【27 誤解ふたたび】
受け取るべきものを受け取り、渡すべきものを渡して、もののやり取りが終わると、あとはお喋りの時間になった。
「あの服、出入りの仕立て屋に見せたのよ。舌を巻いてたわ。裁断も縫製もものすごく繊細だ、って」
「王都でも評判の店で仕立てた品ですから。服飾を仕事にする職人にとって、あの王都は戦場だ、と知人が言っていました」
感心したように言ったルーチェに、フランが答える。わたしはあまり詳しくはなかったけれど、たしかにフランは、よく言っていたものだ。新たな素材やデザインの服を作り出そうとする職人たちが、常にしのぎを削っているのだ、と。
「ユーラお嬢様は研究ばかりで、服や装飾品には、あまりご興味も無かったようですけれど」
「う……し、仕方ないじゃない。学術院の専門科って忙しいのよ」
「存じておりますが、ものには限度というものが」
こういうときのフランの小言には加減や容赦というものがない。わたしは逃げるように、話題の転換を試みる。
「か、型紙は起こせたの、ルーチェ?」
「大丈夫よぉ?」
どこか面白そうに笑いながら、ルーチェが応じた。
「そのままの生地はすぐには手に入らないから、こっちで手に入れられる生地に合わせて縫製のやり方を調整して、型も少し変えて。そのあたりは試行錯誤ね。でも、いつもの流れを考えると、こちらでの流行はかなり先取りできるはずだし――」
言葉を切ったルーチェが、わたしに視線を向ける。
「夜会用のドレスとしては、ユーラが着て見せてくれた型だからね。エリューシア風を取り入れてる、っていうのはすぐに広まると思うの」
そうね、とわたしは頷く。あのドレスが流行の象徴のような扱いになったのなら、随分と気恥ずかしい思いに耐えて着た甲斐があったというものだ。フランにちらりと視線を向けると、私は知っていましたよ、とでも言いたげな表情で、わたしに視線を返してくれる。
「うまく流行を作れるなら、確かに、強いわよね。真似しようとするひとたちもいそうだけれど」
「そうね、それはいると思うわ。ただ、他の御令嬢や奥方様たちは遠目に見ただけだけど、私たちは実際に触れて、裏側までじっくり見てるから」
この差は大きいわよ、とルーチェは言った。飛びつきたくても飛びつけない新しいものを、実際に目にし、手にして詳細を知って、ザールファーレンの事情に合わせてアレンジする。流行を先取りする、というのはそういうことなのだ。
「夜会に着て出るのはもうしばらく先になると思うけど、今から楽しみ」
「そうね。わたしも、あなたのドレスを見るのが楽しみだわ」
わたしはそう答えて頷いた。
「夜会と言えばさ、ちょっと下世話なお話になるけれども」
コンポートを切り分けて口に運びながら、ルーチェが話題を変える。わたしは、なにかしら、と目顔で先を促した。
「このあいだは結構な数の殿方とお話されて、踊ってもいたみたいだけれど、これは、という方はいたかしら?」
わたしとフランが顔を見合わせる。
「それは、どういう――」
「言葉通りの意味よ。――あ、エリューシアにいい人がいる、という話ならそれでいいけれど、そういうお相手がいるなら、そもそもひとりでアルトフェルツまで来ないでしょう?」
それはたしかにそのとおりなのだけれども。
「皆様、素敵な方だったけれど」
相手云々については触れないことにする。
「わたしは、エーレンハルト閣下に、アルフェネル様の教師としてお招きされたから――」
「知ってるわ、そうご紹介されたものね」
ルーチェは、それで、という顔で小首を傾げた。
違和感と不安。フランともう一度顔を見合わせる。彼女もなにかおかしい、と思っている様子だ。
「――だから、アルフェネル様と……」
「あら、もうそういうお話が出来上がっているの?」
心から意外そうな表情。演技でそうしているようには見えない。目を逸らしていたことが、現実になろうとしているようだった。
「お嬢様」
フランの声が硬い。たぶん、わたしと同じ結論にたどり着いている。
「……そういうことなのね」
「はい」
「え、なに? どういうことなの?」
わたしたちのやり取りを見ていたルーチェが、訝しげに尋ねる。足下が崩れるような感覚があった。
「エリューシアでは」
なにかただならぬことが起きたらしい、と察した様子のルーチェの目を正面から見つめて、わたしは言った。
「適齢にある子女に何がしかの教師をよこしてほしいと依頼することは、だいたい『当家の子女と貴家の子女を娶わせたい、ついては顔合わせを兼ねて貴家の子女を当家へ送っていただけないか』という意味になるのよ」
思い返してみれば、少々おかしな部分はあった。それを見ないようにしていた、あるいはちょっとした風習の違いと思い込もうとしていただけで。ザールファーレンに来てからのわたしに、そういう希望的観測がなかったと言えば噓になる。
いま気付いたことは結局のところ、エリューシアの貴族社会の常識などここにはなかった、という確認にすぎない。
「……あなたまさか」
事情を理解したらしいルーチェの顔色が変わる。
「アルフェネル様と婚約する、という話になってるの。わたしの家では」
わたしは頷いて、言葉を吐き出した。自然と顔が俯き加減になる。
学術院でのあれこれを諦めた意味。
覚悟を決めてここへ来た意義。
アルフェネル様と言葉を交わしたときの高揚感。
なくしたものを埋め合わせられるかもしれないという期待。
すべて、最初からなかったのだ。わたしがあると思い込んでいただけで。
「その話、もう誰かにした?」
ルーチェの声。わたしは顔を上げられないまま、黙って首を横に振る。
「じゃあ、ひとまずここだけの話にしましょう」
「え」
意外な言葉に、思わず顔を上げた。
「『え』じゃあないわよ、そんな話が漏れたらいろいろと不都合でしょう。だからひとまず、ここだけの話にしましょう」
わたしを見る彼女の目は真剣そのものだ。何も言えないまま、わたしは頷く。
「――ただの行き違いで済むのなら、普通に黙ってればいいだけだと思うけど」
ルーチェの言葉に、わたしはもう一度首を横に振った。
「大事な魔石の取引先との婚約話ということになってるから、全部放り出してここに来たのよ。今更、勘違いでした、で済むような話でもないの」
「……思い込みって怖いわね」
ため息をつくような口調でルーチェが応じる。
まったくそのとおりだった。
遠く離れた国で、言葉から建物の様式から服の流行から細かな作法まで、色々なものがエリューシアとは違っていたのだから、もっと早く気付いてもいいはずだった。これだけ様々なものが違う国で、エリューシアの貴族社会の慣習がそのまま通用する、と考える方がどうかしている。
それでも、今更引き返すことはできないのだから、自分でどうにかするしかないことに変わりはない。
そこまで考えて、とてつもなく大事なことに思い至った。
「アルフェネル様に、婚約者は――?」
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