命を刻む街で、僕は堕天の少女とモフと暮らしています
かさかさ
第1話 血の街と少年
鉄と薬草の匂いが混じる風が、朝の錬金都市バレムを満たしていた。
街の中央を貫く水路には、冒険者たちの靴音と荷馬車の軋みが響く。誰もが血と汗で働き、命を貨幣に変えて生きている。スタンピートで荒れ果てた世界の中で、この街だけは「死」を「素材」に変えることで生き延びてきたのだ。
冒険者が狩る。
解体師が解す。
錬金師が繋ぐ。
そうして人々は魔物と共に生きる術を覚えた。
その裏路地。冒険者ギルドの裏手に
煙突から白い煙が上がり、金属音と骨を切る音が絶え間なく続く。血の臭いに慣れていなければ、五歩も入らず吐き気に襲われるような場所だ。
「ヒロ! そっちはまだだ、先に腹膜を押さえろ!」
「は、はいっ!」
叫んだのは、工房の棟梁であり一級解体師のアリアナ・グラン。
血染めのエプロンを腰に巻き、鋭い視線で少年の手元を見つめている。
ヒロ・クロスライト、十六歳。解体師見習い。
細身の体を震わせながら、短刀で“とびウサギ”の腹を慎重に裂いていく。
赤黒い体液が飛び、刃先が臓器の境をかすめた。
最初の頃なら、その瞬間に顔面蒼白で吐いていた。しかし、今は歯を食いしばって作業を続けられる。
「……よし、いいぞ。その筋膜を切り離して、内臓袋を引き抜け」
「はい!」
アリアナは頷きながら、別の作業台で巨大な牙獣の首を解体していた。
力強く、迷いがない。彼女の包丁は命を軽く扱うのではなく、まるで“送る”ような動きだった。
この街では命を壊すことよりも、どう“解す”かが問われる。
だから解体師は、汚れ仕事でありながらも、尊敬を集める職業でもある。
昼前、工房の鐘が鳴った。
ヒロは血と脂を拭いながら包丁を洗い、息をついた。
ようやく一息つける。
「だいぶ慣れてきたじゃないか。最初の頃なんて、包丁見るだけで青くなってたのに」
「……あはは。まだ時々、匂いでやられますけど」
「誰だって最初はそうよ。命を扱うのに慣れるなんて、慣れちゃいけないけどね」
アリアナは笑ってヒロの肩を軽く叩く。
「次は“ダンチュー”を任せる。ネズミ型の魔物だ。皮が薄いから気を抜くと裂けるぞ」
「了解です!」
ヒロは頷き、次の死体に向き直った。
ダンチューは主に都市の下水に棲む害獣魔物で、討伐依頼も多い。低級とはいえ、正しく解体すれば皮は革細工、新鮮な肉は食用、脂肪は獣油、魔核は灯りの燃料になる。
一匹の命がいくつもの形で街を支えている。
刃を入れるたび、ヒロは思う。
この血の向こうに誰かの生がある。
それを知っているからこそ、彼は丁寧に切る。
「……上出来だな」
作業を見届けたアリアナが口角を上げた。
「もう“初心者向け”は任せられる。次からは少し大きい個体を扱わせるわ」
「ほんとですか!?」
「ああ。もっと稼ぎたいんだろう? 腕を磨け。血を恐れないようになれば、金も腕もついてくる」
「……はい!」
ヒロの胸に小さな火がともった。
いつか自分も冒険者としてこの街を出る。
そのために今は解体師として命を学ぶ。
夕刻。工房を出る頃には、太陽は西の塔の影に沈みかけていた。
アリアナが包みに肉の切れ端を詰め、ヒロに手渡す。
「今日の分。食えるとこは多くないが、煮込めばいける。あと、これも」
小袋に入った欠けた魔石。
売り物にならないが、魔力灯の代わりにはなる。
「ありがとうございます! ほんと助かります」
「礼はいい。……あんたのあの“天使みたいな顔の同居人”にも食わせてやりな」
「えっ……な、なんで知って……」
「工房に戻るとき、いつも“祈ってるような顔”で見送ってくれるじゃないか。あの子、悪い子じゃなさそうね」
「……はい。大切な家族です」
アリアナはそれ以上は聞かなかった。
ただ「大事にしな」と短く告げて、また血の匂いの工房へ戻っていった。
ヒロは包みを抱えて歩き出す。
