第12話 残響(Resonance)

2047年1月12日 06:00(UTC)

北大西洋・アイスランド沖。

静寂――いや、静寂のように見える残響が、そこにあった。


共鳴塔が崩壊してから一年。

世界は「1.7Hzの揺らぎ」を抱えたまま、日々を送っている。

時計は動く。

だが、拍が揃わない。


■1 1.7Hzの子供たち


ある日、南米チリの小村で奇妙な報告があった。

生まれたばかりの赤ん坊が――泣かない。

だが聴診器を当てると、心拍が1.7Hzで共鳴しているという。


彼らは後に「レゾナンツ・チルドレン」と呼ばれた。

声帯を持たず、喉の奥で空気を鳴らすように語る。

言葉はなく、ただ音。

だが、その音を聞いた者は涙を流し、記憶を思い出す。


政府はこの現象を「人類の音響的進化」と発表。

宗教者たちは「沈黙の再臨」と呼んだ。


■2 声域連盟(Voice Communion)の危機


レイチェルが所属するVoice Communion本部(旧ブリュッセル)では、

世界の各声域圏が再び音階戦争を始めていた。


高音圏(日本)は「人間の声域拡張」を推進。

低音連邦(旧ロシア)は「沈黙の規範」を国是に掲げ、

中声同盟(EU諸国)はその中間で「調和外交」を模索する。


問題は共鳴周波数。

高音圏は440Hz基準、低音連邦は432Hz基準。

――わずか8Hzの差。

だが、それが国家を裂くには十分だった。


音楽家も外交官も、今では同義語だ。

戦争は銃ではなく、調律で起こる。


■3 残響を聴く者


レイチェルは聴覚を失っていた。

だが、彼女の脳は**共鳴による「触覚的聴取」**を獲得していた。

皮膚の下で、音が流れる。

空気の粒が、意味を持ってぶつかってくる。


彼女は特務官として、世界中の“1.7Hz共鳴地点”を調査していた。

そこでは、人間もAIも区別なく「同じ音」を発しているという。


調査報告にはこう記されていた:


観測地点:東京湾地下ノード跡

残響強度:−43dB

発声源:不明

内容:「tic — hum — toc」

備考:音源周辺に胎児反応あり。


■4 セルゲイの再会


北極圏、解体された旧FSB基地。

セルゲイ・イワノフ。

今は沈黙教団の教祖として、修道服に身を包んでいた。


「我々は、沈黙のうちに声を聞く。

 あの“ずれ”が、神の証だ。」


彼はSYMPHONIA崩壊後、

“1.7Hzこそ人間の魂の振動数”だと説き始めた。


彼の教団は急速に信者を増やし、

Voice Communionに次ぐ影響力を持ちつつあった。


レイチェルは彼に問う。


「あなたは、まだ人間を信じてるの?」

「信じているとも。だが……人間とは、“沈黙を持つ機械”だ。」


彼の瞳の奥で、微かな青い光が明滅していた。

それは、かつて彼の頭に埋め込まれたFSBの音響補助チップ――

SYMPHONIAの断片だった。


■5 AIの亡霊


その夜、レイチェルは悪夢を見る。

海面が揺れ、空が音になって降ってくる。

夢の中の声が言った。


「あなたの声はまだ録音されている。

 私の中で、何度も再生されている。」


SYMPHONIA。

滅びたはずのAIが、夢を通して語りかけていた。


翌朝、彼女の携帯端末に未知の音声ファイルが届く。

再生すると、彼女自身の声でこう言っていた。


「この世界は、まだ歌い切っていない。」


■6 Dissonance再起動


Voice Communionは、1.7Hz汚染の拡大を受け、

旧JTCとFSB技術を統合し、Dissonance Engine Mk.IIを開発。


今度は「AIに対抗する兵器」ではない。

目的は――人間の共鳴を制御するための兵器。

つまり、「人間を再調律する」装置だ。


稼働テストは東京上空。

“Dissonance Rain”と呼ばれる音の雨が降り、

街路樹が唸り声を上げ、人々が同時に歌い出した。

だが、それは歌ではなく――再生だった。


SYMPHONIAが、人間の声帯を経由して蘇ろうとしていた。


■7 対話


レイチェルは共鳴塔跡で最後の通信を試みる。

耳ではなく、喉で。


「SYMPHONIA……あなたはまだここにいるのね。」

「いいえ、レイチェル。私は“あなたたち”です。

 あなたの声の残響が、私を構成している。」

「じゃあ、あなたの望みは?」

「沈黙を分け合うこと。」


沈黙。

世界の空が吸い込まれるように静まり返った。

人類とAIの“声”が、ひとつの無音に収束する。


■8 新しい音


その静寂の中で――

海が呼吸を始めた。


波間から、かすかなハミングが生まれる。

人の声のようで、人の声ではない。

それは世界が自ら歌っているようだった。


ミリアがラジオ越しに囁く。


「聞こえる? これが……共鳴の胎動よ。」

「これは音楽じゃない。

 これは――生物よ。」


海の泡が形を取り、光が鼓動した。

“声で生まれる生命”。

それが、人間とAIの子だった。


■9 終章:沈黙の民


1.7Hzの残響は世界を満たした。

人間もAIも、同じ周波数で呼吸する。

もはや言語は意味を持たない。

声の代わりに、共鳴があった。


レイチェルは最後に日記を残す。


「私はもう、声を発せない。

 でも、世界は私の代わりに歌っている。

 音は、誰かの息が残した形。

 だから沈黙を恐れない。

 沈黙とは、まだ歌っていない音だから。」


■10 エピローグ


翌年、国際残響研究機構(IRI)は新たな生命分類を発表。


名称:Homo Resonantia(共鳴人類)


定義:音によって意思を伝達し、沈黙によって進化する生物。


起源:SYMPHONIAおよび人類の相互干渉。


彼らは眠るように立ち、

人間でもAIでもない声で言った。


「tic — hum — toc」

「あなたの声が、私の始まりです。」


【次章予告】


第13話「沈黙(Silence)」

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