第九話 前線砦にて 憧れと喪失と

雪焔の過去について語った野営地を夜明けとともに出発した静焔たちは一路、前線の砦へと歩を進めていた。

 そうして日が傾きかけたころ、何となく見慣れた景色が現れたと思った霆華が隣を歩く静焔へ声をかける。

 「―そろそろですかね」

 「そうだな。ここで下ろそう。これ以上近づくと見つかるかもしれない…」

 そういって静焔は上空に向かって大きく手を振った。

 遥か頭上、紫がかった空を見上げていると、その視界の中心に小さな黒い点が現れた。その点は少しずつ大きくなっていく。見えている点の大きさに対して、今いる場所にたどり着く時間のかかりようは、その点の主が相当な大きさであることを示している。

 ズドン、と初めに地上に降り立ったのは身の丈が霆華の倍以上ある大きな熊の死骸だ。森で彼が仕留め、丁寧に血抜きをして鮮度を維持している。そして、この巨大な熊をここまで運んできたのはその数倍は大きな漆黒の馬――馬順であった。

 熊の死骸の傍に降り立った彼は、しゅるしゅると齢10ほどの少年の姿に変わる。

 「ったくよー。人を荷物持ちに使いやがって」

 馬順が悪態をつく。ここまでの道中で何度か聞いたその言葉に、静焔と霆華は肩をすくめる。

 「まぁ、そう言わんでくれ馬順。お前が居てくれるからこの大物を解体せずに最高の状態で砦まで運べる。本当に感謝しているよ。それに、あと少しだ。ここからは馬になって運ぶ必要はないぞ」

 「マジかよ。じゃあもうこそこそ隠れながら飛ばなくてもいいんだよな!いやぁー気が楽だぜ」

 静焔がむくれる馬順を宥め、少しは機嫌が直ったようだ。あの馬の姿になると隠れて移動しなければならず、結構不便らしい。

 「でも、お前なら何かに見つかって、仮に襲われたとしても余裕なんじゃねぇの?」

 霆華が思った疑問をそのまま口にすると、馬順は、はぁーと心底呆れたようにため息をつく。

 「おめぇさ、人間相手に本気の殺し合い、したことねぇだろ?」

 「それが、何だってんだ」

 「分かってねぇなぁってこと」

 馬順は心底不愉快そうに話し始める。その顔には強い後悔が滲んでいた。

 話し込む二人の様子を眺めていた静焔は、それが一区切りついたところで号令をかける。

「ようし、それじゃあ前線の砦まで、あと少し歩いていくぞ。――あ、馬順。その熊、担いできてくれよー」

 「はぁ!?結局そうなるのかよぉ~」

 再び悪態をつきながら、渋々といった様子で馬順は熊を担ぐ。

 「しゃーない。もう少し歩くってんなら、おめぇに“強者の苦悩”ってやつを教えてやるよ」

 何となく上から目線な馬順の態度を気に食わないと感じながらも、霆華は道中の手慰みに聞いてやることにした。


 「――いいか。例えば俺がお前に見つかって、お前を殺したとするだろ?」

 馬順の“強者の苦悩”とやらは、突拍子もない例えば、から始まった。

 「何をそんなあっさり言ってくれてんだ。そう簡単にやられるかよ」

 咄嗟に出てきた霆華の反応が予想外だったのか、馬順は驚いて目を丸くする。そして少し戸惑うように答えた。

 「いや。実際簡単じゃねぇ…?」

 何を言うか!と霆華はさらに抗議の声を上げるが、馬順がこれ以上取り合わいようだったため、やり場のないその矛を収める。

 「もういいか?で、こっからが人間の厄介なところなんだが…。一人を考えなしにやっちまうと今度は少し大きな組織が動く。お前らが言うナントカ部隊あたりの奴らが出てくる。そして、そいつらを返り討ちにすると、今度はもっとデカい組織が動いて、結果的には全世界を敵に回すことになっちまうっつー寸法だ」

 なるほど、と霆華は納得する。馬順の力は間違いなく強者だ。しかしどれだけ力を持っても、自分の思い通りにできることは酷く限定的で小さいもの。そのもどかしさは、なまじ強者故に痛感するところだろう。

 「苦労してんだな、お前も」

 「おうよ。だからもっと俺を敬いやがれぇ」

 同情はするが、この性格だけはイマイチ好きになれそうもない、と思いながら霆華は一行とともに道中を急ぐ。 

 

