第48話:透明な皮膚と、捕まえられた太陽
異世界四十六日目。 黒く焼き締められた「温室の骨格」が、朝露に濡れて鈍く光っている。 今日はいよいよ、この骨組みに「透明な皮膚」を張る日だ。
「……グェ?」 グリーン1号が、積まれたガラス板の山を見て、不思議そうに首を傾げている。 無理もない。彼らにとって「透明なもの」といえば水か空気だ。こんな「硬い板」なのに「透けている」物質は、生物としての直感を狂わせるのだろう。
「触るなよ。割れたら怪我するぞ」 俺は巨鳥たちを下がらせ、エルムたちエルフの職人衆を集めた。
「いいか、ここからが一番の難所だ」 俺は一枚のガラス板を手に取る。 「こいつは光を通すが、衝撃には弱い。無理に押し込めば割れるし、隙間があれば冷気が入る。……そこで、これを使う」
俺は、テラコッタの壺を示した。中には、森で集めさせた大量の「松脂(まつやに)」が入っている。
「接着剤兼、隙間埋め(パテ)だ」
俺は右手の指先を壺に向け、《弱い炎》で加熱する。 トロリと溶けた松脂からは、森の香りを凝縮したような、鼻を突く強い匂いが立ち上った。
「見ててくれ」 俺は、柱に掘っておいた「溝」に、熱い松脂を流し込む。 冷えて固まる前に、素早くガラス板を溝に差し込み、上から木の枠(押し縁)で固定する。 最後に、ガラスと木の隙間を、再び溶かした松脂でコーティングする。
「……これで、風も水も通さない」
エルムが、琥珀色に固まった松脂と、そこに固定された透明なガラスを、まじまじと見つめた。 「樹液で、石(ガラス)と木を繋ぐのか……。なるほど、理に適っている」
「よし、やるぞ。俺が松脂を溶かす。お前たちはガラスをはめてくれ」
作業が始まった。 俺が《炎のグルーガン》となり、次々と松脂を溶かして溝に塗る。 エルフたちは、恐る恐る、しかし正確にガラス板を運び、溝に嵌め込んでいく。
カチャリ、カチャリ。 ガラスが木枠に収まる硬質な音が、静かな森に響く。
彼らはやはり優秀だ。 「力加減」というものを熟知している。ガラスを割らないギリギリの力で押さえ込み、素早く枠を固定する。 最初はおっかなびっくりだった手つきも、十枚目を過ぎる頃には職人のそれに変わっていた。
昼過ぎ。 ついに、最後のガラス板が屋根部分に嵌め込まれた。
「……できた」
俺たちは、完成した温室の前に並んで立った。 そこにあるのは、黒い骨組みと、陽光を反射して輝くクリスタルの宮殿。 森の緑と土の黒さの中で、その人工的な透明感は、異質でありながら圧倒的な美しさを放っていた。
「……中に入ってみよう」
俺の言葉に、エルムとリア、そして狩人たちが頷く。 俺は、ガラスをはめ込んだ木枠のドアを開けた。
一歩、中に踏み込む。
「……!」
先頭のリアが、小さく息を呑んだ。 続いて入ったエルムが、驚愕の表情で周囲を見回す。
「……暖かい」 誰かが呟いた。
外は秋の風が吹き始め、肌寒さを感じる気温だ。 だが、このガラスの箱の中は違った。 まるで春の真昼のように、ポカポカと暖かい。いや、少し汗ばむほどだ。
「なぜだ? 火を焚いているわけでもないのに……」 エルムが、俺に問いかける。
「『温室効果』だ」 俺は天井のガラスを指差した。 「ガラスは、太陽の光(可視光線)は通すが、地面が温まって出す熱(赤外線)は逃がしにくい。つまり……」
俺は掌を広げてみせた。 「ここは、太陽の熱を捕まえて、閉じ込める箱なんだ」
「太陽を……捕まえる……」 エルムは呆然と天井を見上げた。 風を防ぐだけではない。熱そのものを生み出し、維持する。 彼らにとって、それは「季節を支配する」魔法に等しい所業だった。
「これなら……」 リアが、温かい土の上にしゃがみ込んだ。 「これなら、トマトルも、薬草も、冬を越せます。きっと!」
彼女の瞳が、ガラス越しに差し込む光を受けてキラキラと輝いている。
「ああ。早速、引っ越しだ」
俺たちは、畑の中から特に生育の良いトマトルの株を選び、根を傷つけないように土ごと掘り起こして、温室の中へと移植した。 リアが持ってきた希少な薬草たちも、特等席に植え替える。
夕暮れ時。 作業を終えて外に出ると、外気は急激に冷え込んでいた。 だが、ガラスの向こう側――温室の中には、まだ昼間の熱が残り、トマトルたちが青々とした葉を広げている。
「……凄いものを作ったな」 エルムが、沈みゆく夕日を反射する温室を見て言った。 「お前の『農業』というのは……ただ土を耕すことではないのだな。自然の理(ことわり)を解き明かし、利用することか」
「まあな。楽をして、美味いものを食いたいだけさ」
俺はニヤリと笑った。 嘘ではない。だが、この「楽をするための努力」が、確実にこの森の文明レベルを引き上げている自覚はあった。
その夜。 ログハウスの窓から外を見ると、月明かりに照らされた温室が、闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。 それは、この過酷な異世界に灯った、消えない生命の灯台のようにも見えた。
これで、冬への備えは万全だ。 ……いや、待てよ。 俺はふと、温室の「床下」に埋め込んだテラコッタパイプのことを思い出した。 今は太陽熱だけで十分だが、真冬になれば、夜間の冷え込みはガラスだけでは防げない。 外部熱源――つまり「暖房」が必要になる。
俺の視線は、部屋の隅にある「黒い石(石炭)」もどきの岩に向けられた。 以前、山裾で見つけた燃える石だ。
「……次は、ボイラーか」
俺の技術開発(もとい、道楽)は、まだまだ終わりそうになかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます