第二話 三次元を超える世界

 大学の研究室に着くと、リュミエールが立っていた。彼女は僕たち一人ひとりにデバイスを配布していく。デバイスは金属製の腕輪型で表面には複雑な回路が刻まれていた。

 僕もリュミエールの手から受け取る。その時、彼女の指が僕の手をかすめた。すると、ふと懐かしいような温もりが蘇ってくる。思わず顔を上げると、彼女と目が合い、一瞬、時間がゆっくり流れているような不思議な感じがした。

(この感覚は一体何だろう……)

 ハッと我に返って周りを見たら、ソフィアとアッシュが、それぞれデバイスを手に取って、すごく興味深そうにしてる。特にソフィアは夢中で、デバイスを裏返したり角度を変えたりしながら、細部をチェックしている。

「すごいですわ。……外殻素材をグラフェンに変更した最新モデル!」

 彼女は興奮気味に分析を始めている。

「グラフェンって、どんな素材なの?」

 その機械マニアっぷりに圧倒されながらも、ソフィアに尋ねた。

「炭素原子が六角形の格子状に結晶化したものですわ。極めて薄く軽く、二層構造の採用でダイヤモンド並みの高度を実現し、電気や熱の伝導率も非常に高いのです……」

 ソフィアは嬉しそうに、怒涛の勢いで説明してくれる。

「ブランさんは、どこが気になりました?」

 彼女は目をキラキラさせながら質問してくる。デバイスの仕組みにも詳しいみたいだ。

「うーん。僕は粒子操作への理論反映が気になってるんだ。きっとM理論の具現化を、デバイスの解析システムに上手く組み込んでいるんだよね」

「そうですね! デバイスを製作するなら、解析システムのソフトウェアチューニングは大事ですね!」

 ソフィアが嬉しそうに相槌を打つ。彼女は知識豊富で、お互いよい話し相手になりそうだ。……一方、アッシュはデバイスを手に取りながら、ぶっきらぼうに言った。

「難しい話はいいから、早く使ってみようぜ」

 彼にとっては使えるかどうかが大事で、理論より実践重視だ。


 教授が研究室の開講を宣言して、デバイスの使用方法について説明を始めた。

 外国の方だなとは思ったが、流暢な外国語で話し始める。研究室だと専門用語が多いだろうから、全て理解できるか不安がよぎったが、教授が最初に発した言葉に驚かされた。

「次元粒子を通したら、どんな言葉でも、理解して伝えられるはずです。使う前に、試してみてください」

 半信半疑でデバイスを起動すると、不思議なことに、教授の外国語が母国語のように頭に直接響いてくる。まるで言語の違いという壁が無くなったような感覚だ。

 そして、教授は本題にはいった。デバイス本来の機能を説明する。

「このデバイスは、全ての次元を粒子のレベルで、見ることができるようにするものだ。粒子を認識することは、ある程度の才能があれば大丈夫。まずは粒子認識をしてみよう」

 教授の指示を受けて、デバイスの粒子認識モードをオンにする。

「おおぉ!」

 思わず声が漏れた。視界に様々な色の粒子が浮遊し、まるで宇宙空間にいるような幻想的な光景が広がる。

 アッシュも同じく起動して声を上げた。

「おっ」

 彼にとっては視覚効果よりも「使えるかどうか」の方が重要らしく、驚きは控えめだ。

 しかし、ここからが本番だった。

「デバイスには、次元粒子の操作機能もある。空間の粒子の動きを活発にできるんだ。粒子が動くと、熱みたいな色んなエネルギーが発生する。でも、粒子を操作するには、かなりの才能が必要だ。……実際にやってみて、感じてもらうのが早いだろう」

 そう言うと、教授はリュミエールに目配せした。彼女がうなずき、自分のデバイスを起動して粒子操作を始める。……すると研究室内の空気が変化し、可視化された粒子が周囲でキラキラと輝き、動き、流れ始めた。

「上手な粒子操作……すごいですわ……」

 ソフィアが目を細めて、デバイスを通して認識される粒子を見つめながら、感嘆の声を上げる。続いて、僕たちも実演を求められた。

「デバイスを使って、特定の空間の粒子運動を高速化してみましょう」

 教授の指示に、アッシュが早速手をかざす。

「やってみるか、って……どうすりゃいいだ?」

 しかし何も起こらない。アッシュは首を傾げている。

 僕もデバイスを粒子操作モードにした。そして意識を集中し「イメージが大事だ」と自分に言い聞かせながら、頭の中のイメージを明確にした。……すると、目の前の粒子の輝きが流れていき、徐々に速くなっていった。流れの中心が熱くなっていくのを感じた。

