第二章 吸血鬼
ここから始まり、始めさせられる
「ここはどこだ」
何時ぞやに聞いた事があるセリフを吐き、僕は目覚めた。
「知ってる天井だ」
白い天井が僕の目に入る。上体を起こすと、壁に貼られたアニメのポスターが目を引いた。ここは紛れもない僕の部屋だ。自分の机の上にはこれまたアニメのフィギュアと新品同様だがホコリを被っている参考書が見える。
「どうやって帰ってきたんだ?」
昨日妖狐に別れを告げられてから家に帰るまでの記憶がない。意識を失って目を覚ましたら僕はしっかり寝間着に着替え布団を被っていたのだ。どういう事だと考えていたら足元が急にのそりと動いた。
「うわ、何だ!?」
僕は咄嗟に飛び起き、布団を引き剥がした。見るとそこには短髪白髪の少女が気持ちよさそうに体を丸めて眠っている。
次第に覚醒してきた頭が昨日の出来事を思い出す。
「この子が主の相棒となり共にあやかしを倒してくれよう」という妖狐の言葉。
そうだ。この子は妖狐の娘だ。確か名前はひぃだったか。
参ったな。こんなところを母さんに見られでもしたら誘拐したと思われて警察に突き出されるぞ。とりあえずこの少女に隠れてもらわなければ。僕は姉さんの頭をポンポンと叩き、起こそうと試みる。
「おーい、そろそろ起きてくれない?」
しかし、姉さんは気持ちよさそうに眠ったままで一向に起きる気配はない。このまま放置していたら見つかるのは時間の問題だ。とりあえずどこかに隠すしかないか。
辺りを見回すと、いつも布団を入れている押し入れがちょうどいい感じに空いている事に気付く。
よし、あそこに入れよう。
僕は姉さんをお姫様抱っこして運ぼうと膝裏に手を忍ばそうとした。
しかし———
「どこを触っている。この人間が!」
寝ていた姉さんがいきなり僕の方に回転したかと思うと、その勢いのまま強烈な右スレートを僕の下腹部に向けて放ってきた!
「ごぶぁ!」
天地を揺るがすような衝撃に僕は仰け反りそのまま後ろに倒れ込む。幸いな事に頭は枕で守られたが、下腹部の鈍痛が尋常ではない。
「な、何してくれてんだ」
腕組みをして僕を見下ろしている姉さんに震えた声を捻り出す。姉さんはしてやったりといった感じでフフンと軽く鼻を鳴らした。
「おなごに手を出そうとする不埒な輩(やから)がいたものでつい、の」
「つい、の」じゃないだろ。腹が痛い。今まで味わった事のない痛みだ。腹を腕で擦って必死に痛みを分散させる。暫しの悶絶。やがて痛みが落ち着いた頃、僕は一息吐いて布団に座り直し少女に弁解した。
「僕は別にお前をどうこうするつもりはねえよ。ただ隠したかっただけだって。女の子を家に連れ込んでる事がバレたら捕まるだろうが」
「別に捕まっても構わぬぞ。だってお前はひぃの愛する母さまにも邪(よこしま)な目を向ける程なのじゃからな」
その一言で途端に気まずい空気に包まれる。いや、だからあれは違うって。僕にあったのは困惑の二文字であって決して邪な気持ちを抱いていた訳ではないって。
と、とにかく話題を逸らさないと。この空気のままだと僕が認めているみたいになってしまう。
「あ、あー。と、ところでさ。姉さんって僕の前とあいつの前とで態度違わない? あいつの前ではそんな古風な言葉遣いしてなかったよね?」
「ふむ、話題を逸らしてきたか。穢らわしいお前にはお似合いの論法だな。まぁ、いいだろう。ひぃは母さまを尊敬しておる。あんなに素晴らしい母はこの世で二人と存在せぬわ。だから真似する。だから模倣する。それだけの事よ」
詰(なじ)り方に母さまの面影を感じつつ僕はなるほどと納得する。この子も僕達人間みたいな考え方をするんだな。僕もそういう時期があったものだ。よく仮面ライダーの真似をして遊んでいたっけ。姉さんに思いもかけない共感を覚え、少し姉さんへの好感度が上がる。
「でも何で母さまの前ではその言葉遣いをしないんだ? 母さまも娘に真似されてるのが分かれば嬉しいだろうに」
姉さんは押し黙ると、腕を後ろで組んで足をモジモジさせた。そして僕から視線を逸らして小声でポツリと呟いた。
