第15話 井戸涸れと“ズレ”の音

工紋こうもんギルドの広場に響いた喝采は、僕たちがその場を離れても、まだ耳に残っていた。


リーネは、市民たちから「ありがとう、騎士様!」と次々に声をかけられ、どう対応していいか分からない、という顔で手を振り返している。


「……フン。見事な『立ち回り』でしたね」


僕たちは、産紋術師さんもんじゅつしセラの工房に戻っていた。

セラは、工房の奥で何かの数値を記録しながら、丸眼鏡の奥の目で僕を見た。


「結論から言うと、ユウ君。あなたの指揮タクトは、直接的な『戦闘』には全く向かない。けれど、ああいう『状況ながれの誘導』においては、極めて高い効率を出すことが確認できました」


「……僕の力が、役に立った、ということですか」

「役に立った、というより『利用価値が高い』ということです」


セラは、インク染みの指でこめかみを押さえた。


「……エイラの『囮』計画は、理にかなっている。あなたとリーネの『評判』が上がれば上がるほど、あなたたちを『奴隷上がりの功績泥棒』として貶めたい議会の連中が、必ず表に出てくる」


その時だった。

工房の扉が、勢いよく叩かれた。


「……リーネ騎士様! いらっしゃいますか!」


息を切らした、中年の女性の声だった。

リーネが扉を開けると、女性はわらにもすがるような顔で、リーネの外套マントに掴みかかった。


「騎士様! さっきの盗人を捕まえた、あの『腕』を見込んで、お願いがあります!」


「……落ち着いてください。何が?」

「井戸です! 私たちの居住区の、共同井戸の水が、三日前から急にれてしまって……! それだけじゃない、井戸の近くに住んでる友人の子供が、昨日から……姿を消したんです!」


井戸涸れと、失踪。

一見、関係のない二つの事件。

だが、市民は、リーネの「評判」を聞きつけ、これを「請願せいがん」として持ち込んできたのだ。


「……分かりました。現場へ」


リーネは、即座に決断した。


僕たちは、女性に案内され、工紋ギルド地区のさらに奥、古い居住区へと向かった。

セラも、「実地測定の続きです」と、無表情でついてくる。


現場は、貧しい家々に囲まれた、小さな広場だった。

その中央にある共同井戸は、確かに水が涸れ、底が乾いている。


「……三日前から、急に」


リーネが、井戸の構造を調べる。


「近くの、紋機関もんきかんの水路のせいじゃないかって、みんな噂してるんです」


住民の一人が、不安そうに言った。

この地区の地下には、都市の衛生を維持するための、古い「結界水道」が通っている。


それが、井戸水に影響しているのではないか、と。


「……ユウ」

リーネが、僕を見た。


僕は、頷いた。


僕は、鋳造所でやった時のように、地面に耳を当て、意識を集中させた。


(……ゴウ、……ゴウ、……)


紋機関の、一定の「流れ」の音がする。


(……音は、正常だ。漏れも、詰まりもない)


だが。


その「下」から。

もっと微かな、別の「流れ」の音が聞こえる。


下水路だ。


(……チョロ……チョロ……)


水が、流れていない。

いや、流れているが、量が極端に少ない。

そして、ある一点で、水が「き止められている」ような、不自然な「圧」の音がする。


「……ユウ。どうだ」

「……紋機関は、正常です。でも、その下の……下水路の『流れ』が、一箇所、おかしい」


僕は、立ち上がり、音がする方向へ歩き始めた。


(……こっちだ)


音がする真上は、一軒の、ひときわ古びた家屋だった。


「……リーネさん。井戸涸れの原因は、たぶん、この家です」

「……!」

「……待って」


僕は、リーネを制した。

失踪した子供の家族が、井戸端で泣き崩れている。


僕は、その家族を見つめる、周囲の住民たちの「視線」の「流れ」を読んだ。

誰もが、同情的な目をしている。

だが、その視線が、僕が今見ている「この家」だけを、不自然に「避けて」いた。


(……この家だ)


「リーネさん」


僕は、失踪事件も、この家が関係していると確信した。


「中へ」

「待ちなさい」


リーネが、僕の前に盾を差し出した。


「証拠がない。ただ『音がする』だけでは、家宅捜索はできない。規約違反だ」

「……証拠」


僕は、家の周囲を調べた。


家屋は、石畳ではなく、湿った土の上に建っている。

僕は、家の裏手に回った。下水路の「詰まり」の音が、一番大きく聞こえる場所だ。

そこには、あった。


(……これだ)


「リーネさん、これを見てください」


僕は、家の土台の隅を指差した。


「……泥の、跳ね方です」

「……泥?」

「はい。この数日、雨は降っていない。なのに、ここだけ、不自然に新しい『泥』が、壁に跳ねてる。……家の『内側』から、外に向かって」

「……!」

「それに、この『足跡の乱れ』。何か重いものを、この家の床下から引きずり出して、また戻したような……」


僕は、その家の、一枚だけ色の違う床板を指差した。


「……この下です」


リーネは、もう迷わなかった。

彼女は、家の扉を強く叩き、家主の男を引きずり出した。


「〈空冠国〉の盾騎士だ! 床下を、確認させてもらう!」


家主が抵抗するのを、リーネが盾で制圧し、僕が指摘した床板を剥がす。

そこには。


「……う……」


小さな、地下室。

失踪していた子供が、手足を縛られ、ぐったりとしていた。


そして、その地下室の奥には、下水路から違法に水を盗むための「バイパス管」が設置され、それが詰まったせいで、汚水が逆流し、周囲の井戸水を汚染していたのだ。


「……ひどい」


リーネが、子供を抱きかかえる。

幸い、まだ息はあった。


「……よくやった、ユウ」


リーネが、僕の肩を叩いた。

セラも、工房から持ってきた測定器をカチカチと鳴らしながら、皮肉っぽく呟いた。


「……『流れ』だけじゃなく、『痕跡』も読めると。……結論から言うと、あなたは、探偵か何かにでもなるつもりですか」


子供は無事救出され、井戸涸れの原因も特定された。

僕とリーネの「評判」は、工紋ギルド地区で、さらに確実なものになった。

だが。

紋衛庁の衛兵に連行される直前、家主の男が、僕を指差して、唾を吐きかけた。


「……ケッ! なんだ、あのガキは! あんな、鋳造所から逃げてきた『奴隷上がり』の言うことなんか、信じやがって!」


広場の空気が、一瞬で凍りついた。

僕たちに喝采を送っていた市民たちの目が、変わる。


「……奴隷、上がり?」

「……あのリーネ様の家にいる、汚れた子供……」


僕の「出自」が、僕たちが稼いだ「評判」に、初めて、冷たい影を落とした。

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