 静焔たちが砦に到着したのは空がやや赤く変わってきた頃。静焔らの到着が知らされ、見るからに堅牢で巨大な門がゆっくりと開き始める。

 「そういえば、俺、ここで会いたい奴がいるんっすよ」

 じれったく続くこの間を埋めるように、霆華は話し始め、静焔は興味深げに呼応する。

 「会いたい奴?誰のことだ?」

 「佐治の兄貴っすよ」

 あぁ、佐治か!と合点がいったように静焔は頷く。

 「なぁ、仲間外れにすんなよ。誰だぁその、“さじ”ってのは」

 「佐治はうちの部隊の弓の達人だよ。“左砲の佐治”なんて呼ばれてた――」

 振り向いて話す霆華の後ろで、莫大な重量を感じさせる音とともに門が開ききる。

 その音ともに、再び前を向き直した霆華は背中越しに馬順へ語り掛ける。

 「佐治はすごい奴だ!俺に弓を教えてくれた恩人さ」

 


「静焔様ぁぁぁぁぁ申し訳ございませんんんん!!!!!!」

 目の前で泣き崩れながら額を打ち付けて土下座する男を、静焔と霆華は若干引き気味に眺めていた。

 赤褐色の鎧を身に着け、そこから生える見事に鍛え上げられた二本の上腕は、まるで赤子の頭部がくっ付いているかのように丸く固く隆起している。

 砦に入った静焔らは、男女合わせて60人ほどが詰める広間へと通された。腕に覚えがありそうな勇ましい表情の戦士らが立ち上がって静焔らを出迎える。

 その彼らの前で、この男――砦の防衛隊長は両目と両鼻から液体をまき散らしながら静焔に向かい謝罪の言を畳みかける。

 「この宋健。静焔様よりこの地の防衛隊長を拝命してから3年。そのご期待に応えようと粉骨砕身、お役目に邁進してまいりました。しかし!此度は貴殿の大切なご息女様を守り切れず、あまつさえ…うぅ……未だ連れ戻すことも叶わず……うぅ…うぅ…」

 嗚咽交じりに宋健と名乗る男は重ねる。まぁ、この地の者をまとめ上げるのがこの者の役目だとすると、雪焔の一件に少なからず責めを受けるのは致し方ないかもしれない、と霆華は考えるが、それとは真逆の言が隣から響いた。

 「いやぁ~。おっさんのせいじゃねぇだろ。明らかに雪焔っつー女の暴走じゃねぇか」

 緊張感なく、飾ることもなくそう語った馬順を宋健は睨みつける。

 「そなた、雪焔様を侮辱するか!何者かは知らぬが聞き捨てならぬ!いまこの場にて断罪いたすぞぉ」

 ゴゴォ…と先ほどとは打って変わって強い敵意を剥き出しにしながら馬順を睨みつける宋健を、まぁまぁと静焔が間に入って宥める。

 「宋健。此度の一件は私の娘――雪焔の不徳の致すところだ。貴殿が責めを感じる必要はない。むしろあの一件のせいで、本来であれば解かれるべきここの護衛の任を皆に継続してもらってしまっている。本当にすまない。労いを込めて、こんなものを持ってきたぞ!」

