深夜三時、君の部屋の灯がまだ消えない。
相良一征
第1話 夜を運ぶ男と眠れない女
午前二時を少し過ぎた東京郊外の一角は
昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
コンビニの外灯が照らす舗道には、
誰かが吸い殻を踏みつけた跡だけが残っている。
愛車のPCXを路肩に停めて、
ガードレールにもたれかかりながら、
甲斐征哉は缶コーヒーのプルタブを指で弾いた。
眠気はない。
ただ、今日も何かを届けて、
何かを置き去りにしてきた気がしていた。
配送アプリの地図を閉じると、
スマホの画面には「最終配達完了」の文字。
ヘルメットを外し、夜風に髪を撫でさせる。
この時間の東京は、どこか現実よりも現実的で、
誰もが黙って自分だけの夜を
ひとりで抱えているように見える。
ふと視線を上げると、
向かいの路地に一人の女がいた。
長い黒髪を束ね、スマホを覗き込んでいる。
派手なワンピースの裾が風に揺れ、
白い煙草の煙が淡く漂う。
仕事終わり、送り待ちのキャバ嬢だろうか。
彼女はふと顔を上げ、征哉と目が合った。
「…バイクの人?」
高くて綺麗な声が、小さく響いた。
征哉は返事をしようか迷いながら、
ヘルメットを脇に抱えた。
「ああ…うん。夜の運び屋」
「ふぅん、何を運ぶの?」
「拳銃とか?」
「何それ? やばっ」
女は小さく笑って、煙草の灰を指で弾いた。
その仕草がどこか儚くて、
夜の中に溶けていくようだった。
「その音、なんか落ち着く」
「音?」
「うん。バイクの音。毎晩ここ通るでしょ?
なんかそれ聞くと少しだけ眠れるの」
征哉は思わず苦笑した。
バイクの音で眠れるなんて、初めて聞いた。
「普段眠れないのか」
「仕事の後って、静かすぎて逆に眠れないの。
だからいつも家の前でこうしてるんだ」
「…まあ、そういうの分かる気がする」
二人の間を、夜風が抜けた。
遠くで信号の青が点滅し、
街がまた少しだけ動き出す。
「じゃあ、今夜も走るよ。
運び屋は音も届けるのが仕事だから」
「拳銃運ぶのが仕事じゃないんだ?」
女はくすくすと笑って言った。
「拳銃は嘘。
ほんとは弁当とか書類とか運んでるから」
女は驚いたように目を瞬かせ、
それから少しだけ口元を緩めた。
「約束ね、運び屋さん」
バイクのエンジンをかけると、
街の静寂が揺れた。
彼はミラー越しに、
まだ灯りの消えない彼女の部屋を一瞬だけ見た。
──深夜三時。
彼の夜は、少しだけ温度を帯びはじめていた。
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