(……そうか……これが、父さんの見ていた世界なんだな)

 僕は今日「三次元を超える、四次元から十一次元」を認識した。次元粒子に対する理解が一気に深まり、知らない世界に踏み出した気分だった。


「ただいまー」

 玄関を開けると、すぐにキッチンの方から明るい声が返ってきた。

「お帰りなさい! ブランくん、アッシュさん!」

 キッチンで洗い物をしていたらしく、ステラが手を拭きながら迎えてくる。今朝と同じ笑顔。まるで、この家にずっと住んでいたかのような馴染みっぷりだ。

「おかえりって言うけどな、お前ここの住人じゃねぇだろ」

 アッシュが眉をひそめる。今朝のやり取りを思い出させる嫌味な言い方だ。

「もう! アッシュさんは冷たいです! 昨日は泊めてくれたじゃないですか!」

 ステラはぷくっと頬を膨らませる。その仕草はまるで子犬がすねているようで、どうしても怒りが持続しない。

「一日だけ泊めてくれって言ってたよな。泊まり続けるなんて聞いてねぇ」

「二人ともその辺にしときなよ。晩ご飯、何か作ろうか?」

 僕が仲裁に入ると、ステラがぱぁっと顔を輝かせた。

「やった! ブランくんのご飯楽しみです!」

 夕食を食べ始めると、ステラがまた聞いてきた。

「ブランくんのお母さんって、どんな方だったんですか?」

「昨日も話しただろ。しつこいぞ」

 アッシュが即座に反応する。

「だって気になるんだもん!」

 ステラは少しすねたように唇を尖らせたが、流石に話は止まり、静かな食事となった。


 風呂も終えて、部屋のベッドに横たわり天井を見つめながら、ステラのことはどうしたものかと考えていた。

 すると不意に部屋のドアがノックされ、慌てて起き上がった。

「はい?」

 ドアが開き、ステラが顔を覗かせた。薄手のキャミソールワンピースで、昼間の姿と違い妙に艶かしい。見た瞬間、ドキッとして目をそらした。両親が亡くなってからは、生きることのに精一杯で、女の子と付き合う余裕もなかった僕には十分刺激的だった。

「あの……ちょっとお話いいですか?」

「……うん。いいよ」

 ステラが部屋に入って来ると、何故か緊張した様子でベッドの僕の横に座った。ポニーテールをほどいた髪が肩からさらりと落ちる。

「お母さまのこと……やっぱり気になります。……もっと教えてくださいませんか」

 話し方も何だかおしとやかだ。……というか、なんだか、大人ぶってる感じがいっぱいだ。……いたたまれない雰囲気と、母さんの話題の両方を変えたいと思い、少し意地悪っぽいことを言った。

「それよりさ……パンツ見えそうだよ」

「えっ!」

 ステラは慌ててスカートの裾を押さえ、顔が真っ赤になった。

「ちょ……! そんなんじゃなくて! あわわわ……」

 あたふたして耳まで真っ赤だ。

「ぷっ……冗談だよ」

 思わず吹き出してしまった。いつものステラに戻っていた。

「でも、そういう恰好で、男の部屋に入るのはよくないと思うよ?」

「……ごめんなさい。……普段の軽い感じじゃなくて、落ち着いた大人の女性の雰囲気で話せば、もっと教えてもらえるかもと思って……」

 ステラはちょっとしょんぼりしている。

「でも、どうして、そんなに母さんのことばかり聞くの? 何か理由があるの?」

「えっと……それは……」

 ステラは困ったように、目をそらし言葉を濁した。

 僕は一息いれて、咳払いをした。

「君の事情をきちんと説明してくれないと、このまま泊めておく訳にはいかないよ」

 真顔で伝えると、ステラはうつむいて黙り込んだ。……そして彼女が口を開いた。

「わかってます。……でも、今はまだ話せないんです。……ごめんなさい」

「なんで話せないの?」

「あたしの故郷に関わることで……言葉だけで信じてもらうのは難しいからです」

 彼女の表情に影が落ちた。少しの沈黙の後、ステラが顔を上げた。

「今度、ちゃんと全部話します。その……信じてほしいんです」

 その眼差しは真剣だった。嘘をついているようには見えなかった。

「……わかった。信じるよ」

 僕の返事を聞いて、ステラは深く息を吐き、その表情には安堵の色が浮かんでいた。

「ありがとうございます!」

 ステラは立ち上がり、頭を下げ、そのまま顔も上げずに続ける。

「あと、家出して捜索願が出てるとか、悪いことして逃げてるとか、そんなご迷惑をかけることはありませんので! ちゃんと、教会……じゃなくて……実家には、ここに居ることも話してますので……」

