20曲目 穏やかではない夜


どうしてこうなってしまった!?


俺は雪さんが俺の部屋のルームツアーを開始する中、頭の中で今の状況、流れを整理した。


まずは人物――


そのくらい焦っている。諸君も付き合ってくれ。

目の前に誰がいるのか、最初から整理していく。



雪さんは自他ともに認める熱心なコノミヲタだ。


大きなライブには欠かさず参加しているし、毎朝起きたら必ずタイムラインの七時七分キッカリ――コノミの誕生日の数字だけ合わせた時刻に「おはよう!コノミちゃん!」と一言添えて、コノミの画像を貼り付ける。推し愛に溢れる健全なヲタクだ。


そんな雪さんは今日のゲリライベントの朝イチに俺の彼女、柚季ゆずきさんになった。


お付き合いして癒してほしい、大切にされたいとのことだったがまだ彼女が俺の「彼女になった」実感は微塵も湧いていなかった。


ヲタクの間でも有名な可愛い系のヲタクだぞ?

飲むとコノミ好き好きしゅきしゅきに拍車がかかるが、それを帳消しにするほど本人に魅力が溢れていて容姿も完璧。



亜麻色の長い髪を風が優しく包……まないが、そんな髪。

桃色の片思い……をしていた彼女だ。


わからなかったら、父さん母ちゃんに聞いてみてくれ。きっとわかる。



まさか、今日のうちに実家挨拶まがいの夕食を共にして、コノミの正体は俺の実の妹の恋乃実このみであるとまで暴露した後、家中が寝静まる前のこんな時間に、俺の部屋で数々のグッズを物珍しそうに眺めている。



信じられるか?あの雪さんだぞ……?


ほんの十二時間プラス少々前までは「オニイさん」って呼ばれていた俺。


今は俺に彼女がいる。


人生何が起こるか本当にわからない。




「すごいね!こんなに綺麗に飾れるんだ!!!……って、孝晴たかはるくん?どうかした?」


 

今日隣で寝るらしい客用の布団、雪さんが休息を取る寝具をぼんやりと見つめていると、雪さんから本名で話しかけられた。


「まだ雪さんが彼女になったって実感が湧かなくて、ぼーっとしてた」


素直に雪さんに視線を移しながら、なんだか照れた言葉が出た。

自分でも本当の意味で気持ち悪くて、目を覆いたくなる自信のない弱い言葉だった。



「あーっ!またっ!」



雪さんがはち切れんばかりに、ぷくりと頬を膨らませて不満を表している。



「二人でいるときは柚季って呼んでほしいんだけど!!」



どうやら呼び名に不満があるようだ――


そんな些細なミスでも突っかかってくる雪さんと、こんな夜遅くに自分の部屋で会話ができていること――何度か夢見た光景だったので笑えてくる。



「ごめん、柚季さん。気を付けるから」

「それでよろしい!」


ご機嫌が直ってきたようで柚季さんが頷いている。


「さっき。どうせなら恋乃実とお風呂行ってきたらよかったのに、あんなに否定しなくても」


血相を変えて柚季さんが恋乃実とのお風呂を嫌がったので話題にしてみた。



推しと背中を流しあう、浴槽に二人きりで向かい合わせ。何なら恋乃実の事だ。妄想の範疇だが、手で器用に発射された水鉄砲を浴びながら、柚季さんが雪さんとして平常心を保ってられるか?という姿。


――全く想像ができないから、彼女が先延ばしにして逃げたことにも納得がいくのだが。



「だって。憧れの人だよ?? 孝晴君には妹かもしれないけど、私にとってはもう天使様みたいな」



恋乃実の二つ名が増えた。

太陽様、菩薩様の次は天使様らしい。



「そんなコノミちゃんの湯煙ぃゆけむりぃ~な姿を拝んでしまったら、もういくとこまでいっちゃう自信があるから、私なりに我慢したんだよ!これから仲良くしてもらうお姉さんとして、人間の尊厳は保っておくべき!」



雪さんは時折、気持ち悪い笑顔を浮かべながら俺につまびらかにした。


素直でよろしい。

そして、恋乃実が彼女にメチャクチャにされなくて本当に良かった。



「だね。じゃあ、心の準備ができた日にでも、また泊りに来てよ。きっと恋乃実も喜ぶからさ」


「うん。ありがと!」



笑顔で恋乃実のお姉さんになる覚悟を決めたらしい柚季さんの顔を眺めて、俺は微笑ましく思えた。



と、ここまでは建前――



この雪さんが柚季として俺の横に今晩眠るのだ。

今夜は何が起きても不思議ではない。




今一度、諸君にはお伝えしておきたいが、俺は女性の寝込みを襲ってしまうような男としての甲斐性は無い。そんな度胸や、それを見越したブツの準備、心の準備をもできていない。



だって、ほんの三十分前に柚季さんが俺の部屋で寝ることになったし!



当の柚季さんは母ちゃんや恋乃実から提案されたときはまんざらでもない顔をしていたが、俺の準備が何一つできていない。男としての彼女を部屋へ迎え入れる準備だ。





――若い男女





ひと部屋、夜――




どれを想像しても、行きつく先は「行きつくの関係」なのだ――






そんな準備、俺だけの都合で話を進めるが、全くできていない!!


ぱっとできるような俺であれば、今頃、貞操観念は大いに破綻しているはずの、ふざけた語り部なのだ!



例えば、試供品お試しの「ゴム風船」が確か机の引き出しに……なんて安い物語の中だけの話だ!



その他、気軽に友人に避妊具を渡されて大切に机の引き出しに温めておくなんて世界線があってたまるか!

大学生だからって女っけひとつ無ければドラッグストアの棚も遠目で素知らぬふりをして、通り過ぎるくらいの紳士。俺は健全な童貞だ!



そんなわけで、何があっても、アラレモナイ姿の柚季さんと一局、お手合わせを申し込むことはないので安心してほしい――


いや、諸君の中には期待するものもいたかもしれないが……。




少なくとも、俺は!


どうあがいても、俺は!!!


能動的に彼女と試合してドリブルして、最高のフォーメーションで、ゴールを決めるわけにはいかない。それだけは理性のあるうちに言っておく。



俺の人生で初めてできた彼女だ。

大切にしたい。


 

いや、これは理性のあるうちの俺の本音であって、物語上、公序良俗に基づく建前ではない。


信じてくれ。



だが……そして、俺個人の主観であって柚季さんと事前に示し合わせているわけではない――



だから、柚季さんが何を考えているのかは実際のところ、わからない……。





諸君、安心してくれ――



とんでもない夜になる。

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