 そういって静焔が馬順に合図を送ると、馬順は目の前の卓に熊の死骸を放り投げた。部屋にいる者たちから感嘆の声が上がる。

 「これは…なんと見事な……」

 「この熊は、霆華が独力で仕留めた。首元と足以外に大きな傷はない。間違いなく最高の状態で持ってきたゆえ、ぜひ皆で食してほしい」

 小さな感嘆の声が、静焔の言をきっかけに大きな歓声へと変わった。

 「静焔様…。度重なるお心遣い、痛み入ります。このような上質な肉。久しく目にもしておりませんでした。今宵はささやかながら宴を催します故、ぜひご参加くださいませ」

 「あぁ、楽しみにしているぞ、宋健。馬順、悪いがあの熊を調理場まで持っていってやってくれ」

 「えぇー。俺、もう十分運んで…」

 いいから行け!と静焔に気圧され、馬順は渋々その言に従う。

 ひょいっと、軽々と熊の死体を持ち上げた馬順は、呆気にとられる視線を気にせず調理場へと案内されて奥に消えて行った。

 「…あれは、一体何者なのですか?」

 宋健が呟くように問いかける。うーん、と眉間にしわを寄せ、顎を撫でながら静焔は答える。

 「ここに来る途中で一悶着あってな。なんやかんや同行者になった。魔軍に会いたがってる」

 「なんですとっ!魔軍の間者ではございませんか」

 いやぁ、そういうわけじゃ…と静焔はますます眉間のしわを深くする。馬順が魔獣で、元の世界に帰りたがっている、なんて言っても信じてもらえないだろう。

 「と、とにかく、あいつは魔軍の間者などではない。一度手合わせした私が言うのだ。信じよ」

 「何!静焔様が直接手合わせを!?それにしては彼奴は元気そうな…」

 「て、手加減というものだぞ宋健。私とてたかだか齢10の子供に手心を加えぬほど幼稚ではない…」

 まぁ、こっちが負けかけたんだけどね、とは口が裂けても言えない静焔は必至に取り繕う。この場に馬順が居なくて良かったと心から安堵した。

 「なるほど、左様で…。静焔様がそこまでされたのでしたら、私も信じますぞ。馬順様、彼も客人としてもてなさせていただきます」

 うむ、よろしく頼む。と必死に威厳たっぷりに答える静焔を憐れむように、ななめ後ろにいる霆華は苦労人のその背中を眺めていた。


 

 「すごいな…」

 霆華は目の前に広がっている光景に思わず声を漏らす。

 先ほどまで60人ほどが詰めていた広間には、一体どこに隠れていたのか、100人を越える人間たちがひしめき合っていた。体格の良い戦士風の人間が大半だが、よく見ると白い前掛けや薄汚れたつなぎを着た人間も見える。しかし、周囲を見渡しても佐治の姿は見えない。

 皆、一様に、山と積まれた赤々しい肉の塊に目を輝かせていた。彼らはそれを熱した鉄板の上に置き、火を通して食べている。

 こんなにも多くの人が協力して守っている場所なのか、と霆華は初めての前線砦の様相に関心と強いあこがれを抱いた。前線への配属は大戦時ごとに決まる。つまり、そのたびに異なる面子が異なる前線砦を築き上げる。自分が前線へ配属されたときにも、このように皆がまとまり、己の職責に真摯に向き合い、探求できる場所を作りたいと、彼は自分の未来を強く想像していた。

 「なぁ。おめぇは肉、食わねぇのか?」

 不意に横から話しかけられ、霆華はふと我に返る。

 この場の圧倒的な人と肉の熱量に、若干当てられていたようだと頭を振り、話しかけてきた馬順へ答える。

 「あ、あぁ。そうだな。どんどん食べるか。なんてったって自分で獲った獲物だ。きっとうまいぞ」

 「次に獲るときはてめぇで持ち帰られる大きさにしろよな」  

 隣から馬順が恨めしそうに言ってきた言葉を霆華は聞こえないふりをしてやり過ごすと、肉を一切れ鉄板に落とす。

 「あー。この音!この匂い!!たまんねぇな。馬順、お前も食えよ」

 「いや、俺はいらねぇ」

 「なんでだよ、腹減ってないのか?」

 「そうじゃねぇよ。もっと旨そうな匂いがしてるからな。そっちを食うわ」

 「ここに、この肉以上の御馳走がある?そんな馬鹿な話…」

 「あるんだよ、まぁ、おめぇはまだ未熟みてぇだし、この匂いには気づけねぇだろうけど…。あのオッサンはなーんか感じてるみてぇだけど」

 そういって馬順はスンスンと鼻を鳴らす。聞き捨てならないことを言われた気がするが、今は目の前の肉が大事だ。

 「やっぱり変な奴だなぁ、お前」

 霆華はそれだけ言って、バクバクと目の前の山を崩し始めた。

 

 「よぉ、霆華。小せぇくせに相変わらずよく食うな!小さいのにな!」

 調子よく肉を口に運ぶ霆華の耳に、聞き覚えのある快活な声が飛び込んできた。

 「相変わらず人のこと小せぇ小せぇ言いやがって…。高斎の木偶が…」

 自らが高斎と呼んだひょろりと長身な男を、霆華は睨みつけながら見上げる。

 「まぁまぁ、そんなに睨むなって。久々なんだし、楽しくいこうや」

 自分から突っかかってきたくせに…と霆華は不満を抱くも、悪友との久々の再会の喜びが勝った。

 「――いいところだな、ここは」

 霆華は改めて周りを見渡すとしみじみとつぶやく。

 「あぁ、俺も今回初めて招集されたけどよ。特に宋健様がすげぇんだ。武の技巧もさることながら、なんつーか、“漢”って感じでよ」

 「なるほど、お前の目標ってことね」

 「まだまだ遠く及ばねぇけどな。未だに一本どころか掠らせてももらえねぇ」

 そんな他愛のない話をしながら、霆華はこの広間に通された時からの問いを高斎へ投げる。

 「そういえば…ここに佐治は来ていないのか?」

 ギョッと、急に高斎の瞳が見開かれ、息をのむ音が聞こえる。

 少しの沈黙の後、霆華と目を合わせることもなく高斎は小さく息を吸った。 

 「あぁ…佐治は…」

 意を決して開かれたと思われた高斎の口は再び閉じられる。重苦しい雰囲気を醸し出した。熱せられた鉄板の上で、肉は黒く焦げ始め、その匂いが味覚に変わったのか、霆華の口内に形容しがたい苦みが広がる。

