【6 旅支度】
甲板から船倉まで船内を一通り案内してもらい、わたしたちは岸壁に戻った。ラネス様にお礼を言い、近いうちに荷を持ち込むことを伝えて帰路につく。
「荷物、すこし減らさないといけないわね。と言っても減らせるものって、衣装くらいしか思いつかないけど」
「私の服をいくらか減らしましょう」
帰り道の馬車の中、わたしの言葉にフランが即答した。
「フラン、あなた結構ぎりぎりまで切り詰めていたでしょう」
「ユーラお嬢様にみすぼらしい恰好など、させるわけにまいりません」
「言うほど粗末な服は入れてないわよ、フランが選んでくれたんだもの」
「お嬢様」
引き下がる気などありません、という態度でフランがこちらへ向き直る。
「お嬢様は、アウレーゼ家の、いわば代表として出向かれるのです。
第一がわたし、その次にアウレーゼ家。フランの優先順位はいつも揺るがない。こうなっては梃子でも動こうはずがない。わたしはため息をついて視線を逸らす。もちろん主家の人間としてこうと決めれば、フランはそれに従うだろう。でも、そういうわがままの通し方をしないのが、学術院に通うようになったころから、わたしたちの間の暗黙の約束だった。
「こういうのはどうかしら。持っていく夏用の衣装を少し減らしましょう。でも、支度金がまだ結構残ってたはずだから、それをお金のまま持っていく。夏までにはまだ間があるから、あちらで改めて仕立てて、衣装に不足がないようにすればいいわ」
「……旦那様がお許しになれば」
すこし間があってフランが答えた。本当にそれでうまくいくのかしら、という表情だ。
「父様のお許しがいただけたら、フラン、衣装の分のお金はあなたに預けておくわね」
「私にですか?」
「そう、フランに。わたしが持ってたらたぶん、夏になる前に
ふっとフランの頬が緩んだ。お嬢様、と苦笑交じりの声で言いながら、膝に置いたわたしの手を軽く叩く。ちょっとした意見の違いを呑み込んだとき、わたしたちはこうやって折り合ってきた。お互いに立場があるから、人前ではけっして見せないけれど。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌日からしばらくの間、わたしたちは出立のための準備に追われた。荷を整えて指定された量に収め、長持へ詰め込んでゆく。衣装はともかく、錬金術の器具や書物は他人にいじってほしくはなかったから、あらかたをわたしとフランで荷造りしなければならなかった。
ラネス様の話もあって、本当は書物の類はすべてわたしの個室に置きたかったけれど、部屋の大きさを考えると到底収まりきらない。特に貴重なものやあちらで確実に使いそうなものは部屋に置くとして、残りは防水のためのあれこれを施した上で船倉に積むことになる。蝋引きした布で包み、包んだ上からロープで縛り、その上から更に革で包んでロープを掛ける。ある程度形や大きさが揃った書物はまだしも、形の揃わないガラスや金属製の器具が大半の錬金術道具は荷造りに苦労した。結局、持っていく衣装のうちいくらかを緩衝材代わりに隙間に詰めることでどうにかすることにした。
「ユーラお嬢様、さすがにこれは……」
「いいのよ、あちらに着くまで使わない分だし」
「たしかに、仰るとおりですけれども」
「荷の中を見せるものでもないでしょう?」
フランは結局、処置なしという風情で首を振って手伝ってくれた。まあ、たしかに、フラスコの隙間に下着を詰めるというのは、自分でもいささかどうかとは思う。外から見られるものではないし、多少しわになっても上に着る服ではないから、わたしとしてはさほど気にもならないものではあるけれど。
「荷解きは先様にお任せできませんね、これは」
「もともと、荷解きは自分でやるつもりだったから」
「フランもお手伝いいたします」
