第3話 底なしの業を覗く

「浜坂さんこんにちは。今日も来てくれてありがとうございます。」

自己愛性パーソナリティ障害の患者は往々にして病識が薄く、感情を損ねると治療の中断に繋がる恐れがある。霧島は笑顔をつくりつつ「へつらいすぎない」よう振る舞った。下手に出過ぎたらそれはそれで患者の操作対象になるからだ。


相変わらず表情は暗くボソボソとしゃべる、だが被害を訴えるときだけは饒舌だ。

「浜坂さん、お薬はどうでしたか?眠れましたか?」

「あんま眠れなかっただで…どうしてもアンチコメが気になって夜中までコメントの低評価を続けてしまっただで」

「そうですか。なぜ気になると思いますか?」

「え?どういうこと?」

「浜坂さんが『なぜそこまで』アンチコメを気にしてしまうかってことです。所詮ネットの見ず知らずの人、気にせず寝てしまう人もいる中でなぜ気になってしまうか言葉にできますか?」

「だって!オラは間違ってないのにあいつら細かいことグチグチ言ってきて!オラが成功しそうで嫉妬してるから足を引っ張ろうとしてるんだで!」

「なるほど。浜坂さんはそう思ってるのですね。その内容は覚えてますか?」

「オラがセクハラしたとか、誹謗中傷するなっていったくせに自分も誹謗中傷してるとか…他にも色々言ってきてたけど気にしてられんし!」

(それは細かいことじゃないだろ…しかしここで突っ込むと次回来てくれないと困るから少しずつ掘り当てるしかないな)

「なるほど。寝る前のエゴサーチをやめることは難しいですか?」

「イヤッ!見たい!」

「…わかりました。お薬を強くしましょう。せめて夜やる分の半分を昼や朝に回すのもいいと思いますよ。では心理室にお願いします。」


「心理士の天神です。本日は浜坂さんの考え方や人の見方をわかるようにしようってことでいくつか検査を受けていただきます。」

「ヴー…オラのことをどうこう言われるのはいやだで…」

「あくまで残るのは結果で、それの受け止め方は浜坂さん次第ですよ。ではよろしくお願いします。」

(まだWAISは開いてないけど…この人は知的障害者で間違いないわね。視線は泳ぎ貧乏揺すりが目立つ、体もぐにゃぐにゃしていて到底目の前の課題に集中できてるとは思えない)

こうして1時間強が経過し、心理検査とWAISが終了した。純平は頭を使いすぎて疲労困憊のようだ。


霧島は純平が心理検査を受けてる間龍と向き合い家族面談を始めた。

「それで、ご家庭での純平くんの様子はどうですか?」

「なんも変わらん。いつも通り飯食ってうんこして寝るだけや。」

「それで、純平くんが言っていた『オラは間違ってないのにアンチが細かいことを言う』という発言、お父様の率直な感想をお聞かせください」

「実をいうとその件で既に凸者が来てるんじゃ。」

「凸者?」

「あのバカうちの住所特定されるようなことネットでべらべら話しての、そしたら反感を持った視聴者がたまにうちに来るんじゃ。」

「え!?それって大変なことになってるんじゃ…」

「あいつらはあくまでアレと話したいだけみたいで、出てこないと言ったらしばらく立ち話して帰るから大丈夫じゃ。それはそうとしてどう思うかだっけ?ふざけるなという気持ちしかない!ワシはそのせいでどんだけ迷惑被ってると思ってるんじゃ!」

「そうですよね…」

「先生もわかるじゃろ?なんであのバカがふざけたこと言い出したとき叱りつけてくれんかったのじゃ?」

「…純平くんは心の弱さを自己愛で守ってるんです。本当は脆くて傷つきやすいから突拍子もない話をしたり他者に共感しないような振る舞いをする。急に叱りつけてはより強く着込まれるだけです。彼には少しずつゆっくりその鎧を脱いでもらいます。」

「…そうか、先生に任せるわ」

家族面談が終わると同時に純平も心理室から出てきた。

「オトサン…ツカレタ…」

「ハァ…(ため息)帰るぞ」


霧島は困惑しつつも少しずつ純平に向き合おうとしていた。

「ネットでの軋轢を生む発言、それによる現実への干渉…」

夜、霧島はカルテを書きながらカレーうどんをすすっていた。ビシャビシャと汁が跳ねるが紙エプロンがあれば無問題、人類の叡智に感謝していると心理士から報告書が届いた。


心理検査報告書

宛先:霧島 健 医師

作成者:臨床心理士 天神 玲奈

検査日:令和〇年〇月〇日

対象者:浜坂 純平(はまさか じゅんぺい)氏

1.検査の目的

知的機能の評価および人格特性の把握を目的に、心理検査およびWAIS-Ⅳ(実施中)を行った。

2.実施検査

投映法簡易バッテリー(描画課題・文章完成法)

性格検査(YG性格検査)

面接観察

WAIS-Ⅳ(実施済・結果待ち)

