私の「心の匂い」人外女子に効きすぎでは? ~マルチスピーシーズ心理学で全員幸福な異種族百合ハーレム、はじめます~
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第1話 心の匂いは、甘い混沌(カオス)の香り
(いつき視点)
「――以上のように、異種族間における非言語コミュニケーション、特に『嗅覚情報(フェロモン)』が情動に与える影響は、現代の共生社会において最も重要な課題(アジェンダ)の一つです」
退屈、とまでは言わないけれど、ちょっと眠気を誘う教授の声が、広い講義室に響く。
わたしの名前は
ここ、人間と人外が当たり前に共学する「薄暮学院大学」で、『マルチスピーシーズ(多種族横断)心理学』を学んでいる。
なぜこんな特殊な学問を選んだかって?
それはもう、わたしのこの体質のせいだ。
(……あ、まただ)
ちらり、と隣の席に視線を送る。
そこに座っているのは、大きな垂れ耳が特徴的な犬系獣人の男子学生。彼はもう十分(じっぷん)ほど前から、教科書でもノートでもなく、わたしの横顔を……ううん、正確にはわたしの首筋あたりを、恍惚(こうこつ)とした表情で見つめている。
(集中、集中……)
わたしが内心でため息をつくと、わたしの感情の揺れに反応したのか、ふわり、と自分でも分かるくらい「匂い」が濃くなった。
途端、彼の喉が「くぅぅん」と甘えた音を立て、尻尾(もちろん制服のズボンには穴が開いている)が椅子に隠れながらもパタパタと床を叩き始める。完全に講義が頭に入っていない顔だ。
これが、わたしの特異体質。
生まれつき、わたしの“心の匂い”が、どういうわけか人外の感情受容体にブッ刺さるらしい。
わたしがリラックスしたり、誰かに「親切だな」とか「可愛いな」とか、ポジティブな感情を抱いたりすると、周囲の人外(特に女性、なぜか)にとっては「極上のアロマ」あるいは「抗いがたい多幸感(ハイ)」になってしまうのだ。
幼い頃は大変だった。
猫系の獣人の子には「いつきちゃんのお膝は世界一!」と四六時中乗られ、小鬼(ゴブリン)の子には「いつき様の匂いがあればお腹空かない!」と崇(あが)められ、近所の森の精霊(ドライアド)さんには「あなたが来ないと光合成できない」と泣かれた。
わたしはただ、みんなと普通に仲良くしたいだけなのに。
私は自分の体質のことを必死になって調べた。
そして、見つけた。
この体質と向き合って、「みんなが幸せになる方法」を理論的に見つけるために、手がかりになりそうな学問を。
マルチスピーシーズ心理学は、様々な異種族が共存共栄するために、お互いが理解し合うための研究であり、学問である。
わたしのこの体質は、いわば『歩くマルチスピーシーズ心理学・実践フィールド』みたいなものだったのだ。
「――では、今日の講義はここまで。来週のレポート課題を忘れないように」
あっ! わたしの体質(フィールドワーク)に意識が飛んでる間に講義が終わってた。危ない危ない。
隣の犬系くんは、終了のチャイムで我に返ったのか、「はっ!? し、白羽さん! お、お疲れ様でした!」と顔を真っ赤にして荷物をまとめ、逃げるように教室を出ていった。
(うん、ごめんね。今日も集中させてあげられなくて……)
わたしもノートをカバンにしまい、ふぅ、と息をつく。
次の講義まで少し時間がある。お昼にはまだ早いし、中庭のベンチで少し予習でもしようかな。
***
薄暮市の空は、その名の通り、昼間でもどこか淡いオレンジと紫が混じったような不思議な色合いをしている。
中庭は芝生が綺麗に手入れされていて、あちこちで学生たちが種族の垣根なく談笑していた。
翼を持つ有翼人(ゆうよくじん)の学生が木陰で羽を休めていたり、体表が鱗(うろこ)のリザードマンの学生が真面目な顔で哲学書を読んでいたり。これが薄暮学院の日常だ。
わたしは一番お気に入りの、大きな楠(くすのき)の木陰にあるベンチに腰掛けた。
(さて、さっきのレポート課題は……『異種族間における"好意"の定義差異について』か。うーん、タイムリーだけど、難しいな……)
わたしが教科書を開き、うーん、と唸った、その時だった。
「――みーっけ!」
「わっ!?」
背後から、太陽みたいな声が降ってきた。
と、同時に、わたしの両肩に、ぽすっ、と柔らかくて温かい何かが乗せられる。
びっくりして振り返ると、そこには――
亜麻色(フラックスゴールド)のふわふわな髪。
太陽の光を吸い込んだみたいな、キラキラ輝く琥珀色(アンバー)の瞳。
そして、わたしの肩に乗っていたのは、彼女の頭。その頭頂部からは、ぴこぴこ動く、髪と同じ色の大きな『狐の耳』が生えていた。
「にひひっ。やっぱり『いい匂い』がするー!」
彼女は人懐っこい笑顔で、わたしの首筋にすりすり、と顔を寄せた。