「だって、母さまの前でやるのは恥ずかしいし……」
マジか。か、可愛い。
ついさっきまで相容れないと思っていた少女がふと僕の前で恥じらいを見せた事に図らずも愛らしさを感じてしまう。つい抱き締めたくなってしまう程の可愛さだ。僕から姉さんへの好感度が大きく上がる。
姉さんはそんな僕の顔を見て大層失望したらしく、深くため息を吐いた。
「全くこんな奴がパートナーだなんて先が思いやられるわ。お前よ、ここで油を売っていていいのか?」
姉さんのその言葉にハッとして、僕は枕元の目覚まし時計を見る。現在、時刻は十一時四十五分を指している。
まずい。僕の人生に関わる重大な出来事の期日が刻一刻と迫っている。三日後に死ぬ呪いをかけられた僕は、呪いを解くために武家屋敷へ向かわなければならない。
それを今更思い出した。
「そうだ。武家屋敷に行かないと!」
大分無駄話をしてしまった。
僕は急いで寝間着を脱ぎ、着替えるものを探してクローゼットを覗く。クローゼットには昨日着ていた学校指定のジャージが綺麗に畳まれて鎮座していた。適当に詰め込まれた他のボロい衣服の中に一際目立つ紺のジャージ。まるで「これを着て下さい」とでも言っているようだ。
それに着替えた僕は、急いでリビングに向かってダッシュする。
リビングでは母さんが消し忘れたのか知らないがテレビが点いていて、金髪の女の子が神隠しにあったというニュースが流れていた。
僕がテレビを消してパンを咥えると、姉さんも次いでリビングへ来て、急いで流し込む僕とは対象的にゆっくりもぐもぐ食べ始めた。その隙に一通りの支度を済ませて所持金数百円の財布を取り、それをポケットに入れて玄関へ向かう。
身支度よし、窓の鍵よし、元栓よし、蛇口よし、電気のスイッチよし、そして吸血鬼に立ち向かうという心の準備よし。
「じゃあ行こうぜ、姉さん」
「随分遅かったの。待ちくたびれたわ」
先程までゆっくり食べていた姉さんはあくびをしながら外に出る。
僕もまた覚悟を決めて外に出た。
「じゃあ、行ってきます」
そうして、真上から照りつける太陽の下で、僕達は武家屋敷に向かって出立(しゅったつ)した。
8月下旬の真昼。上からお日様がこれでもかと見つめてくる時間帯に長袖長ズボンのジャージとTシャツ一枚で歩いている。汗がダラダラ流れて止まらない。汗を袖で拭いながら隣を歩いている姉さんを見やる。姉さんはこの暑さを意にも介さず澄ました顔で歩いている。あやかしは暑さすらも感じないのか。少し羨ましいな。
「暑くない事はないぞ。大事なのは如何に効率よく発汗するかという事じゃからの」
姉さんをジッと見る僕の考えは筒抜けだったらしく、姉さんは「ほれ見てみろ」と体からブワッと蒸気を一気に発散させた。汗由来と思われる蒸気が姉さんの体を覆う。それは一瞬姉さんの体が完全に見えなくなるほどの量だった。
まるでビックリ人間だな、と言っても彼女は人間ではないのだが。
「いや姉さんよ。そんな事普通の人はできないって」
僕はあまりに荒唐無稽な暑さ対策に文句を吐いて、暑さで重くなっている足を引きずり前に進む。
「で、こっから武家屋敷まではどのくらいあるんだ?」
「ん? ひぃは知らぬぞ。お前が知ってるんじゃないのか?」
えぇ……。
てっきり僕は姉さんが知っているとばかり思っていたがそうではないらしい。手がかりは昨日見たあの地図のみ。持ち物は財布と家の鍵のみ。スマホも所持していなければ方位磁針すらなし。家に戻っても期待はできない。これはどこかで地図を調達しなければならないか。今は二千年代だというのにまるでやる事は昭和だなと僕は思わずため息を吐く。
「とりあえず地図がありそうなとこはどこだ?」
大通りに出て辺りを見回す。
しかし、周りには家、畑、家、畑、家、家、畑。頼りになりそうなものはどこにも見当たらない。どうしたものかと考えあぐねていると姉さんが唐突に口を開いた。
「時にお前よ。獲物を探す時の定石を知っておるか?」
獲物?