いずれにしても、他人にいじってほしくないことに変わりはないのだから、何が変わるというわけではなかった。ロープを掛けたり長持やトランクに詰め込んだりと、荷造りは結構な力仕事になったと思うけれど、フランはそんなことも器用にこなしてくれた。
「ロープの掛け方とか結び方なんてどこで覚えるの、フラン?」
「庭師や御者は案外詳しいんですよ。頼んだら教えてくれました」
パオラ様にはあまりいい顔をされませんでしたが、と付け加える。たしかに侍女の職分から外れることではあるから、ハウスキーパーには睨まれそうだ。
そうやって荷の整理をして、すべての荷物が出来上がったのは5日後。船倉に積む長持と船室に持ち込むトランクを荷馬車に積み、港へ向かう。埠頭では前回と同じように、たくさんの人が忙しげに立ち働いていた。大声で様々なことを呼び交わしながら、大きな荷を――樽や木箱、ロープで縛った布包みや籠を、担いだり滑車を使ったりして船へ運び込んでいる人。岸壁にいろいろな器具を並べて数を数えている人。長い柄のついたブラシで、岸壁から船体を擦っている人もいる。そんな中を通り抜けて、岸壁の際近くまで荷馬車を進め、御者が大声で呼ばわると、ラネス様が降りてきた。
「荷をお持ちしました、ラネス様」
「ありがとうございます、ユーラリア様。荷はそちらの荷馬車に?」
はい、と頷くと、ラネス様が幾人かに声をかけ、手早く荷馬車の幌を開ける。
「その手前の2つの長持は気をつけて扱ってください、壊れ物が入っていますので」
「壊れ物、ですか」
「錬金術絡みの道具が。ガラス製や陶製が多く、繊細なのです」
ああそれは、と頷いたラネス様が、年かさのひとりに声をかけて、丁寧に扱うように言ってくれた。
「よぉしお前ら、ここの荷は特に丁寧に扱え! お嬢様をエスコートするようにだ!」
声をかけられた髭面の船員がしわがれ声で叫ぶ。部下らしい船員たちが口々に応じ、ふたり1組で荷物を抱え上げた。丁寧に扱ってくれているのだろう。たぶん。
「馴染まないでしょうが、船乗りの流儀とお考えいただいて」
船員たちの様子を見たラネス様がそっと言葉を補ってくれた。大丈夫です、わかります、と頷く。屋敷の礼儀とも学術院の作法とも違うけれど、ここではわたしの方が、言ってみれば異物なのだ。
「皆様、お忙しそうですね」
わたしたちが持ち込んだ荷の他にも積み込むべきものは色々あるだろうし、決して短くはない航海となれば、点検せねばならないことも多いだろう。
おわかりになりますか、とラネス様が答えた。
「準備はここ2~3日が最高潮、というところです。出港の2日前頃になればだいたいは落ち着き、前日には休ませますので」
「ハンス様はどちらに?」
「船長や航海士と航路の確認をしています。お呼びしましょうか?」
ラネス様の提案に、慌てていいえ、と首を振る。何の用事があったわけでなく、単に姿が見えないので気になった、というだけの話だった。
「やはりお忙しいのですね」
「荷主の子息でこちら方面の貿易に関しては次席、この船の荷とお二方に関する責任者でもありますから」
重要な取引先の娘を預かり、ひと月かけて海を渡って無事に連れ帰らねばならない、というのはたしかに、大きな責任と重圧になる。準備も相応に綿密にすることになるだろうし、航路や計画の確認は何度やってもどこかに漏れがないかと恐れることになりそうだ。このあいだの会食ではあまり緊張した様子にも見えなかったけれど、あれで結構な重圧を感じていたのかもしれない。
「なにかおありならば、私から伝えておきますが、ユーラリア様?」
「出航の予定に変更がなければ、わたしたちは当日の朝に参ります。ハンス様にもよろしくお伝えください」
返事の代わりに、ラネス様は、いつものように黙って腰を折る丁寧な礼をした。
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