「こ、コヨリちゃん!?」
彼女は、人文学部の留学生、九尾の狐のコヨリちゃん。
まだ修行中とかで、お尻からは立派な尻尾が三本、ふわっふわに揺れている。
典型的な陽キャの美少女で、誰とでもすぐ打ち解けるタイプ。そして距離感がバグってることで有名だ。特に、わたしに対しては。
「ち、近い近い! コヨリちゃん、講義は? サボっちゃダメだよ?」
わたしが慌ててやんわりと彼女の身体を押し返そうとすると、コヨリちゃんは「えー、いいじゃん別にー」と唇を尖らせた。
「だって、イツキの匂い、中庭の入り口まで、漂ってたんだし! こんなの、追っかけてくるしかないじゃん?」
「そ、そんなに匂う!?」
「うん! なんかこう、『超あったかい日向(ひなた)でお昼寝してる時の匂い』! 超最高!」
そう言って、彼女はわたしの肩に回していた腕をぎゅーっと強めた。
背中に、柔らかい弾力が押し付けられる。うわぁ……。
「コヨリちゃん、あのね。わたし、今からレポートの……」
「あ、それよりさー、イツキ! ウチの耳、触ってみてよ! さっきよりふわふわになった気がすんだよね!」
「え? あ、うん……」
話を聞いてくれない。
促されるままに、おそるおそる彼女の頭の上の狐耳に触れる。
(……わ、すご)
指が、沈む。
想像していた「毛」というより、もっと繊細な、極上の羽毛布団みたいな感触。そして、確かな体温がそこにある。
わたしが「わぁ、本当だ。ふわふわで気持ちいいね」と素直な感想を口にすると――
「ひゃんっ!?」
コヨリちゃんが、可愛い悲鳴を上げた。
ビクンッ、と全身が跳ね、わたしの腰に巻き付いていた(いつの間に!?)三本の尻尾が、ぶわっ!と毛を逆立てる。
「こ、コヨリちゃん? 大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないし……! イツキが……イツキがそんな『優しい匂い』させながら触るから……あぅ……」
彼女はわたしの胸に顔をうずめたまま、耳まで真っ赤にしてぷるぷる震えている。
琥珀色の瞳は潤んで、すっかり「デレ顔」だ。
(あちゃー……またやっちゃった)
わたしの「気持ちいいね(=好意)」の感情が、心の匂いとなって、コヨリちゃんの聴覚(と触覚)にダイレクトに作用しちゃったみたいだ。
それに狐族は耳が弱点だって、『マルチスピーシーズ心理学』の教科書にも書いてあったっけ。
「ご、ごめんね? びっくりさせちゃっ――」
謝ろうとした、その瞬間。
チリッ、と。
まるで肌を細い針で刺されたような、強烈な視線を感じた。
(……え?)
中庭の、向かい側。
ちょうどわたしたちとは対角線上にある、時計塔の影。
そこに、一人の女性が立っていた。
黒。
艶やかで、切りそろえられた黒髪のロングストレート。
クラシカルで、貴族の令嬢が着るような、黒いレースをふんだんに使ったドレス。
そして、こんなに日が陰っている場所なのに、彼女は黒いレースの日傘を差していた。
遠い。
遠くて表情までは分からない。
でも、彼女が差している日傘の影の奥で、二つの『深紅』が、爛々(らんらん)と輝いているのが見えた。
(わわ、目が、合っている。)
私は彼女を知っていた。
ううん、彼女を知らない者はこの学園にいないだろう。それくらいの有名人。
薄暮学院大学の大学院生。比較神話・伝承学専攻の、ルージュ・フォン・カーマインさん。
その正体が、高位の『吸血鬼(ハイブラッド)』であることは、学内では公然の秘密だ。
わたしと目が合った、と思った瞬間。
彼女の唇が、ゆっくりと弧を描いたのが、遠目にも分かった。
それは、笑み、と呼ぶにはあまりにも妖艶で――まるで、極上の獲物を見つけた肉食獣のような、獰猛(どうもう)さを含んでいた。
ぞくっ、と背筋に冷たいものが走る。
それと同時に、腕の中のコヨリちゃんが「うー……」と唸り声を上げた。
「……なんか、ヤな感じ。あの人、イツキのことジロジロ見てる」
「え?」
「ウチの『お気に入り』なのに……」
コヨリちゃんが、わたしの胸に顔をうずめたまま、ルージュさんの方を睨みつけて、威嚇するように小さく「ぐるる…」と喉を鳴らす。
(わ、わわわ……)
陽キャで距離感ゼロの九尾の狐。
影から妖しく微笑む、吸血鬼の令嬢。
わたしの「心の匂い」は、どうやら今日も絶好調(=厄介ごとを引き寄せる)らしい。
わたしの『マルチスピーシーズ心理学』の実践は、まだ始まったばかりだ。
(……みんなと平和に暮らしたい、だけなんだけどなぁ)
わたしは、腕の中のふわふわ(コヨリちゃん)と、遠くの深紅の視線(ルージュさん)の間で、思わず乾いた笑いを漏らすしかなかった。
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