第35話 歪なたまご

母艦(アスリオン)の腹に、小さな政府専用艦が吸い込まれる。

静かすぎるドック。

普段は騒がしいクルーたちも、今日は妙に口数が少ない。


ハッチが開くと、空気が一段冷えた。


「あれ? おはようさん。皆さんでお出迎えとは豪勢やなぁ」


へらりと笑いながら男――イチゴが降りてくる。

その軽さだけが、この場の緊張とまるで噛み合っていない。


リヒトの表情が一瞬で変わった。

抑えていた怒りが、爆ぜる。


「イチゴ、お前っ! ……よく平気な顔でここに戻ってこれたな!」


怒号に、周囲のクルーたちもピクリと肩を揺らす。

アスリオンにいる“人外たち”は、皆無言だ。

誰一人として歩み寄らない。

ただ本能的な警戒心だけが、冷たい視線となってイチゴに注がれている。


イチゴはその視線を背中に感じながらも、へら、と笑った。


「戻ってきたんやないよ、リヒト」


いつもの軽口。

しかしその言い方は、妙に静かだった。

子供に言い聞かせるようなその口調に、リヒトがぐ、と言葉を詰まらせる。


沈黙が落ちる。

殺気とまではいかないが、空気は稼働音すら吸い込むように張りつめていた。


そんな中、瞬だけが淡々と前へ出る。

他の誰も動けないでいるなか、彼だけが公的な役割として――そして唯一、人間としてのバランスを保てる者として口を開いた。


「アスリオンの安全保障監察官として、政府より派遣されましたイチゴ・カイドウ二等監察官です。どうぞよしなに…」


それは表向きの歓迎。

だが、その言葉を受けたイチゴの背中には、依然として多くの視線が突き刺さっていた。


「これはまた、盛大な歓迎で…」


イチゴが苦笑する。

スパイとして裏切った過去を知る者たちは、誰も笑わない。

その空気の重さに、さすがのイチゴも喉を鳴らした。


――自分は今、虎の檻に一人で入ってきたのだ。


そう理解した瞬間だった。


***


「はぁ!?なんでっ!?」


バン!と壁を叩く。

リヒトが怒りをあらわに、瞬に怒鳴った。


「なんで裏切ったやつを受け入れるんだよっ!?」


政府は何度か派遣という名目で監察官を寄越していた。その誰もが一か月と持たずに帰っていく。来た初日に卒倒して帰っていった者もいた。アスリオンの異様な空気と人間離れした集団の中で正気を保てる人間など居ないのだろう。


そこで仕方なく派遣されることとなったのが、ワン・マオリン博士だった。が、彼女もまたアスリオンに取り込まれた。そして、今――政府が送った最後の砦がイチゴというわけだ。これには若干嫌がらせも入っているような気がしてならない。


しかし、瞬は考えた。

彼にはまだイチゴの考えが分からない。そのイチゴの動向を近くで見ることが出来る。それは大きなメリットだ。瞬は合理性のみで考え、イチゴの受け入れを決断した。しかし、それが今リヒトの怒りとなって表れている。


「すまん…。」


瞬は素直に謝った。


「っ…!!」


リヒトの怒りが一気に鎮静化する。


「なんで…?理由を教えろよ」

「あの時まで俺はイチゴが裏切るとは思ってなかった。」


瞬は思い出すように話し始めた。


「裏切るなら、ナギニかリヒト…お前だと思った。」

「は…?なんで…?」


リヒトは回らない頭で考える。二人の共通点――黒(ノクス)の適合者。

リヒトは青ざめた。


「……お前、まさか他のやつらに“何かしてる”のか?」


瞬は、わずかに口角を上げた。それは紛れもない肯定の笑みだった。


「それが、黄(ソレイユ)の力……?」

「そうか…!洗脳か!!裏切らないよう、みんなを縛ってたってわけ?」


リヒトの脳裏に、アズたちがソレイユを避ける光景がよみがえる。ソレイユと話すとき、側にいるのはノクスだけだ。いつも、誰も、彼の側に寄りたがらない。瞬だって――ソレイユには、なるべく近寄りたくないと言っていた。


いくつもの疑問の点が全て、線となって繋がった。


「ソレイユはお前も洗脳出来る…?同じ色同士でも支配できるのか?」

「できる。」


瞬の言葉は静かだった。

その事実がリヒトの胸を締め付けた。


瞬がナギニを真っ先に追放した理由。

イチゴを疑わなかった理由。

そして、一糸乱れぬ黄(ソレイユ)の統率力の理由。


――全部、力での制圧だったのだ。


リヒトは瞬の襟首をつかんで、すごむ。


「瞬…お前っ!いつから…」


瞬はそれを振りほどき、答える。


「力が使えると分かったのは、橋(ブリッジ)を再建した当たりかな。」

「ほら、お前が助けた橋の整備士。あいつに試した」


リヒトは茫然とした。

その時まで、整備士が艦内の設備について色々教えてくれたのが、彼の善意だと信じて疑わなかった。全部、瞬の洗脳によるものだったのか。いや、欠片くらいは善意があったはずだ。あの時、自分の目でそれは確かめた。逆に、こいつは、そこまで誰も信じられなくなっているのか。


「あの人、無事かな…」

「味方したのがバレて?」

「それとも、俺に洗脳されて?」


瞬が意地悪く笑みを浮かべる。


「お前さぁ…」


リヒトは瞬の頬を引っ張った。もう怒りはなかった。瞬に騙されていたとも思わない。柔らかく頬を抓った手は、すぐに瞬に振り払われた。


「そういえば…お前 あの時、俺のことは疑わなかったな?」

「そうだな。お前に裏切られたら俺は終わりだ。」

「それでも疑わないの?」


リヒトが笑う。


「疑わない。お前だけは」


瞬がリヒトに手を伸ばす。


「いてててて!!」


先ほどとは逆に頬を思いっきり抓られて、リヒトは思い切り叫んだ。


「いってぇ…」


まだひりひりする頬を撫でながら、リヒトは整理した。


「…洗脳の持続時間は?」

「一か月くらいだ」

「どうやってかける?」

「目の前で話す時に力を乗せる。映像や声だけでは出来ない。」

「じゃあ、整備士さんはもう大丈夫ってことだな。」


返答はなかったが、肯定と受け取る。


「黒(ノクス)と黄(ソレイユ)は反発するから理解出来るとして、イチゴはどうして洗脳にかかってなかったんだ?」

「分からない。だから、近くでもう一度あいつを観察する。」


――そういうことか。


リヒトは頭を抱えた。


「なら、最初っから、そう言えよっ!」


やっと腑に落ちた。同時に思う――何て分かりにくい。面倒くさいやつなんだ。

瞬って前からこんなだったか?いや、そんなことは考えるだけ無意味だろう。もう自分たちは以前とは全く違う生き物なのだから。



***


サネナリが「ついてきてください」とイチゴの前に立って案内する。


胡散臭いやつという顔を隠しもしない。後ろには護衛、という名目で赤(ロッソ)の適合者レオンがついてきている。彼は一言も話さず、真剣な顔で彼の背後にいる。イチゴはへらへら笑いながらも、内心では重いため息をついていた。

今まで関わらなかった面々に囲まれ、彼は思う。


――やっぱり、面倒なことになったな。



***


ボロボロになった小型艦を操縦士、やっとのことで政府のコロニーへとたどり着いた。ブラックホールの余波でひしゃげた機体を内側から蹴って、ハッチを開く。


「はあ…えらい目に合うたわ。」


イチゴはパンっと服の埃を払う。そこへ、対宇宙生物対策本部の監理官が現れる。彼は淡々と、イチゴの状況を聞くと、一言冷たく言い放った。


「ご苦労。ではお前はアスリオンへ戻れ」

「は、はあ!?」


イチゴは驚きのあまり、声をあげた。てっきりこちらで身柄を預かってもらえると思っていたのだ。


「な、何言うてますのん!!俺、いま戻ったら殺されるんちゃうかな!?」

「殺されはしないだろう」

「で、でも…監禁とか…」

「安全保障監察官の役職をつけてやる。行ってこい。」

「うわー…ホンマ人使い荒いわぁ。ないわぁ。」


焦りながらも、へらへらしているイチゴを管理官は心底軽蔑したように見ていた。




こうして、歪な再会ではあったが――アスリオンに、全員が帰還した。

ただし、彼らの心は誰一人として、元の場所には戻っていない。


(第二部 第二章 完)

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