たまには守られるのも、悪くないかも。なーんて言うと思った?w

 放課後。

 人通りの多い駅前の広場を、俺はひとり歩いていた。

 珍しく、ボタンの追跡を撒いた。理由はない。ただ、何となく息が詰まりそうだったから。


 夕焼けがガラスに反射して、通り全体が赤く染まっている。

 その中で――見覚えのある後ろ姿が目に入った。


「……草薙、ウララ?」


 制服のまま、男に話しかけられていた。

 陽の光を受けて、彼女の明るい栗髪が柔らかく波打つ。

 あいかわらず、まくられた袖と前開きのブレザー、そして短いスカート。

 笑顔の形をした爆弾――あの挑発的なやつだ。


 ナンパ、か……。


 俺は立ち止まった。

 助けに入るか、見守るか。“観察”の範囲内なら、まだ理屈は立つ。

 でも、胸の奥がざらついた。


「……あーもう」


 気づけば、小走りで近づいていた。

 聞こえてきたのは、いつものウララ節――いや、今日はとくに毒が強い。


「うわ、キモ。制服女子に声かけるとか、脳みそ腐ってんの? 理性どこやったの、ママのお腹の中?」


 うわ、普段あれでも抑えてたのかよってパンチライン。

 男は一瞬ぽかんとしたが、すぐに口角を上げた。

 油断と優越を混ぜたような笑い方だった。


「はは、口が悪いな。そういうの、俺は嫌いじゃない」

「へえ、ドMなんだ。よかったじゃん、自分の性癖わかって。おめでとー」

「お、ツンデレ系? わかる、照れてるだけだろ」

「出たよ、オッサンの勘違い。“わかる”とか言っとけばモテるとでも? 雑魚の思考回路って単純だね」

「いやいや、こういう子ほど――あとで素直になるんだよ」


 ウララの眉が、ほんのわずかに動いた。

 笑顔の形はそのままなのに、温度が氷点下に下がる。


「はぁ。サンプル数いくつ? まさか“俺調べ”? あなたの脳内統計とか、1ミリも信用できないんですけど」

「……は?」

「つまり、あなたの口説き文句にはデータの裏付けがない。つまり、非科学的。非科学的な男は信用できませ~ん。ハイ論破」


 男の笑みがひきつる。

 それでも引かない。むしろ一歩、前へ。


「そんな言葉遊びしてる暇があったら、カフェでも行こうぜ。頭いい子って、案外チョロいんだよな」

「それ、アンタのことでしょ。頭悪い男って、すぐ“チョロい”とか言うよね。ボキャ貧、極まってる」

「違うって。純粋に君が面白いと思って」

「“純粋に”? ぷっ……ダッサ。そんな言葉で釣れると思ってんの? バカにしてる?」


ウララの声は軽い。

けれど、指先がわずかに強張っているのが見えた。

学内なら軽率に「力」に訴えられるだろうが、外では制限がある。

あの性格でも、法律と常識の境目くらいは弁えているのだろう。


 ……もう限界だろ。

 どうする。言葉で止めるか、腕を引くか。警察に電話? いや、そんな悠長な――。


 考えるより先に、体が動いていた。


「――悪い、連れが待ってるんで」


 ウララの手を取って、走った。

 男が何か言いかけたけど、人混みの中に紛れて、もう聞こえなかった。


 全力で駆け抜け、裏通りの自販機の前でようやく止まる。

 息が合わないまま、同時に息を吐いた。


「はぁ、はぁ……何してんだ俺」

「はぁ……。マジなにしてんの、レンセンパイ。もしかして私のストーカーなの?」


 ウララが笑った。

 けれど、それはいつもの“煽り顔”じゃない。どこか、ほんの少しだけ柔らかかった。


「ウケる。アンタごときが草薙ちゃんのナイト様気取り? 役者不足すぎでしょ」

「いや、単に見てらんなかっただけだ」

「ふーん。……まあ、あの雑魚よりはマシだけど」


 そう言いながらも、ウララはまだ俺の手を離さなかった。

 細い指が、かすかに力を込めている。


「離していいぞ」

「は? 草薙ちゃんが望んで離してないとでも? 別にアンタの手がよかったわけじゃないし」


 その声は小さくて、街の喧噪にかき消された。


 夕風が通り抜け、髪が頬にかかる。

 その一瞬を見て、思わず言葉が出た。


「……似合ってるな」

「どこが?」

「だれにでも強がってるとこ」


 一拍の沈黙。

 ウララが、いつもの調子を取り戻す。


「はぁ!? バッカじゃないの! なに急にキモいこと言ってんの。そういうのはアンタの“観察魔さま”にでも言っときなよ」

「それは遠慮しとく」

「ふん。……ま、今回は特別。あの雑魚追い払う手間が省けただけ。……ありがと」


 最後の一言は、風に紛れて、かすかに聞こえた。

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