインズワース。

 身の丈ほどの杖を静かに立て、淡々と視線を相手に注ぐ。


 もう一人はオルトリンデ・ダーレスブルグ。

 小柄ながら、長大な大剣をリングに立て、足を開いて仁王立ちする姿は、威風そのものだった。


 二人の間には三名の立会人たち。グラディス、エルヴィラ、そして養護教諭のモニカ・マルブランシュ――学院の三人の教師が揃い、これが正式な魔法儀式であることを示している。


「まずは武器の確認を」


 鋼のような声が場を切り裂いた。グラディスだ。


 背筋を伸ばし、リング上でオルトリンデの大剣を受け取る。

 刃先を光にかざし、指でなぞる。


「……刃引き済み、問題なし」


 低く呟き、剣を返す。その所作のひとつひとつが厳格で、観客席から見ているだけでも背筋が伸びた。


 続いて、視線が黒衣の少女へと向けられる。


「武装は?」


「杖だけです」


 ネイトは短く答え、手にした長杖を掲げて見せた。

 金具も刃も付いていない、古風な魔導師の杖はつどうたい


 グラディスは一瞥ののち頷き、審判者としての威厳を漂わせる。


「では、ルールを確認する。両者、耳を傾けよ」


 青の瞳が二人を鋭く射抜く。


「第一。十カウントダウンで戦闘不能とみなす」


 二人は身じろぎもせず、グラディスの声と視線を受け止める。


「第二。降伏宣言があった場合、即時終了とする」


 一拍を置き、


「第三。発動体を除く魔導具の持ち込みは禁じる。己の心技体のみを用いよ」


 言葉が、床に反響して場を満たした。


「以上を遵守し、互いに挑め。違反があれば、その場で無効とする」


「承知しました」


 ネイトが即答し、オルトリンデもわずかに顎を引いた。


 次に進み出たのは、白衣を羽織った女性、モニカだった。


 だらしなく肩にかかったブロンドは寝癖で跳ね、皺くちゃな白衣のポケットからは包帯や薬瓶が覗いている。

 どう見ても厳粛な場に似つかわしくない姿だが、本人は気にした様子もなく片手を上げた。


「どもども~。養護教員のモニカ先生や。今日は救護役いうことで呼ばれとるさかい、よろしゅうな」


 にやりと笑い、「まあ、死なへん限りは何とかしたる」と南方訛りで軽口を叩く。


 ラキシュがぶるりと肩を震わせるのを、クルーエルは横目に見た。

 和ませようとしているのか、それともただの性格か――どちらにせよ、あの調子でも腕は確かだと聞いている。


「モニカ先生、もう少し真面目に」


 グラディスが小言をぶつけるが、当人は「はいはい」と肩を竦めるだけだった。


 場の空気を改めて引き締めたのは、学院長エルヴィラだった。


 老婆は一歩進み出、闘士二人を交互に見やり、穏やかながらも厳かな声音で告げる。


「――では、これより誓約を刻みます」


 観客席で、クルーエルは息を呑んだ。


 誓約刻印ギアスシール。高位の心魂魔法であり、対象に絶対の遵守を強いる術。

 講義で学んだ内容が脳裏に蘇る。


(精神領域に描かれた術式は、条件が満たされた瞬間、対象自身の霊脈から魔力を吸い上げて発動する。施術には接触や同意が必須になるけど……だからこそ抗えない。強制力は絶大)


 犯罪者の拘束や刑罰に用いられることもある、恐るべき魔法。

 だが同時に、公正を保証するためには欠かせない術だ。


 エルヴィラは両者に視線を注ぎ、誓約の内容を一つずつ確認していった。


 ――殺傷を禁ずる

 ――臓器の破壊、脳損傷など、致命的な負傷を課すことを禁ずる

 ――ネイト・エインズワース。敗北した場合、チーム・アスタロトへの教導を禁ずる

 ――オルトリンデ・ダーレスブルグ。敗北した場合、ネイト・エインズワースによる教導を受諾する

 ――誓いを違えし時、印は眠りの縛鎖とならん

 ――汝ら、これを受け入れるか


 言葉が場を支配する。

 二人は真剣な眼差しでそれを受け止め、声を揃えて応じた。


「「誓います」」


 その響きが壁に反響し、訓練場全体を震わせた。


 エルヴィラが頷き、二人の手の甲へと指を差し向ける。


 淡い光が走り、幾何学模様の刻印が浮かび上がった。禍々しさはなく、むしろ荘厳な紋様。

 それぞれに描かれた紋は、誓約を要約し象徴する形。一瞬だけ強く輝き、やがて皮膚に焼き付くように沈んでいく。


 観客席からはっきりと見えるその光景に、クルーエルの背筋が粟立った。


(これで、もう逃げられない)


 誓いは呪となり、抗いようのない鎖となる。二人は後戻りできなくなったのだ。


 やがて、両者は静かに距離を取った。

 二十メートルほどの間を空け、立ち止まる。


 オルトリンデは大剣を肩に担ぎ、重々しい音を響かせて一振り。

 ネイトは杖を前に掲げ、微動だにせず相手を見据える。


 緊張が極限に達し、観客席の空気すら張り裂けそうだった。


 エルヴィラとモニカもまた、リングの縁まで後退。

 ただ一人中央に残った主審グラディスが、深く息を吸い込む。


 厳格な声音が、場を支配した。


「――今ここに、誓いは果たされた。正しき法と掟の下に、決闘ドゥエルムを執り行うことを宣する!」


 告げられた言葉はまさに祝詞。

 訓練場に響き渡るそれに、クルーエルは息を呑んだ。


「立会人、グラディス・グランヴィルがこの一戦を見届けん!」


 声が重なり、場に更なる重圧を与える。


「両者、構え!」


 オルトリンデが大剣を振り下ろすように正眼に構え、ネイトが杖を静かに傾ける。


 両者の視線が交わされ、息遣いさえも等しくなっていく。


 そして――


「――決闘開始ドゥエルム・イニティウム!」


 宣告が高らかに響いた瞬間、場の空気が爆ぜた。

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