第4話 彼らの目的

 潮鳴り小路は、その名のとおり潮の音が近い。濡れた石の匂いと、灯籠の油が混じって、夜の喉の奥に薄い苦さを残す。赤い灯りが、路地の曲がり角で風に揺れた。



「ここやな」



 サソリは足を止め、路地の突き当たりにある木戸。裏倉庫への抜け道を指で示す。木戸の隙間からは、乾いた笑いと、布袋の擦れる音。中にいる。



「兄貴、外の見張りは三人。右の小指、鳴らしました」



 ゴンザレスが、低く囁く。賭場の癖。目印の合図。報告の途中で、彼は自分の右手を見て、そっと握り直した。



「ええ合図や。ほな、ゴンザレス。あの二人、静かに寝かしたって」

「了解です」



 巨体が、影の中に溶けた。


 二歩、三歩。踏み石の軋みすら殺す足運び。最初の見張りの背後に立つや、片手で口、片手で肘。肩を回し、体重をずらして、音もなく地面へ。



 見た目通りに荒事に秀でた強さを発揮するゴンザレス。



 次の一人は腰を捻って壁に押し当て、喉を軽く圧して意識を刈り取る。短い息と短い夢だけ、置いていく。



「ルゥ」

「準備完了なのです」



 屋根の縁、雨樋の影から、ルゥが顔を出した。


 彼女の指に挟まれた小紙包みには、青いしるし記霧きむ


 小部屋一つをやわく曇らせ、光と距離感を狂わせる霧。



「合図で、窓から一枚。深呼吸するんやないで」

「了解なのです」



 サソリは木戸の前に歩み出て、軽く二度、コツ、コツと叩いた。中が静まる。視線が集まる音が、扉越しに伝わってくる。



「どちらさんや」



 内側から声。粗野だが、怯えはない。これが顔か。



「王都筋の紹介や。禁制、ええモン混ぜてると聞いたんで、味見に来たんやが」



 間を置いて、閂が外れる音。木戸が開く。狭い土間。麻袋が山と積まれ、手前で二人が札を数える。



 奥には混ぜ場。



 大鉢、木杓、薄い灰の粉。男たちの目が、サソリの白衣に一瞬だけ止まり、すぐ獣の目に戻る。



「味見は要らん。金だけ置いて、とっとと――」



 男が言い切る前に、サソリは微笑んで、右の小指を軽く鳴らした。男の眼に、わずかな反射。癖が、鏡に映る。



「賭場帰りは、つい鳴らしてまうんやな」



 空気が、硬くなる。奥の混ぜ場にいる一人。年嵩で、顔の皮膚が薄いが、肩で合図をした。引き金の音が、乾く。



「今」



 ルゥの声。窓枠から、青印の包みがすべり込む。ぱん、と小さな音。



 霧が花粉みたいにひろがって、灯りの輪郭をほつれさせる。男たちの瞳孔がわずかに開き、距離の感覚が一歩、ずれる。


 

 軽業師のように、身軽に敵を圧倒するルゥの動きは、暗闇では捉えることは難しい。



 同時に、ゴンザレスが入った。



 壁をなめるように進み、最前の一人を床に縫い付け、肘を決める。悲鳴が上がるより早く、奥の一人に身を躱して接近。体を寄せ、腰を落とし、頸の根っこを引いて沈める。大鉢がごろりと転がり、灰の粉が霧に混ざって薄く舞った。



