第3話 相合傘

千里ちさとがまっすぐに黒板を見て、ノートを取っている。

再び横の席になってから数日観察していたが、千里は至って普通だ。

地味で目立つことはない。

とはいえ、ダサい陰キャではなく、友人と挨拶し、談笑することもある。

まさに自分が求めていた普通がここにはある。

すぐそこにある普通が自分には1番遠い。


「先生」

みなとが手を挙げる。

「どうした?」

「気分が悪いので、保健室に行きたいのですが」

「あぁ、わかった。行ってきていいぞ」

その瞬間、女子たちの目が輝いたのがわかる。

「私が付いていく」

「私が付き添うわ」

女子たちが手を出しそうなほどに殺気立って争い始めた。

そんな女子を見て湊は綺麗な金髪を搔き上げ、ニコニコと笑っている。

「あいつ、ただサボりたいだけだぞ」

慎太郎しんたろうは呆れたようにそう言って、机に突っ伏して寝始める。


そして結局こう言われるのだ。


牧瀬まきせ、悪いが連れて行ってやってくれるか」

「・・・はい」

仕方なく立ち上がると、湊と教室を出た。

1人で行けよという気持ちもあるが、平和的に解決するには自分が保健室へ送るのがいいのだろう。

実際女子たちもさすがに健斗けんとが行くとなれば、黙った。その分腐女子たちがキャーキャー言っている。


(俺は地味で普通でいたいのに)


そんな願いはいつまで経っても叶わない。

健斗はため息をつきたくなる気持ちを抑えて、湊を保健室に届けた。

「なんか授業だるいからさぼっちゃった」

湊はイタズラっぽく笑った。

そんな湊の顔色がいつもよりも白く見える。

貧血なのかもしれない。

付き合いが長くなってきたからわかるが、湊はしんどい時こそ笑って誤魔化すタイプだ。

「…顔色悪いから、無理はしない方がいい」

湊は少し目を丸くしたが、すぐに目を細めて笑った。

「健ちゃん、ありがと」

「別に。じゃあな」

保健室を出て、廊下を歩いていると、外から音がする。

よく見ると雨が降っていて、駐輪場の屋根に雨が当たって激しい音を立てているようだ。


「今日は雨か」


朝は晴れていたのに、午前中のうちに空は暗い雲で覆われている。

なんだか気持ちもどんよりしてきて、健斗は足取り重く教室へ戻っていった。


普通の人と友人になりたい。

そしてSERINなのかも確認したい。


なんとか千里に声を掛けたいが、なかなか言葉が浮かばない。

消しゴムがもう一回転がってこないかと念を送ったが、パワーが足りないのか今のところ転がってきそうな気配はない。

ため息をついて、仕方なく授業に集中した。

午後になっても雨は止まず、今日は1日雨のようだ。

苦手な体育が無くなったのは、今日1番の幸せだ。

掃除も終わり、いよいよ帰る時間になった時すごく困ったことになった。

折り畳み傘を今朝母親に言われて入れようとしたのだが、一旦靴を履こうと下駄箱の上に置いてそのまま出かけてしまったのだ。

外を見てみるが、傘無しで帰れるほどの雨ではない。

「健斗、帰る?」

櫻子さくらこが声をかけてくる。

ここで帰るといえば、きっと傘に入れてくれるに違いないが、そうなれば櫻子のファンに睨まれるかもしれない。

目立つのも敵を増やすのも御免だ。

「いや、・・・ちょっと用事ある」

「用事?用事って何?」

まさかのツッコミに顔には出さないが、大いに狼狽えた。

確かに用事ってなんだ、自分の中で答えを必死に探すが見つからない。

もはやこれまでと思った時、大きな影が立ち上がった。

「慎太郎?」

「櫻子、今日は早く帰らないと行けないんだろ?お前の母ちゃんが言ってたぞ」

「そうだった!今日は弟の誕生日でケーキ作らなきゃいけないんだ。慎太郎も後から来てよね」

「おぅ」

櫻子は急いで荷物をまとめると、教室を出ていった。

慎太郎と櫻子はマンションで隣の家らしく、昔から兄弟のように育ったそうだ。

「仲いいな」

「子供の頃からの付き合いだからな。俺も今日は練習ないみたいだから帰るわ」

そう言うと、慎太郎も教室を出ていった。

ホッと胸をなでおろし、帰るかと玄関まで来て思い出した。


「あ・・・」


外は雨がきつくなってきている。

「傘ないんだった・・・」

どうしたものかと立ち尽くしていると、パッと頭の上で何か開いた。

見上げると、傘だ。

「入れてあげよっか?」

隣を見ると、千里が立っていた。


雨が傘に当たって大きな音を立てている。

雨の音のおかげで静かにならないから、気まずさも半減している気がする。

傘を持ちながら、隣の千里に目を向けた。

並んでみると、千里は背が低い。

150㎝ちょっとといったところだろうか、健斗とは30㎝近く差があるようだ。


「牧瀬君」

「・・はい」

不意に呼ばれて心臓がビクンと跳ねる。

「あの・・左側が濡れてるよ?」

千里をちゃんと傘に入れようとした結果、自分の左半身が気づくとぐっしょり濡れている。

「もう少し入らないと」

そう言って千里が右手の裾を持って、グッと自分の方に寄せた。

触れられたことと距離の近さで心臓はもう爆発寸前だ。

女子とこんなに近くで歩くのは何年ぶりだろう。

幼稚園以来か?としょうもないことに頭が回る。

数センチのところに千里がいる。

恥ずかしくて離れたいが、ここで離れたら失礼な気がして、離れられない。

ぎりぎりクールな顔をキープしているが、もう全身雨ではなく汗でぐっしょりだ。


「牧瀬君って音楽とか聴く?」


そこで健斗は思い出した。

千里はSERINかもしれないのだ。

これは確認するための千載一遇のチャンスかもしれない。

健斗は息を小さく吸い込むと、口を開いた。

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