街の明かりがともり、煙突の火が夜を照らす。
冒険者たちの笑い声、行商人の呼び声、遠くの路地で猫が鳴く。
その全てが彼にとって“生きている街”の証だった。
◇
工房の外れにある古びた木造の家。
壁の一部は崩れ、屋根には穴。最初に与えられた時は“ほぼ廃屋”だった。
だが今は、コツコツと修理を重ね、隙間風も入らない小さな家になっている。
それがヒロの寮であり家であり、帰る場所だ。
戸口を開けると温かな灯が漏れてきた。
その光の中で白銀の髪の少女がこちらを振り返る。
「おかえり、ヒロ」
「ただいま、セレナ」
セレナ・エルディア。
ヒロの命の半分を分けた片翼の天使。
人間のように見えるが背中には小さな白い翼がひとつだけ残っている。
その足元ではふかふかの毛玉が丸くなっていた。
セレナの眷属であり、家のマスコットのような存在だ。
「モコもお出迎え? いい子だな」
モコは「モモッ」と鼻を鳴らし、ヒロの足に頭をすりつけてきた。
手にした包みの匂いを嗅ぎ、よだれを垂らす。
「今日はとびウサギとダンチュー。ちょっとだけ肉、もらってきたよ」
「夕食、作っておいたの。スープに入れようか?」
「お願い。……セレナの料理はもうすっかり街の味だね」
「そう? いつも見よう見まねなのに」
ふたりで並んで台所に立つ。
錆びた鍋に湯を張り、香草を入れる。
魔石灯がほのかに青く光り、温かな湯気が立ちのぼる。
モコはその傍で、貰った生肉と欠けた魔石をぽりぽりと噛んでいる。
魔石を咀嚼するたび、毛並みが一瞬だけ帯電して、静電気のような火花を散らした。
「モコ、また光ってるよ」
「最近、雷の魔力を吸ったみたい。たぶん防衛本能」
「便利な体質だなあ」
小さく笑い合う。
セレナはヒロの隣に座り、食器を並べた。
スープ、焼いた肉、黒パン。質素だが、湯気と香草の匂いが心を落ち着かせる。
ヒロは一口飲んで肩の力を抜いた。
昼間の血の匂いがようやく遠ざかる。
ここは、唯一の“血のない場所”だった。
「今日も……無事だったね」
セレナが呟く。
ヒロはうなずいた。
「うん。師匠が言ってた。“命を扱う仕事は怖くていい”って」
「怖いのに続けるの?」
「怖いからちゃんとできるんだと思う。……それにいつか冒険者になって、お金を稼がなきゃ」
「冒険者か……」
セレナはスプーンを止めた。
その横顔に一瞬だけ翳りが差す。
「危険な仕事なんでしょう?」
「うん。でも、それでも行きたい。工房の給金じゃ、家を直すのもやっとだし……アリアナさんだって、“現場を知ることが職人を強くする”って言ってた」
「……あなたの命は私の命でもあるのよ」
その声は静かだった。
けれど、胸の奥に重く響く。
ヒロはスプーンを置いて、彼女を見つめた。
「分かってる。だから無茶はしない。ちゃんと帰ってくるよ。……俺たち、一緒に生きるって約束しただろ?」
「……ええ。忘れてないわ」
セレナは微笑んだ。
その頬に灯の光が反射して、まるで本物の天使のように見えた。
「それにもし危ない時があったら、俺の代わりに君が助けてくれるだろ?」
「……ふふ。あなた、私を便利な守護天使か何かと勘違いしてない?」
「違うよ。……頼れる相棒だ」
そう言うとセレナは頬を染め、そっと視線を逸らした。
ヒロはその横顔を見ながら思う。
彼女は自分が寿命を分け与えた“奇跡”。
彼女が笑えるなら、命を半分削ったことに後悔はない。
外では夜風が吹き、屋根の端をかすかに鳴らす。
だが、家の中は静かで暖かかった。
食後、セレナは古い聖歌を口ずさみ、ヒロはそれに耳を傾けながら包丁を研ぐ。
モコは二人の足元で丸まり、寝息を立てていた。
血と鉄の街でそれでも人は生きる。
解体師の少年と片翼の天使が互いの鼓動を感じながら。
明日もまた、命を解し、命を繋ぐ一日が始まる。
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