「動くな。動いたら、肺が泣く」



 サソリの声は柔らかい。だが霧の中で、その声だけがはっきり届く。彼は白衣の胸元から、白い封蝋の小瓶を取り出した。



「オレは毒師サソリいいます」

「さっ、サソリだと! 禁制ポーションを作った奴か!」

「知ってくれてましたか、やったら話が早いな。質問に答えたら、これは使わん。ええ嘘をつけるかどうか、試すだけや」



 奥の年嵩の男。おそらくここでの頭目が咳き込みながら、笑おうとした。



「誰が……誰が、あんたなんかに、喋るかよ」

「そうか。ほな、一個めや」



 サソリは瓶を軽く振り、霧の縁に指で薄く円を描く。気配が、喉の奥の筋だけにぴたりと張りつく。言葉の滑りが、一瞬止まる。



「港倉庫三十六番。王都の使いは誰や。印はどこで彫っとる」



 頭目が歯を食いしばる。口が開く、閉じる。声が出ない。横で札を数えていた若いのが、懐から短い刃を抜いて飛びかかった。



「サソリの兄貴!」



 ゴンザレスの腕が動くより早く、ルゥの指が影からきらりと光った。



 細い針。空気が鳴り、針は若者の耳朶にふれて、肌の上で破裂する微粒の白。白睡しろねむ


 若者の瞼がとろんと下がり、膝が折れ、刃だけが遅れて落ちる。



「無効化、なのです」



 ルゥは窓辺でにっこり笑った。翡翠が、霧の中で小さく瞬く。


 頭目が目だけで彼女を見、今度は後ろの棚に手を伸ばした。木箱の中に、小さな火打石。角を擦る音。火が走る。



 ゴンザレスが踏み込む。足裏で木箱を押し戻し、腕ごと掴んで床に叩きつけた。骨は折らない。だが指は開かせる。火花が暗い土間に流れ、霧に飲まれて消えた。



「サソリの兄貴、押さえました」

「ええ子や」



 サソリは頭目の横にしゃがみ込む。顔を覗き込む距離で、目を細める。男の汗が、霧の粒を弾いて頬を滑る。小指が……震えた。



「二個めいくで」



 サソリは《口封》を引き、代わりに黒い封蝋の長瓶を取り出した。《記霧》。記憶の端をほどく、きわどい霧。瓶口を開け、指で一滴だけ額に置く。



「お前が使っとる印師の顔、思い出してみ。名前は言わんでええ。顔の傷の位置だけでええ」



 頭目の眼が、霧の揺れに乗って遠くなる。抵抗の筋肉がほどけ、視線が宙に泳ぐ。喉の奥が、ひゅうと鳴る。



「……左……目じり……火傷……」

「よろしい」



 サソリは微笑む。問いは続く。彫り板の隠し場所、港の誰が目をつむっているか、金の流れる器の名前。答えは短く、必要な分だけ。黒い霧が、必要な記憶だけを撫でて引き出す。残りは手を触れない。


 床で呻く若者が、朦朧としながらもう一度立ち上がろうとした。ルゥが首をかしげ、二本目の針を指に挟む。



「もう一回、寝んねなのです」



 針が、今度は衣の縁に当たり、粉が薄い膜になって肩から滑り落ちる。若者は呆気ないほど静かに眠った。ルゥは窓枠に頬杖をつき、足をぶらぶらさせる。



「先生。眠り薬は、優しいのです」

「せやな。優しさは、時に一番きつい」



 サソリは立ち上がり、混ぜ場の大鉢を検める。


 灰に混ぜられた粉……鉱物の切り粉、薄い甘味、色止め。禁制の名だけ借りた、出来損ない。客を殺すには充分、助けるには程遠い。



「こんなもんで、よう王都筋を名乗ったな」



 彼は袖をまくり、調合棚の最上段。


 刻印板が隠されそうな厚板に指を滑らせた。節の陰に爪を入れる。薄い板が持ち上がり、中から鉛の薄板と、古い印刀が二本。



「出たで。ルゥ」

「はいなのです」



 ルゥは軽やかに屋根から降り、印刀を受け取る。刀身に走る細工は粗い。だが、街の入口で疑いをすり抜けるには十分な紛い物を作れる。



「これ、どうするのです?」

「潰す。禁制ポーションはオレの専売特許や。それを犯そうとする奴は潰す。何よりも毒と薬は使いようなんや。こいつらみたいに正しい用法用量をしらんやつに使われたくないからな」



 サソリは鉛板を床に置き、真鍮の天秤のおもりを上に乗せる。ゆっくりと体重をかけ、鳴った金属音を霧が飲む。王都の紋の偽物が、形を失って柔らかい傷になる。



「ゴンザレス。帳場、荷札、客の符号。全部押さえとけ。流れを逆にたどるで」

「はい、サソリの兄貴」



 巨体は、驚くほど繊細に紙束を集め、紐でまとめる。落としそうになるたび、指先でそっと支えた。優しく、を覚えた手だ。


 頭目が低く唸った。まだ目の奥に、歯を食いしばる光。サソリは彼に視線を落とす。



「最後にひとつだけ。誰の指図や」



 男は黙る。小指が、また微かに震えた。嘘をつく前の癖。



「……あの人の名前を出したら、俺は」

「死ぬ、か」



 サソリは頷き、視線を外す。そのまま男の肩口に手を当て、静かに押す。黒い霧が、そこで薄まる。



「そうか、なら勝手に探させてもらうわ。お前らは人の道を外した。仁義に反する奴は許さへんよ」



 サソリは、《忘却》の薬をばら撒いた。



 彼らは全てを忘れる。使いっ走りを殺して回ることはない。


 裏切り者は許さへんけど、こいつらを生かして置くことで、その奥におるやつが顔を出す。



「帰るで」

「はいなのです!」

「あとは情報を集めます」

「頼むわ。薬は正しく使わんとな。腹減ったから、帰ったら粥でも作ろう」

「食べるのです!」

「自分で作れよ」

 


 サソリは、己が悪を理解する。けれど、人の道を踏み外さない。


 

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