トラブルアドラブル - 可愛い子にはダンジョンで可哀想な目に遭ってもらおう -
大幻想❺
1章 解放者
第1話 可愛い子には厄介を押し付けよ
どこかで〝ダンジョンの生まれる音〟がした。
大地が産声を上げるような、地震とは違う揺れ方。歩いていた足がふらりと揺れて、思わずよろけた。いつものことだ。この街に住んでいれば、こんな現象には慣れたもの。
ふと顔を上げると、さっきの揺れのせいか、道沿いの建物に掲げられたプレートが傾いていた。
それは異界対策庁の看板。僕の勤務先だ。外壁は風にさらされて色褪せているけれど、どこか威厳があった。
ここで働き始めて、もう五年になる。
裏方の雑務ばかりで、決して目立つ仕事じゃなかった。給料だってたいしたものじゃない。けれど、働かせてもらえるならそれで構わなかった。
僕には、借金がある。親が遺した莫大な負債。
働いて稼いだ分のほとんどは、その返済に消えていく。
遊ぶ余裕もなければ、食べることすらままならない。
返済に次ぐ返済は我慢の日々だ。でも僕は今、ほんの少しだけ足元が浮ついていた。
なぜなら──今日という十五歳の誕生日を迎えたら、探査班に入れてくれるという約束をしてもらっているからだ。
ぐう、とお腹が鳴った。
空っぽの胃袋が、何か入れてくれと訴えてくる。
腹ごしらえ、しておきたいけど──と、ポケットをまさぐる。けど、小銭すら入っていなかった。
でも、そんな懐の寒さも今日で終わる。探査班は裏方よりも報酬がいい。未知の領域に挑む探査班には命の危険はあるけれど──それでも、やっと、生活が変わる。
「十五歳の誕生日おめでとう、プエル」
庁舎の門をくぐった瞬間、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは──
「さっそくだが、緊急事態だ」
異界対策室の室長、ボルクマンさんだった。
親の借金に苦しんでいた僕を拾い、対策庁での職を与えてくれた人。アッシュグレーの髪に深い皺を刻んだ顔。寡黙だが、時折見せる微笑みが温かい。
渋く、かっこよく、優しく。今なお探索班の第一線で働くその姿は、まさに“英雄”そのものだった。
僕の憧れ。目指すべき人。
──まさか、その人の口から「緊急事態」なんて言葉を聞くことになるとは、思ってもいなかったけれど。
「緊急事態って、さっきの地震で新しいダンジョンが生まれたことと関係がありそうですね?」
「地震は関係あるが、ダンジョンは生まれていない。ともかく、今すぐ対策庁管理下のダンジョンに向かうぞ」
ダンジョン由来ではない地震は珍しい。ただ、それだけで緊急事態とまで言うのも妙だった。
「僕、まだバディも決まってませんけど……転生者と組まないと、ダンジョンには入れないはずですよね?」
ダンジョンの探査には、異界からの来訪者──通称・転生者との“バディ”を組むことが必須だ。バディなしでは、ダンジョン内部に赴いてはならないと定められている。
「その予定のバディが、行方不明でね」
ボルクマン室長は淡々と言った。
「……え?」
「さっき、そこのダンジョン前で見つかったんだ。今はエサ──いや、食事で引き留めている。さあ、行こう」
「……えぇ? 逃げたペット、みたいな扱い……?」
思わず疑問が口をついて出るが、ボルクマン室長は何も言わずに前を歩く。足取りは早く、無駄がない。だけど、どこか肩に力が入っているようにも見えた。
──街の外れ、森の入り口近くにある立入禁止区域。
その一角に、封鎖されたフェンスがあり、異界対策庁の管理札がぶら下がっている。
その奥。雑木林の中に、ぽっかりと開いた地面の穴がある。人ひとりがようやく通れる程度の、暗く狭い入り口。
本来なら、探査班とバディの二人組が、そこに並んで入れる大きさの穴があるはずだ。でも今、その穴の一つは──何者かに占拠されていた。
しゃがみこんだ人影が、頭を突っ込むようにして穴の中を覗き込んでいる。何をしているのか、遠目からでは何もわからないが、指を入れている事だけはわかる。
ボルクマン室長に問いかけようとしたそのとき、地面の奥から、鈍く低い音が響いた。地鳴り──まるで、巨大な生き物が地中で蠢いているような、大地の叫び。
「……こ、これって……!」
「おい、何をしている! 待てと言ったはずだぞ!」
ボルクマン室長の声が響くと、しゃがみ込んで穴を覗き込んでいた男は、肩をすくめてこちらへと振り向いた。
「あ~~~? ヒマだったからよ~~、アリの巣になんかぶち込んでみようかな~と思ってさァ!」
その姿を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
白いシャツは素肌に直に着ていて、しかも前はだらしなく開いたまま。ズボンは腰からずり落ち、派手な水玉模様の下着が覗いている。
灰金色の髪は爆ぜたように四方へ跳ね、白目がちの目は現実を見ているように思えなかった。全身から〝まともじゃない雰囲気〟がにじみ出ている。
「そしたらよ、おもしれぇの! オレの
笑いながら言うその声を、別の音が掻き消していった。
地下から、鈍く重い振動が立ち上ってくる。足元の地面が微かに揺れていた。いや、もう微かじゃない。明らかに何かが膨張している。地中深くで、信じられないほど巨大な何かが圧力を増している──そんな感覚があった。
「やめ──ッ!」
ボルクマン室長が叫んだようだったが、声は揺れにかき消された。そのとき、突然、ぷつん──と、すべての音が引いた。風も、振動も、一瞬だけ世界が息を呑んだように静まり返る。その、直後だった。
──ズドォン!!!!!!
世界が弾け飛んだ。
爆裂音が鼓膜を突き破り、視界が白んだ。
地面の穴が、内部から膨れ上がるようにして爆ぜていた。
噴き出した土砂が空へ向かって吹き上がり、そのまま滝がひっくり返ったかのように逆流する。
地割れが走り、地形そのものが変わっていく。地面がひしゃげ、隆起し、ひとつの山がそこに現れる。もはや人が入る穴どころか、洞穴の形すら残っていなかった。
ぼとりぼとりと土が落ちてくる。塵のように、あるいは泥団子のように。顔に髪にと、ぐちゃぐちゃだった。あっけにとられて立ち尽くす僕の隣で、男は大声で笑っていた。
「ギャヒャハッハハハッ! おもしろっ!」
泥だらけの手を叩きながら、屈託のない笑顔だった。まるで、砂場で遊ぶ子どものような純粋さで。狂喜と興奮の入り混じった声で、どこまでも無邪気に。
ボルクマン室長はこめかみに手を当てたまま、長いため息を吐いた。そして、僕をちらと見やってから頷く。
「この男は──〝風船の
……え?
僕はしばらく何を言われたのかわからなかった。
この、白目がちのヤバそうな男が、僕のバディ?
戸惑いを隠せはしなかったが、ボルクマン室長に言われたからには、きちんとしてみせるしかない。
「えっと……プエル・アドラブルです。あなたは──」
「あ? みんな英語の名前かよ……」
男は眉をひそめて舌打ちする。
エイゴ? そういえば異界の言葉はこちらの世界に流入していて、流行を追う人や一部界隈、若い世代には浸透しているらしい。僕はそれほど知らないけど、由来がそれとは知らずに使っている異界の言葉はかなり多いらしい。
「ムカつくぜぇ~、英語わかんねぇからよぉ~……あ、一個わかるわ。ジーノアスだ! 天才! オレって天才だからよ、名前もジーノアスにするわ!」
無邪気に胸を張っているが、どこか誤解している気がする。僕がエイゴに詳しければ指摘してやれたのに……。
室長が顎に手を当てたまま、少しだけ視線を落とした。
そして、言いづらそうに続ける。
「バディを組んだからには探査班の一員としてダンジョンに赴いてもらうことになる、わけだが……」
口調の調子が曖昧だった。珍しく歯切れが悪い。
それも当然かもしれない。そのバディが肝心のダンジョンを今まさにぶち壊してしまったのだから。
「おっ、ダンジョンってこのバカでけぇアリの巣のことだったのか? ゲームで見るようなのとはちげぇんだな。でももうオレがぶっ壊しといたからよ~! これ攻略したら褒美くれんだろ? 何がいいかなー? とりあえずまた食いもんくれよ! 恩寵使うと腹減るみてぇでよォ~!」
ジーノアスの後ろでは、さっきまでダンジョンと呼ばれていた場所が、もはや山のような土の塊と化していた。
爆裂したその跡には、構造さえ残っていない。ふと目をやると、隣のもう一つの穴──もう一つのダンジョンも、逆に内側から抉られたようにして潰れていた。
あれだ。今朝の地震はこいつの仕業だったのか……。
なんてことを……。
まるで現実感がなかった。でも確かに、そこに立っている男は、笑いながら両手を広げている。自分のやったことを反省するでもなく、ただ誇らしげに胸を張っている。
めちゃくちゃだ。
ダンジョンをぶっ壊すなんて、前代未聞だよ。
とんでもない力を秘めているのは、わかる。探査班の仕事は、危険な異界生物が出てこないようにダンジョンを管理する目的がある。だから、その力は有用だ。けれど…ダンジョンの奥に眠る異界の漂着物を回収することも仕事の一つだ。
それなのに、全部ぶっ壊してどうするんだ。
もしかして僕、厄介者を押し付けられた……!?
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