ついて来るなって、言ったよね?
放課後。
春風が校門を抜けるたび、ノートのページが一枚、勝手にめくられていた。
それを押さえているのは――黒髪ツインテールの少女。
ツインテールが春風とともに、揺れる。
見紛うことなき美少女。
一応言っておくが、これは帰宅イベントフラグではない。
むしろ「遭遇」と称したほうがいいだろう、未知との。
「……神坂レンくん」
黒髪ツインテール。
学級委員長みたいな清楚な見た目に、冷たい声だけが似合っている。
榊ボタン――観察魔。
ノート片手に校門で棒立ちしている姿は、もはや都市伝説だ。七不思議に加えられる日も近い。
せめて角で見切れてくれよ、情緒もあったもんじゃない。
「お前……まだ帰ってなかったのか」
「“帰ってなかった”じゃなくて、“待ってた”。観察対象の帰宅行動、重要データだから」
“待ってた”女の子に言われたら嬉しいセリフランキングトップ5に毎年入ってるセリフだ。流石に主語がでかいか?
「人間って、“自由意志”を誤解してるよね。行動パターンの8割は反射なんだから」
「は?」
主語のデカさランキングなら日間ランキングトップに立てるだろその物言い。
俺のランキングが圏外に落ちたところで、彼女は続ける。
「観察対象に自由意志があると思わないでほしい」
「観察対象呼びやめろ」
「拒否権があると思っている、この数週間で何も学んでいないのがわかるね」
「お前がまず社会性を学ぶべきだろ……」
放課後の春風とともに来たのは、恋ではなく調査でした。
スルーして歩き出す。
……のに、靴音がぴったり後ろからついてくる。
「ついてくるな」
「“ついてる”って言い方、主従関係っぽくてやだな。同行、ね」
「訂正のセンスが絶望的にズレてるな」
「ボク、感覚の誤差に興味あるから」
……もうどうにもならない。
観察魔を撒くのは、物理法則を否定するレベルの難易度だった。
※
玄関を開けると、スパイスの香りが漂う。
――カレー。つまり平和。つまり我が家、マイスイートホームだ。
「ただいまー」
玄関を開け、帰宅の挨拶をする。すると程なくしてリビングから、エプロン姿のハルカが現れる。
まだ制服姿のままで、「理想の幼馴染」って感じだ。
落ち着いた笑み。けれど目が、わずかに警戒色。
ハルカはエプロン姿のまま、柔らかい笑顔を浮かべた。
「おかえり。で、そっちの子は? ……もしかして噂の」
レンが答える前に、ボタンがすっと前に出る。
「観察対象の生活環境、興味があるから。失礼するね」
「……失礼の意味、わかってる?」
「うん。だから言った」
「説明になってない」
「ボク、榊ボタン。人間観察を専攻してる」
「やっぱり。専攻って言ったね。卒論どこで出す気?」
「たぶん、他人のリビング。人間性が露出する場所だから」
ハルカの口角が、やや引きつる。
そこにミユが顔を出した。
こちらもツインテールなのに、柔らかさがまるで違う。
「え、この人が“観察さん”!? 本当にいたんだ!」
「噂で知ってるの!?」
おいおい、入学したばかりの新入生の間でも噂なのかよ。
「だって、“人のまばたき数えてる子がいる”って」
「それ、誤情報。数えてるのは“瞬きのタイミング”の方」
「やってること同じだよ!」
今日は一段とツッコミが止まらない。まるで千本ノックだ。
とりあえず、来客をもてなさないのは失礼なのでリビングにて、紅茶タイム。
コイツが来客か、侵略者かはわからないが。
「今日来たのは、ボウズ…いや、“レンヲシサツセヨ”、って私の観察使命が叫ぶから。いいね? 国家レベルの観察任務」
「西南戦争かよ……っていうか俺そんな重要人物なの!?」
間違いなく、侵略者だ。
ハルカは座ったまま、紅茶を回しながら探るような目をする。
「榊さんは、レンのことをずっと観察してるんだ?」
「うん。優しそうで、感情も豊かなのにどこか薄い。とても興味深い」
「……翻訳すると、“面白い”ってこと?」
「うん、たぶん。人間を“面白い”って表現すると失礼?」
「相手によるわね」
ハルカがカップを置く音が、やけに大きく響いた。
ボタンは平然とメモを取る。
「観察されて、嬉しい人っているのかしら」
ハルカの声は、母親が子を守るときの調子だった。
ボタンは紅茶を見つめたまま、
「いるよ。自分を見てほしい人、たくさんいる」
「あなたは?」
「ボクは、見られるより見る方が好き。……でも、たまに“見返される”と、調子が狂う」
ミユがそっとレンの袖を引いた。
「お兄ちゃん、この人、もしかしておもしろい……?」
「だな……悪いやつではない」
ボタンはふと、部屋を見渡した。
カーテンの色、机の散らかり、食器の配置。
指先で壁をなぞり、静かに呟く。
「この家、いいね。秩序があるのに、ちゃんと生活の痕跡がある。“誰かがここにいた”って情報が、全部の面に残ってる」
ハルカが、わずかに口元を緩める。
彼女の観察眼が、“怖さ”から“好奇心”に変わった瞬間だった。
――と、思った矢先。ボタンがおもむろに立ち上がって、冷蔵庫のドアを開けた。
「プリン3個、エクレア2本、あと謎の『生クリームの日』って付箋。糖分摂取量、家庭内平均を大きく超過」
「なっ……お兄ちゃん! 私太ってないよね!?」
「確認するな。というか付箋って何だよ」
「“記念日”を設けると、罪悪感が軽減されるらしい。浅はかな抵抗」
「どこの論文だそれ。あと人の妹を悪く言うのはやめなさい、あと勝手にエクレア食べるな!」
自分のお腹をぷにぷにして確認するミユを横目にツッコミを入れる。
今日のキャパはすでに超過済みだ。
だが、その様子をみてボタンは納得したように頷く。……エクレアをもぐもぐしながら。
「なるほど。レンくんが人に優しい理由、わかった気がする」
「理由?」
「“居心地のよさ”を作るのが上手いの。人間観察向き」
「それ、褒めてるのか?」
「たぶん」
ボタンはメモを閉じた。
そして珍しく、少しだけ柔らかい声を出した。
「ボク、今日で“家の顔”を理解した。神坂レンくんは、笑うために優しくしてるんじゃなくて――優しくすることで、“今を守ろうとしている”んだ」
その言葉に、誰も返せなかった。
ボタンは立ち上がると、丁寧にお辞儀をした。
「観察完了。理解、進行中。……君の“普通”って、なかなか面白い標本だったよ。また次、学校で」
「もう帰るのか?」
「うん。ボク、今日のデータで十分満たされた。“わからない”より、“少しわかった”の方が楽しい。君のことはもっと知りたい」
ドアノブに手をかける彼女の背中は、少しだけ軽やかに見えた。
ドアが閉まったあと、リビングに残る静けさ。
ハルカが紅茶を一口飲んで言う。
「……あの子、変わってるけど、悪い子じゃないわね」
「そうだな。世界を“分析”じゃなくて、“理解”で見ようとしてる感じがした」
「レンも、似たようなとこあるけどね」
似ている……のだろうか? 自分では全くわからない。
ミユがカレーを温めながら呟いた。
「お兄ちゃんって、観察されるの似合うよ。私も今日から観察日記つけようかな」
「どんな褒め言葉だそれ……、あとやめろ」
窓の外、春の風がカーテンを揺らした。
静かな夜。
観察も、理解も――まだ終わらない実験の途中だった。
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