第48話 トーナメントが始まる前に

決勝トーナメントを前に、オイルの塗り直しや設備の点検が進む会場。

その一角、予選を一位で通過した城持高校の控えスペースで、ショートボブが似合う中性的な可愛らしさを持つキャプテン・雅桃花が、トーナメント表を見ながらマネージャーの嵐山を呼び止めた。


「ねえ嵐、ちょっと来てくれる?」


「え?今ちょうどお弁当買いに行こうとしてたんですけど…帰ってきてからじゃダメですか?」


買い物に出ようとした矢先に呼ばれた嵐山は、困ったように口元をゆがめている。


「次の対戦相手のこと、聞きたいの。お弁当なんて少しくらい遅れても平気でしょ?」


桃花は少し強めの口調で、振り返った嵐山の袖を引き寄せる。嵐山は苦笑を浮かべ、手に持っていた買い物袋をまとめた。


「はいはい、わかりましたよ。でもキャプテンが頼んだお弁当、売り切れてても知りませんからね」


そう言いながらボールバッグの持ち手にかけて桃花のそばへと歩み寄る。


遠目には華奢に見える嵐山だが、近くで見ると無駄のない筋肉があるとわかる。

マスク越しに覗く目元は、鋭い眉と柔らかな目尻が印象的。眼鏡の奥に整った顔立ちを想像できる。


桃花は普段、チームの中でも冷静で頼れる存在だ。

だが嵐山の前では、時折こうして甘えた仕草を見せることがある。仲間たちはそんな彼を「桃花の母親」と冗談めかして呼んでいた。


けれど桃花の胸の内は、冗談では済まされない。


彼にどうすれば好意を伝えられるのか分からず、ついちょっかいを出してしまう。


(あら、油断してるわね)


桃花はするりと嵐山の脇に腕を滑り込ませ、肩関節を決める。


「脇固めよ!どうだ!」


「ちょっと、ギブ、ギブッ!」


こうすれば自然に異性と密着できると兄から聞いたことがある。「やりすぎるなよ」と注意付きだったが、今はそんなこと関係ない。

桃花の心は嵐山とくっつきたい一心だった。


「油断しすぎよ!常に忍者は備えなくちゃ!」


「誰が忍者なんですか!もう!」


桃花はふざけてるように見えるが、これは試合前にリラックスする儀式みたいなものだ。


彼女の瞳はどこか真剣で、集中力もちゃんと感じる……と信じたい。


「で、嵐。次の相手は?」


嵐山はため息混じりに情報を伝えた。


「じゃあ、慌てて集めた情報から、確実な事だけを伝えますね。天照は……」


試合相手の天照学園のことを話しながらも、二人の間には柔らかな空気が流れていた。

桃花は情報を聞きながら、次の投球へのイメージを頭の片隅で描きつつ、嵐山にそっと身を寄せた。


「そっか、まあまあ強いんだね…油断しちゃダメってことだ」


「その通りです。決勝は一発勝負。どんな相手でも、ひとつのビッグスコアで勝敗は変わりますから」


嵐山は軽く微笑み、素早く立ち上がると、買い物袋を手に小走りで控えスペースを後にする。


「あ……」


励ましの言葉はなかったけれど、嵐山の存在は試合に臨む桃花の心を確実に軽くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る