【41 ティーパーティー(4)】

「ごめんなさいね、もう少し早く来ればよかったのだけれど」


 フィンガーボウルで指を洗い、手を拭くわたしを気遣うように、ルーチェが言った。ミリアム様がわたしとフランの間に、ルーチェがわたしの反対側の隣にいて、ラネス様はフランの向こう側――わたしの正面の席に腰を下ろしている。

 わたしたちに遠慮したのか、ラネス様は立ち去ろうとしたけれど、4人がかりで引き留めて、同じテーブルについていただいている。少々居心地が悪そうで申し訳ないとは思う。でも、男性がいるかいないか、ということで態度を変えるひとも多いのだ。


「大丈夫、ありがとう。ごめんなさい、わざわざ来てもらってしまって」


 手を拭き終えると、ようやく震えが収まった。まだ気分がよいとは言えないけれども、目の前から相手がいなくなって、少し時間が経って、手を綺麗にできて、それで少々落ち着くことはできた。


「いいの、彼女――ミリアム様を、改めて紹介したいと思っていたところだから」


 ルーチェの言葉に合わせるように、ミリアム様が会釈する。

 ミリアム様は、わたしやルーチェよりはすこし年上だろうか。落ち着いた挙措がそう思わせるのかもしれない。艶のある栗色の髪にオリーブグリーンの瞳、ラベンダーの色のドレスがよく似合っている。


「ルシール嬢から伺っておりますわ、アウレーゼ様」

「ユーラリアとお呼びください、クロイスヴァイン様」

「では私もミリアムと。……ほかに人がいなければ、ミリーでもよいのですけれども、ね?」


 ミリアム様の言葉に、ありがとうございます、と会釈する。


「先ほどは、災難でしたわね。騎士だというのに、無礼な輩もいたものです。でも、ユーラリア嬢、あなたが席を立たれても、誰も責めなかったと思いますけれど」

「お招きくださった辺境伯閣下にも、アルフェネル様にも、申し訳ないかと。それに――」


 言い淀むわたしに、ミリアム様は首を傾げて、続きを促してくれた。


「それに、あのような者のために退席するのは、気分がよくありません」


 少々驚いた表情になったミリアム様に、ルーチェが、ね、と頷いてみせる。


「こんなに綺麗な見た目で学究肌なのに、とても肝が据わっているんです」

「素敵なことだと思いますわ」

「わたしのことは、ルシール嬢から?」


 気恥ずかしさを誤魔化すように、わたしは話題を切り替える。


「ええ。あなたの化粧水を試させていただいたけれど、あれは素晴らしいものですわね。売り出したら、商人や貴族の家の女たちが、こぞって買い求めると思いますわ」


 ありがとうございます、と、わたしはミリアム様にお礼を言う。何であれ、自分がしたことの結果を評価してもらえるのならば、それは喜ばしいことだ。


「ルシール嬢からも、いろいろと伺っております。私のことも彼女と同じように、頼ってくださいませね」


 わたしはもう一度、お礼を言って頭を下げた。頼れる友人が増える、というのは、異郷の地にあっては本当に心強いことだ。

 わたしたちはテーブルのお菓子をいただき、お茶を飲みながら、しばらくお話に興じていた。


 エリューシアのことも少し訊かれたけれど、お話の主題はやがて来る春のこと。春に咲く花の話を聞き、春を告げる鳥たちの話を聞き、春の野遊びの話を聞く。


「私たちのテーブルの小鳥、クロウタドリだったのですよ。エリューシアではご覧になって?」

「いいえ、存じません。歌の上手な鳥なのですか?」

「ええ、春になるとやってきて、とても綺麗な声で鳴くのです。黒い姿に、橙色の嘴で、それはもう美しい声で」

「素敵ですね。それは是非、聞いてみたいものです」

「春になれば、ここの庭園にも来るのではないかしら? マウザー卿、こちらでご覧になったことは?」

「は、ええ……鳥には詳しくないもので、しかとは解りかねますが。ただ、訓練の合間に、美しい鳥の声を聞くことは、たしかに」


 ミリアム様に急に話を振られたラネス様が、困ったような表情で応じる。


「ご興味はないかもしれませんけれど、鳥や花を眺めるのも、悪くないものですのよ?」


 ミリアム様の言葉に、はい、とラネス様が頷く。つい先刻の頼りになる様子とは違うその姿に、皆が笑顔を浮かべた。そんな会話が、ふと途切れた瞬間。


『●●のアウレーゼさまに』


 耳に入ったのは西方語。すこし離れた隣のテーブルから。聞き覚えのある声――リーゼンヴァルト嬢の声だった。まだ、普段使わない言葉はよく聞き取れなかったり、意味が取れなかったり。


『普段、あんなことをする方たちではないのに』

『魔法の教師だなどと仰るけれど』


 わたしが耳に留めたのを察したのか、西方語がほとんどわからないはずのフランが、わたしを見つめている。ルーチェが、口許だけに浮かべた笑顔で、隣のテーブルの方にちらりと視線をやった。


『何をしているものやら』

『もしかしたら、●●のような魔法でも』

『そうに違いありませんわ』


 会話の中心にいるのはリーゼンヴァルト嬢。ほかに騎士家の御令嬢、と紹介された方がふたり。ブライエルムの御令嬢は、それを煽るでも止めるでもなく、黙って話の成り行きを見守っているようだった。

 ルーチェに視線を向けると、目を合わせたルーチェが、かすかに首を振った。どんなことを、と尋ねたいところだったけれど、その仕草でなんとなく中身は察せられる。


『魔法は便利だと言いますけれど』

『●●することもできるのではなくて?』

『どれだけ●●してよいものかしら』

『そんな相手を迎え入れるなんて――』


 よその話に聞き耳を立てるのは失礼なことだ。わざわざ出向いて何を話しているのか、などと尋ねることはできないし、そもそも西方語ではわからない言葉が多すぎる。直接自分に向けられた言葉ではないから、言い返すこともできない。


 アルフェネル様のお相手候補になるというのはつまり、こういうことなのだ。悪意や敵意の対象になるというのはわかっていたつもりだったけれど、実際にそういうものを向けられてみると、想定が甘かった、と思うしかない。


「賑やかですね。どのようなお話を?」


 招待客の皆様への挨拶を終えたのか、アルフェネル様が隣のテーブルの傍らで足を止め、声をかけた。


『あら、アルフェネルさま、女たちの●●のない●●ですわ。でも、どうかおかけになって?』

「いや、申し訳ないが、リーゼンヴァルト嬢、席へ戻るところだったのです。客人を、待たせてしまっているものですから」


 リーゼンヴァルト嬢の西方語に、アルフェネル様はあくまでも共通語で応じる。リーゼンヴァルト嬢も笑顔、アルフェネル様も笑顔。


『すこしだけでも、お話を、と思ったのですけれど』

「いいえ、お誘いはありがたいのですが、客人を待たせるわけにいきませんので。しかし、せっかく足を止めたので、二言だけ」

『どのようなことでしょうか?』

「どなたの噂話をされていたのか存じませんが、当家の客人への侮辱は、当家への侮辱です。そして、ユーラリア嬢は、私が望んでお招きした当家の客人です。どうかお忘れになりませんように」


 アルフェネル様はその言葉への返事を聞こうともせずに、隣のテーブルに背を向けた。


「今の、聞こえ――た、みたいね」


 呆気に取られて固まったわたしに、ルーチェがにこりと笑ってみせた。





―――――――――――――――――――――

筆者註:前話に引き続き、本文中の『』の会話は西方語、●●の部分はユーラリアが聞き取れなかった/意味を取れなかった箇所です。本当は語順から少し違うはずなのであまり正確ではないのですが、まあ雰囲気で読んでください!

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