3.観察所見

面接室入室時より緊張は強く、目線は定まらず。

当初は口数少なく、検査の目的説明に対しても「自分がどうこう言われるのは苦手」とやや警戒を示す。

しかし、検査を進めるうちに「自分は昔から“人と違う”と言われてきた」「ネットでは本当の自分を出せた」といった語りが増え、自己に関する話題になると一転して饒舌になる傾向を示した。

描画課題では、人物像を描くよう求めると「こういうのは子供っぽいから苦手」と言いつつも、時間をかけて丁寧に描写。

顔の輪郭や髪型など“見られ方”に関わる部分に過剰な注意を払う一方で、手や背景などには関心を示さなかった。

全体として、外面的印象への関心が高く、他者の視線を常に意識している様子がうかがえた。

質問紙への回答態度は一貫せず、「他人に気を使う」項目では“あてはまらない”を選びながらも、「他人の評価が気になる」項目では“非常にあてはまる”を選択するなど、自己像の揺らぎが見られ、また回答中貧乏揺すりをするなど落ち着きのなさが目立った。

会話の中では、自身の過去のインターネット活動を“才能の発露”として誇る発言が多く、失敗や批判に関しては「周りが悪かった」「理解されなかった」と責任転嫁的な説明を繰り返した。

ただしそれを述べる際の声は震えており、誇りと傷つきやすさが同居している印象を受けた。

4.印象・考察(暫定)

自己顕示欲が強く、他者から注目されることに強い価値を置く一方で、評価や批判には極端に過敏。

他者の感情への共感や想像力は乏しく、他人を“自分の物語に登場する役割”として扱う傾向が見られる。

対人関係では一見控えめに見えるが、内心では「自分の真価を認めさせたい」という欲求が根強く存在。

知的機能についてはWAIS-Ⅳの正式結果を待つが、検査中の反応からは抽象的な課題における理解困難、処理速度の遅さ、語彙の偏りが観察された。

簡単な言葉の意味説明にも時間を要し、「わかっているけど、うまく言葉にできない」と述べながら頭を掻きむしる場面が複数。

一方で、具体的な事象(過去の動画内容やインターネットの話題)には詳細に語ることができ、知的水準にばらつきがある印象を受けた。

全体として、知的軽度の制約を背景に、脆弱な自己像を守るために自己愛的防衛を形成していると考えられる。

この防衛が批判への過敏反応や被害的思考を強め、対人不安と孤立を助長している可能性が高い。

5.今後の提案

WAIS-Ⅳの正式結果を踏まえ、知的支援の要否を検討。

評価に過敏な傾向が強いため、心理教育や支援面談では「誤りの指摘」よりも「安全な表現の場づくり」を優先。

承認欲求を建設的に活かせる活動(創作・軽作業など)への導入を検討。


精神科外来経過記録

患者名:浜坂 純平(はまさか じゅんぺい)

診察日:令和〇年〇月〇日

主治医:霧島 健

1.現病歴・経過

前回より約2週間ぶりの受診。

本人は引き続き外出・就労いずれも困難な状態で、日中の大半を自室で過ごしている。

会話は依然として乏しく、終始小声で「眠れない」「アンチの書き込みが頭から離れない」と訴える。

気分の抑うつは顕著ではないが、被評価不安・対人緊張が持続。

特段の行動変化はなく、治療方針も大きな修正なし。

睡眠困難への対処として、就寝前薬の増量を指示。

2.父親との面談内容(本人退室後)

父親より、自宅周辺において「いわゆるネット上の視聴者(以下“凸者”)」が複数回訪問している事実を告げられる。

来訪者はいずれも20〜30代の男性と見られ、本人への抗議を目的としている様子。

父親は「息子が出てこないため、自分が応対している」とのこと。

応対時、父親は「出てこないから受けられない」「帰ってほしい」と明確に伝えたところ、凸者らは雑談の後素直に退去したとの報告あり。

暴力的行為や脅迫は現時点ではなし。

ただし父親は、「息子が自分のしでかしたことの後始末を一切しないこと」に強い不満と怒りを示す。

「自分が迷惑をかけておいて、部屋にこもって知らん顔。謝ることもしない」「結局、外の人が来て困るのはこっち」と述べ、拳を握りしめる場面もあった。

一方で、「無理に外に出せば何をしでかすかわからない」とも発言し、怒りと諦念が混じる状態。

3.医師所見

本人の病状自体は前回と大差なし。

抑うつや幻覚妄想の兆候は見られず、現実検討能力は一定程度保たれている。

ただし、ネット上での自己顕示欲と対人恐怖の交錯による「受動的被害状況(自ら動かずにトラブルを呼び寄せる)」が継続している。

父親の心理的負担は増大しており、怒りの背景には「家族としての限界感」と「社会的恥への耐え難さ」があると推測される。

家庭内での爆発的衝突のリスクも否定できず、家族支援の継続が望ましい。

4.今後の方針

睡眠薬(1mg→2mg)増量。副作用出現に注意。

凸者の再訪が続く場合は、警察相談窓口・地域包括支援センターと連携を提案。

父親の心理的サポートとして、家族面談を継続。

本人への直接的な現実指摘は避け、信頼関係の維持を優先。

福祉的支援導入(訪問看護・生活支援員)について再度打診予定。

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