「そっか」

 家族には連絡を入れていると聞いて、僕は少し安心した。

「今日は遅いから、もう寝ますね。……おやすみなさい」

 ステラはそう言って、すたすたと部屋を出て行った。


 その後も、ステラは使っていなかった両親の部屋に居ついていた。アッシュも文句を言いながらも、家族にはちゃんと連絡をしていると知って容認していた。

 とはいえ、ステラの「事情」については依然として不明のままだ。困っているのは本当だろうし、無理に話させるのも酷だと思うけれど。

 そんなことを考えていた矢先、大学の研究室で、デバイスを手にしたソフィアとゆっくり話す機会があった。

「ソフィアって、デバイスのことすごく詳しいね。まるで研究室で見る前から知ってたみたいだ」

「うふふ。……実は、父の会社がデバイスの開発を任されていて、ソフィもずっと見学させてもらっていたから……」

 ソフィアは少し恥ずかしそうに微笑んだ。お嬢様という出自は知っていたけど、まさかこんな最先端の機器開発に関わっているとは……。

「すごいな。じゃあデバイスの設計思想とか、構造とかもわかるの?」

「はい! 自分で機械製作するのが好きで、デバイス開発を見学しているうちに、製作にも関わらせてもらい、試作品を一台、ソフィ専用でいじらせてもらってまして……」

 ソフィアは、堰を切ったように話し始めた。普段の少し気の弱そうな印象とは全く違う、まるで別人のように生き生きしている。でもそのおかげで、ソフィアとは次元粒子技術の話を通して、すぐに仲良くなり、学内ではアッシュと三人でよく行動している。

「あっ……ご、ごめんなさい。つい熱くなって……」

 僕があまりにじっと見つめていたせいだろうか。ソフィアはハッと我に返り、顔を赤くしてうつむいてしまった。

「いや、気にしないで。むしろ面白いよ。僕も父さんの影響で、次元科学の勉強をずっと続けてきたから、そういう話のできる友達が欲しかったんだ」

 僕がそう言うと、ソフィアは青い瞳を輝かせ、嬉しそうにしていた。

「ねえソフィア、一つお願いがあるんだけど」

「はい。なんでしょう?」

「実は……今、家に女の子がいるんだ。ステラっていうんだけどね。何か困っているみたいなんだけど、なかなか事情を話してくれなくて。……女性の君だったら、彼女から話を聞いてあげられないかなと思って」

 少し唐突な頼みごとに、ソフィアは驚いたようだったが、すぐに子供を心配する母親のような表情になった。

「ステラさん……ですか? 困っているのですか。お家のことでしょうか? ……ソフィーにできることがあれば……是非」

「ありがとう。助かるよ! この週末なんて予定どうかな?」

「大丈夫です!」

 ソフィアは二つ返事で了解してくれた。


 週末、約束通り、ソフィアは僕の家に来てくれた。

「お邪魔します……」

 彼女は手土産の焼き菓子が入った箱を手に、少し緊張した様子で玄関に立っていた。

「いらっしゃい! ステラ・アークライトです!」

 迎えに出てきたステラが、大きな目を輝かせて駆け寄って行く。

「はじめまして。ソフィア・リーベルと申します。こちら、よければ皆さんで」

 ソフィアは丁寧にお辞儀をして、焼き菓子の箱を差し出した。

「わぁ、これって手作りですか! ありがとうございます! ソフィアさんは、初めてお会いする人にも、とっても優しい方なんですね!」

 ステラが語尾に合わせて、アッシュをじっと見ている。……アッシュが、黙ってそっぽを向いた。

(おっ……最近はステラも負けてないな……)

 ステラの「日頃のお返し」と言わんばかりの態度を見て、思わず笑ってしまった。

 そんなアッシュをよそに、ステラはいつもの調子を出していく。

「一緒に食べよう!」

 ステラはソフィアの手をぐいぐい引っ張ってリビングへ連れていく。その勢いにソフィアは「えっ、あっ」と戸惑いながら連れて行かれる。リビングに集まり、僕が淹れた紅茶と共に焼き菓子を囲むと、ステラはすぐにソフィアに質問攻めを始めた。

「ソフィアさんは学生さんなんですよね? いつも何を勉強してるんですか? それにこの髪色……すっごく綺麗! どうやってお手入れしてるんですか?」

 ……あっという間にステラのペースで、さっき会ったとは思えない仲になっていた。


「次元粒子技術を専攻してますが、……実は、デバイス開発にも関わっていて、これは自分専用で、調整を試行錯誤させてもらっているものなんです」

 ソフィアはそう言いながら、バッグからデバイスを取り出した。ソフィアの手にあるデバイスは、研究室で見たものよりも洗練されて見えた。自作の調整版と言っていたが、既製品以上の性能がありそうな風格を漂わせている。

