第9話 働けない理由か…
「純平くんこんにちは。あれから落ち着いたかな?」
霧島はいつもと変わらぬ笑顔で純平に向き合った。
「ウン。最近はアンチのハガキも来ないから少し眠れてるだで。」
龍を一瞥するとやはり煮えきらない顔をしている。そりゃそうだろう。一度郵便物は地域包括支援センターに回され批判ハガキは全て廃棄している。アンチからの苦情もかかってきているためそのまま捨てて終わりではいけないだろう。
「それはよかったよ。ところであれからはネットでトラブルになったりはしてない?今も心配してる声届くからさ。」
自己愛性パーソナリティ障害者は「批判」に過敏な反応を示す。だから悪事について話すときも責任を問いただすのではなく「あなたを心配してる」とやんわり伝えるのだ。
「大丈夫だで、そいつらアンチやから」
…この対処法が教科書通りなのだが果たして正解なのか疑問に思うばかりである。
しかし暇な時間が減れば悪事をすることも考えなくなるだろう。霧島は純平に向き合って本題を切り出した。
「純平くん、作業所にいってみないかな?」
純平の顔がみるみるうちに青ざめていくのがよくわかった。手は冷や汗でダラダラで貧乏ゆすりも目立つ。明らかに嫌がっているようだ。
「イヤッ…オラ療養中やし…」
「といっても少しずつやってくのも治療だからさ。最近体調も良くなってるみたいだけど働けない理由なにかある?」
「働けない理由か…」
必死に脳をフル回転させ言い訳を考えているようだが龍の睨みの中それは口から出てこなかった。
「行ってほしいのは就労支援事業所B型ってところだよ。ここは働くっていうよりリハビリをすると思ってくれたほうがいいかな。だからずっと家にいたのにいきなり働け!なんていうわけじゃないから安心してね。」
「ヴー…」
純平は不満そうに唸り声をあげた。言い返せないけど不機嫌なときはいつもこうである。
「ここは自分のペースで働けるからさ。のんびりマイペースにいこうよ。やってみない?」
純平は「のんびり、マイペース…」と復唱した。
「じゃ…じゃあ…週1…2時間…ソソソ…」
龍が「お前」と言いかけたので手でストップをかけ
「わかった。最初はそこから始めよう。障害福祉サービス受給者証の申請をするね。」
ようやく一歩にも満たない半歩進むことができた。焦らずマイペースに、それでも前進できればいいんだ。
「先生、ふざけとるんか?」
いつも通り純平を待合室に行かせたあと龍は霧島に食い下がった。
「ふざけてません。まずは純平くんが作業所いくことを評価すべきでしょう。」
「あいつ、わしや先生のこと馬鹿にしとるで。どうせ『自分のペースでいいっていうならオラの要求を認めやがれ!』とか考えとるんじゃろ。」
「ええ、私も同じ考えです。だからこそそれに乗ったのですよ。彼は人に言われたことをどうにかして破ろうとします。ですが自分の言葉なら?一番厳しい束縛なんですよ、彼自分大好きですから。」
「うぐう、それでも甘やかしてるとしか思えんのだが…」
「ひとまず作業所に入る、それを達成できたのでそこからどう社会復帰するか考えましょう。」
霧島はカルテを書いてるとき罪悪感に苛まれていた。
残念ながら純平の現状はまだ対人軋轢があると言わざるを得ない。そんな中就労支援に送り出すのは丸投げではないか、医師としてそれでいいのか疑問であった。
「純平くんは働けない理由を聞かれて答えに困っていたがたぶん私なら答えられる、彼が今のまま社会に出ても迷惑をかけるだけではないだろうか?」
そういう疑念が頭から離れなかった。しかし
「何よりお父様が危ない。あのまま自宅療養を続けていたらお父様が潰れてしまうだろう。だから純平くんには少しでも外の世界を知ってもらうしかない。」
そう結論づけてから残りの作業にとりかかった。
受給者名 浜坂 純平
受給者番号 第340-939364号
サービス種別 就労継続支援B型
支給決定期間令和◯年◯月◯日〜令和×年×月×日
支給量 月20日(週5日相当)まで
利用事業所名 社会福祉法人陳宮会 就労支援センターおさかな
利用者負担上限額 0円(非課税世帯)
特記事項 医療的ケア・送迎不要
備考継続 継続的な医療支援・生活支援連携が必要
精神科外来経過記録
氏名:浜坂 純平(41歳)
診療日:令和◯年◯月○日
主治医:霧島 健医師
診断名:軽度知的障害、自己愛性パーソナリティ障害、社交不安障害(併存)
1.主訴
B型作業所は疲れるから働きたくないと主張
2.現状
表情は不満げで終始上体を揺らしながら発語。
就労支援事業所への通所を提案。本人は当初反発を示すも、「短時間だけなら行ってもええ」と渋々同意した。
本日の診察でも、「そもそも自分はネットで忙しい」「自分はいつか成功する」「自分は障害者ではない」など、通所に対する否定的発言を繰り返す。
だが医師から働けない理由を問われると沈黙し被害的・逃避的傾向を示す。
父親同席。医師が「まずは短時間から慣れていきましょう」と助言したところ、
父親は「甘やかしてるようにしか見えない」と発言し、明らかに不満の表情を見せる。
父親との関係性は依存と対立の混在がみられ、相互の疲弊が継続している様子。
地域包括支援センター経由で、依然として本人や父親宛に届く中傷ハガキが複数報告あり。
センターで受け止めたうえで内容を整理し、
「周囲の方が心配しているようです」との形で本人に伝えたが、
本人は「アンチが勝手にやってるだけ」「俺は悪くない」と意に介さない様子であった。
怒りや焦燥は見られなかったが、反省や内省も認められず。
3.所見
自己愛的防衛に基づく回避・言い訳が顕著。
父親の支援疲弊もあり、家族関係の摩擦が持続。
B型作業所への通所開始は社会的刺激の導入として評価できるが、実質的な就労意欲には乏しく、支援者側の根気強い介入が必要。
反社会的言動・迷惑行為等の再燃は現時点で認めない。
4.治療方針
薬物療法:変更なし(アリピプラゾール少量内服継続)。
就労支援:地域包括支援センター・相談支援専門員と連携し、B型作業所の通所を支援。
家族支援:父親に対し「焦らず段階的に」「他者評価よりも安定を優先」と説明するも、理解は限定的。
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