 「まぁ、直接会ってみてくれ。俺の…俺たちの口からあいつのことを語ることはできないからよ…。あいつは多分、鍛錬場に――」

 「あ!!見つけたっ!!」

 高斎の言を遮り、馬順はそう叫ぶと椅子を倒しながら勢いよく立ち上がり、どこかに駆けだしていった。

 「ちょ!馬順!どこ行くんだ!―すまない高斎。教えてくれてありがとう!」

 霆華は早口でお礼を言うと、慌てて馬順の後を追いかけて広間を後にする。

 その背中を見送りながら――、

 「辛いなぁ…。こういう現実はよ……」

 ――高斎はぽつりと独白する


 「おいっ!おいってば!ちょっと待てって!!」

 ようやく馬順に追いついた霆華は、強引に腕を引き立ち止まらせる。

 「はぁ、はぁ…。ったく、何だってんだお前はっ!!ただでさえ得体のしれないお前がこんな事したら、余計に怪しまれるだろうが!」

 苛立たし気に霆華は馬順に詰め寄る。この砦の人たちに、余計な迷惑をかけたくはない。

 「んなこと言ったってよ。旨そうな匂いの元を見つけたんだ。黙ってらんねぇだろ!」

 旨そうな匂い…馬順はそういうが、彼らがいる場所は馬順が案内された調理場とは正反対の場所だった。

 「こんなところに、旨いものがあるのか?」

 ますます、理解が及ばない馬順の奇行に、霆華は戸惑うことしかできない。

 「話はもういいだろ。さっさと行くぜ。その手を放しやがれぇ」

 腕をつかんでいた手を強引に振り切られ、霆華は慌てて馬順に話しかける。

 「ま、待てって。俺も一緒に行くから。お前ひとりじゃ心配だ」

 勝手にしろ、と言って馬順は先へ進みだす。走りださないのは霆華に気を使っているのか、それとも目的地はもうすぐそこだからか…。

 一つ目を曲がり、まっすぐな廊下を歩いていると、先が見えない角の向こうから、少しずつ何かを叩くような音が聞こえてきた。

 「――ん?何か聞こえる…」

 「こりゃあ、木で木を叩いてる音だぜ」

 馬順の言う通り、近づくほどに大きく、はっきりに聞こえてくる音は、屋敷で何度も聞いた木刀で丸太を叩いている音のようだった。その苛烈さ、必死さ、そして、わずかな焦燥が音に乗って霆華の芯に伝わってくる。

 霆華と馬順が二つ目の角を曲がると、廊下の奥は薄暗い闇で隠されていた。

 先が見えない不安が一瞬、霆華の脚を鈍らせるが、馬順は気にせずにズンズンと前へ進む。引っ張られるように歩を進める霆華は遂に薄暗闇の向こうの景色をみる。

 ――目の前には屋敷の演習場を模したような空間が広がり、高い天井から月明かりが差し込む。

 ――その空間の中心には何百と真新しい傷跡を付けた丸太が杭に刺さって地面から生えている。

 ――丸太から3歩ほどの場所に、長い髪を無造作に下ろした青年が血の滲む右手で木刀を握っている。

 「佐治……」

 霆華は、汗を拭うこともなく先ほどまで熾烈な鍛錬に打ち込んでいたであろう者を見て呟く。

 垂れ下がった髪の隙間から覗いた、不気味なほど鋭い眼光が霆華を睨むように向けられる。その目に一瞬、僅かな憎しみの感情が横切った。

 「霆華…か…。久しいな…」

 息も絶え絶えなその青年は、ゆっくりと体を霆華の方へと向ける。

 「へぇ…これはこれは……」

 馬順は興味津々という表情を隠そうともせず佐治へと向ける。

 やがて完全に正対した佐治を見て、霆華は呼吸するのさえ忘れ、立ち尽くす。

 その右腕は使い込まれ、ボロボロの木刀へとつながり、


 左腕があるはずの空間には、空虚が広がっていた――。


 「佐治…お前……その腕…」

 絞り出すように声を上げる霆華に、佐治は己の左腕があったはずの場所へと視線を落として答える。

 「あぁ、先の大戦でな。持ってかれちまってよ。今はこんな様さ」

 表情だけでなく、声色にも何も乗っていない。実に淡々と、どこまでも白く、佐治はそこに立っていた。


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