「わぁ……! これソフィアさんが作ったんですか? すごーい!」

 ステラは目を丸くしてデバイスを覗き込む。その興奮ぶりに、ソフィアは少し圧倒されつつも、嬉しそうに微笑んだ。

「ええと……既製品ベースに調整しただけで。まだ試作段階ですが……もしよければ、ステラさんも触ってみますか?」

「いいんですか? 是非!」

 ステラが迷わず手を伸ばす。ソフィアは少し緊張した面持ちで、デバイスをステラに手渡した。ステラはデバイスを腕に装着し、ソフィアから簡単な説明を受ける。最初はおっかなびっくりだったが、スイッチを入れるなり、その表情がぱっと変わった。

「わっ! 見える……見えますよ! このキラキラしたのが粒子ですか?」

 ステラのセピア色の瞳が月のように輝いた。

 そして、彼女は目を閉じて集中し始めた。次の瞬間、目を開き、小さく「えいっ!」と気合を入れると、デバイスが反応し、粒子操作状態の信号を発する。

 デバイスを着けているステラには、粒子の流れがはっきり見えているはずだ。デバイスによって放出される粒子の流れが、彼女の目の前で舞い踊るように輝いているのだろう。

「えええっ?」「おおっ!」

 ソフィアとアッシュが同時に声を上げた。まさか初見で、ここまで適性を見せるとは、思いもしなかったのだろう。

「やったぁ! できた! あたしにも粒子操作できたんだ!」

 ステラは飛び上がって喜んでいる。宝物でも見つけたかのような大はしゃぎだ。

「ねえ、ブランくん! アッシュさん! 見て見て! 粒子が光ってたよ!」

 アッシュは呆気にとられているし、僕もステラの適性に内心驚いていた。

「すごいですわ! 初回でこんなに明確に、粒子操作できていることをデバイスが示すなんて!」

 ソフィアは興奮を抑えきれない様子で、ステラが起動するデバイスを覗き込んでいる。

「粒子認識値も安定していますし。……もしよろしければ、もう一度! 今度は焦点をもう少し明確に定めて……」

「うん! やってみるね!」

 二人はすっかりデバイス談義に花を咲かせてしまった。ソフィアがステラの「事情」を聞き出すという目的は、この予想外の展開によって棚上げになってしまったようだ……。

 僕は少し離れたところから、その様子を眺めながら、心の中で苦笑した。


 デバイス談義も終わり、ソフィアを家の前で見送り、いつものように手を振って、「また明日」と言い交わし、角を曲がるところまで見届けようとした時だった。

 ――突然――。

 路地から黒塗りの車が現れた。驚き硬直したソフィアの体が、車の中に引きずり込まれる。一瞬の出来事だった。ドアが閉じると同時に、車はタイヤを軋ませながら発進する。

「ソフィア‼」

 叫び声とほぼ同時に、僕とアッシュは駆け出していた。ステラも慌てて後に続く。しかし車は加速し、あっという間に遠ざかっていく。それでも諦めきれず走り続けたが、次の角を曲がった時には完全に姿を消していた。

「くそっ! 目の前で誘拐されちまうなんて」

 アッシュが道に手のひらを打ちつけた。その顔は怒りをあらわにしている。

「アッシュ、探そう!」

 思わず叫んだ。警察には通報したが、じっとしてなんかいられなかった。

「ああ! 行くぞ!」

 アッシュもすぐに応じた。その時、ステラの声が割り込んできた。

「あたしも行きます!  あたしだけ待ってるなんてできないよ」

 彼女の表情は不安げだったが、決意を秘めた声をだす。

「馬鹿言え!  お前みたいなのがいても、足手まといになるだけだ!」

 アッシュの拒絶は厳しいが、その声色には、彼女を心配する雰囲気が感じ取れた。

「でも……でも……」

 ステラはうつむき唇を噛んだが、すぐに顔を上げて言った。

「ソフィアさんの……デバイスの粒子を感じることができるかも……」

 ステラの言葉にハッとした。……そうだ。デバイスなら。

 ソフィアならきっと、次元粒子が居場所を知らせるヒントになると気づいて、デバイスのスイッチを入れたままにするはずだ。彼女が持ってるデバイスが出してる……次元粒子の影響……を別のデバイスで感じることができれば……。

「ついてきて!」

 僕たちは大学の研究室に向かって走り出した。

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