6話

 次の日。一時間目の休み時間になってすぐに教室を出た。僕の足は特別教室棟の一番奥、天文部の部室に向かっていた。二階にある職員室の奥の渡り廊下を抜け、特別教室等に入る。廊下を曲がってすぐの階段を三階分上がれば、天文部のある五階だ。

 僕は息を切らしながら五階まであがり、左に曲がって一番奥の天文部の部室に入った。さんざん探して見つからないなんて、さすが亡霊と呼ばれるだけある、と心の中で愚痴る。スチールの棚を避けて部屋の奥にたどり着くと、そこにはいつも通り天城美空の姿があった。


「やあ、やっぱり今日も来たんだ」

 ソファに座った彼女はその細い右手を上げた。制服のシャツの袖をまくることはせず、しっかりと手首のボタンでしめた彼女は、そのシャツのかっちりとしたシルエットのせいで余計に細く見えてしまう。


「あの、天城先輩」

「なに?」


 僕は彼女に昨日のことを聞こうと、ソファの向かいに置いてあるパイプ椅子に座った。


「先輩も天文部だったんですか?」

「……誰から聞いたの?」


 先輩の声がワントーン下がった。一昨日のような棘のある声だった。


「クラスメイトの、噂で」

「……ふーん。そう……」


 先輩は足を組み替えて、ジッと僕を見た。


「そうだよ。私も天文部。元天文部、ってのが正しいか」先輩が言う。

「どうせ亡霊とかどうとか言ってるのも聞いたんでしょ」


 僕は黙ってうなずいた。


「……はぁ……」


 彼女は深いため息をついて、ソファに深くもたれかかった。


「ほんと、最悪」


 先輩はその黒い髪をかき上げて、窓の外を見る。今日は薄曇りで雲の向こうに太陽がそのぼやけたシルエットを映していた。


「……」

「……」


 先輩は黙ってしまって、部室に沈黙が降りた。僕はパイプ椅子に腰かけたまま遠くを見つめる先輩を見ていた。先輩は視線を窓の方から床に移した。僕の方を一瞬ちらりと見たが、すぐに視線を反らし、床板をじっと見つめる彼女のまつ毛はやはり長い。彼女は一度大きく息を吸い込み、吐く。そして頤を持ち上げて、下げた。


「あぁーーー!」


 突然の大声に僕は驚いた。彼女は床を向いたまま、振り絞るように声を上げていた。普段、大きい声を出さないからか、その声はかすれていた。


「……話すよ」


 掠れたままの声で彼女は言う。僕は頷いた。


「……私が一年生のころの話なんだけどね」



 ひらひらと、落ち葉が落ちてきた。木枯らしはその名の通り、うっすらと色づいていた葉を完全に茶色にさせて、その風で葉を落とさせた。僕も夏服を着ることはなくなって、もうすっかり季節は冬への準備を進めていた。

 スニーカーでアスファルトを鳴らしながら校門をくぐる。昇降口でペラペラの上履きに履き替えると、ひんやりとした感触が上履きから伝わってきた。夜の間に冷えたらしい。勢いよく締まる下駄箱の音に驚かされながら、教室の方へ伸びる廊下の方を見た。その奥では教師の声がまばらに聞こえる。もう授業は始まっていた。僕は珍しく遅刻をしたのだ。安い腕時計を見た。時刻は二時間目が始まって少し経ったくらいか。僕は声の聞こえてくる廊下に背を向けて反対側へ歩き出した。

 足を浮かせるたびに、潰れた上履きのかかとが中途半端に浮いて、パカパカと床を鳴らす。その音を響かせながら、僕は特別教室棟の階段を上がった。

 最上階の一番奥の部屋、天文部の部室を開ける。奥には天城美空が鎮座していた。


「明日は絶対に居てくれ、なんて言ってた割に、君が来るの遅いんじゃん」


 開口一番にそんな皮肉を垂れた先輩は、自分でもその自覚があったのか、


「ごめん、ちょっと嫌味だったね」と言って笑った。

「体調は、平気?」

「はい」


 僕をまっすぐ見てそう聞いた先輩は僕の返答に目を細めた。先輩はおいで、と手招きして先輩の隣のソファの空いているところを叩いた。ホコリが立つ。僕はおずおずと先輩の隣に腰かけた。案外柔らかいソファの感触がお尻を包んだ。


「意外と座り心地いいでしょ」


 そう言った先輩に僕は頷いた。


「眠い?」

「いえ、あんまり」

「寝れたの?」

「寝れては、ないですけど」


 そんな会話を交わすと、先輩はそっか、と呟きその体を僕の方に向けた。しゅるり、とソファとスカートが擦れる音がする。


「君が良ければ、だけど」


 そう言って先輩は自らの膝の上を指示した。


「……え?」


 僕がその意味が分からず困惑していると、先輩は眉をひそめて膝を叩いた。


「もう、察しが悪いなぁ。膝枕だよ、膝枕」


 僕は思考を停止させた。先輩の顔と膝を交互に見比べて、もう一度、え? と呟いた。


「……はぁ。……寝れないんでしょ? 膝枕貸してあげるから、ちょっと寝たら、って言ってるのっ!」


 その先輩の言葉に先輩の太ももを凝視してしまう。藍色のスカートの奥にある感触を想像して、僕は生唾を飲み込んだ。先輩の顔を見た。彼女の顔は真っ赤に染まっていた。


「……じゃあ、失礼します……」

「……」


 申し訳なさと、ほんの少しの興奮を覚えながら、僕は体を横たえて、頭を先輩の膝の上に乗せた。先輩の太ももはその腕同様に細く、骨ばっていた。決して寝心地がいいとは言えないが、その分安心するような匂いが鼻をくすぐった。

 そうしているうちにだんだんと眠気が来て、僕は目を閉じた。意識が微睡んでいく中、僕は昨日の先輩の話を思い起こしていた。


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