いきなりご飯の話か? ご飯ならさっき食べたじゃないか。
そう思った次の瞬間、僕はハッと気付く。
なるほど、その手があったか。
「お前も気付いたようじゃの。地面から探して分からなければ……」
「高い所から見れば良い」
僕と姉さんは顔を見合わせ同時に言った。この街で高い場所といえば一つだけ。
この街の中央にそびえ立つ、新狐山だ。
「まさかこんなすぐ来る事になるとはな」
新狐山の頂上、あの神社の目の前に僕達は来ていた。僕は長い階段の末に疲れ果て、階段に座って休憩している。二日連続でこんな長い階段を登るはめになるとは。吸血鬼を斃したらまたこれを登らないといけないのか。数十メートルはあろうかという参道を見下ろし辟易する。姉さんを見ると、彼女は全く疲れてないらしく木の上に登ってキョロキョロと武家屋敷を探している最中だった。
「どうだ? 武家屋敷っぽいものは見つかったか?」
「うーむ、分からん。どれもこれも似たような家屋ばっかりじゃ」
姉さんは木から木へと跳び移って探している。妖狐から見せられた地図は大分古ぼけていて地形も変わっていた。となるともう武家屋敷は取り壊されていて今は違う建物になっているのかもしれない。もしそうだったらほぼノーヒントで吸血鬼を探し回る事になってしまう。せめて手がかりでも見つかればいいのだが。
「何かそれっぽいものはあったか? 例えば広い庭とか高い塀とか」
「うーむ、それらしいものもないのう」
どうしたものか。全く手がかりが掴めない。
というか折角ここまで来たんだからまたあいつに地図を見せてもらえばいいんじゃないか?
僕は立ち上がり、神社の前まで歩いていった。
新狐神社は昨日の出来事を全く感じさせない程いつものように古ぼけて閑静に佇んでいる。
「妖狐さんいるー?」
呼びかけてみるが何の返事もない。無視でもされているのか神社の中からは物音一つ聞こえない。
神社の周りをぐるぐる回って様子を窺っていると、姉さんが木から跳び降りて僕の下まで戻って来た。
「残念だが、母さまに会うのは無理だぞ」
「無理? どういう事だ」
「母さまは夜にしか人間の前に姿を現さぬ。だから無理なのじゃ」
つくづく面倒な奴だ。じゃあ僕と姉さんの力だけで行くしかないって事か。
とにかく早く見つけなければ。僕達の目的は吸血鬼を斃す事であって武家屋敷を見つける事ではないっていうのに。
僕達が武家屋敷探しに手をこまねいていると階段の向こうから音が聞こえてきた。
足音だ。誰かがこちらに登ってきているらしい。
うわ、ヤバイ。
とにかく姉さんを隠さないと。例によって警察に突き出されないようにしなければ。僕は姉さんの方を見たが、姉さんは既にいなかった。一方、足音は僕の方に着実に近付いてきてやがてピタリとしなくなった。
「あれ? そこにいるのは妖田くんじゃないか?」
僕に呼びかける少々低い女性の声。
呼びかけるって、おいおい嘘だろ。まさかの知人かよ。
僕は急に話しかけられる事に慣れていない。なるべくなら挨拶だけして帰りたいものだ。ここは何とか笑顔で乗りきろう。
僕は精一杯の笑顔を浮かべて足音の方へ挨拶をした。
「こ、こんにちは。本日はいいお天気ですね」
それから先の言葉は続かず、会話は途中で切れてしまった。気まずい沈黙が辺りを包む。
暫しの静寂の後、僕がそそくさと帰ろうとした時、彼女がその沈黙を破った。
「ところで妖田くん。こんなところで何をしているんだ?」
僕がこんなところで何をしているのか。
正直に「吸血鬼がいる武家屋敷を探すためです!」などと言っても気味悪がられるだけだろう。そして気味悪がられるだけじゃなく、電波少年などと根も葉もない噂話に派生して陰口を言われるかもしれない。そうなったら僕の居場所はなくなってしまう。
そうならないために僕は「参拝しに来た」と嘘を付く事にした。
「こんなところに来る理由なんて一つしかないですよ。僕はこの神社に参拝しに来たんです。ほら、ここの神社は有名じゃないですか」
それから一拍間が空いて、彼女は腑に落ちたように頷いた。
ふーん、なるほど。そうだな。確かにここの神社は有名だ。何でも昨日の祭りは数千人が訪れていてこの神社の参拝客も数百人はいたのだとか」
良かった。このまま参拝に来た事にして押し切れそうだ。何とかこのままフェードアウトして上手い事立ち去ろう。
僕はバレないように少しずつ足を後ろに下げていく。
「で、妖田くん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます