レベル1の冒険者が世界の調停者になる

pacifian

第1話『レベルドロップという絶望』


 雨が降っていた。


 夜の路地裏。街灯の明かりが濡れたアスファルトをぼんやりと照らしている。


 中学生くらいの女の子が泣きながら、逃げるように走っていた。その背後から、血のついた包丁を持った男が足を引きずるように迫る。


 ――誰か、助けて。


 叫び声が、夜気を裂いた。

 その瞬間、通りかかった青年・迅(じん)は、無意識に体を動かしていた。


「おい! こっちだ!」


 男の前に立ちはだかる。震える少女をかばうように背中に隠し、両手を広げた。

 怖い。心臓が壊れそうなほど鳴っている。それでも、足は止まらなかった。


「やめろ。……それ以上近づくな」


 男は目を見開き、まるで理性のない獣のように唸った。

 次の瞬間、包丁が振り下ろされる。


 冷たい感触。

 胸の奥に、鈍い衝撃が走った。


「……っ!」


 迅の視界が揺れる。少女の泣き声が遠くなる。

 血の温度が、雨と混ざり合って地面に広がっていく。

 それでも、最後まで少女の前から退かなかった。


 ――ああ、俺、死んだのか。


 静かな夜空が滲んでいった。


◇ ◇ ◇


 気がつくと、そこは白く光る空間だった。

 天も地もない。無音の世界。ただ柔らかな光が満ちている。


「……ここは?」


 足元には何もない。空中に立っているような不思議な感覚。

 目の前に突如、光の粒が集まり、人の形を成していく。

 それは、声のない声で告げた。


> 「あなたの勇気は、選ばれました」

「新たな世界で、生き直す権利が与えられます」



 ――転生。

 よくあるネット小説のワンシーンみたいだ、と迅はぼんやり思った。


「……生き直す、ってことは……死んだんだな、俺」


 返事はない。ただ、目の前にパネルが浮かび上がる。

 無数のスキルが、光のカードとして宙に並んでいた。


【固有スキル選択】

【一つだけ選べます】


 カードの中には、わかりやすい強スキルの名前が並んでいる。


『不死の魂』

『神剣召喚』

『時間遡行』

『無限魔力』……


「うわ、なんかチートっぽいのばっかじゃん……」


 思わず口元が緩む。

 どうせ転生するなら、強い力を手に入れて、もっとちゃんと生きたい。

 今度こそ――誰かを守れる自分になりたい。


 そう思いながら、迅は光のカードを一枚ずつスクロールしていく。


「うーん……どれがいいかな……」


 指先が、あるカードの上をふれた。

 その瞬間、軽い音が鳴った。


【スキル『レベルドロップ』を選択しました】


「……え?」


 聞き覚えのない名前。

 画面には小さく説明が表示される。


【獲得スキル:レベルドロップ】

【効果:自分のレベルを1に戻す】


「……は?」


 思考が止まる。

 なにそれ。意味がわからない。そんなの、ただのデメリットじゃないか。

 慌ててキャンセルボタンを探すが、もう選択は確定していた。


> 「スキルが確定しました」

「あなたは、これより異世界へ転生します」



「ちょ、ちょっと待っ――」


 光が強くなり、全身が飲み込まれていく。

 選び直しはできなかった。


◇ ◇ ◇


 耳をつんざくような風の音。

 目を開けると、そこは森の中だった。高い木々が生い茂り、どこか幻想的な空気が漂っている。


「……本当に、転生しちまった……」


 服は見知らぬ革鎧に変わり、腰には小さな短剣。

 空には二つの月が浮かんでいた。


 目の前にステータスウィンドウが現れる。


【名前:ジン】

【レベル:1】

【スキル:レベルドロップ】

【職業:冒険者見習い】


「…………終わった」


 思わずその場に膝をついた。

 強くなって、誰かを守りたかったのに。

 チートスキルなんて、俺にはなかった。


 吹き抜ける風が、森のざわめきを運ぶ。

 どこかで獣の遠吠えが響いた。

 誰も助けてはくれない。ここから先は――自分の力で生きていくしかない。


「……クソ……!」


 拳を地面に叩きつける。

 あの光の中で、もっとちゃんと選んでいれば――。


 けれど、後悔してももう遅い。

 目の前の現実は変わらない。


 夜の森に、少年の小さな吐息がこだました。

 “最弱の冒険者”の物語が、今、静かに始まった。

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