私は死の天使という名前を使って影で活動しています
カイ・センパイ
魔法のない世界
俺の名前は――八神ツキハラ。
俺はいつも夢を見ていた。
魔法の存在する世界を。
理屈や現実に縛られない世界を。
そして、すべてから解放される世界を――孤独から、退屈から、現実から。
俺が求めていたのは……奇跡だった。
だが現実はあまりにも冷たく、あまりにも真実だった。
俺はただの、平凡な夢想家にすぎなかった。
「魔法なんて、存在しないんだ」
呟いたその言葉は、希望を殺す呪いのように響いた。
そして――すべてが崩れ落ちた。
俺は目を覚ます。
薄いカーテン越しに朝日が差し込み、狭いアパートの部屋を照らしていた。
まぶしくて、少しうるさい。いつもの朝。
魔法なんてない。
光る魔法陣も、騎士も、悪魔もいない。
あるのは――現実に飲み込まれた世界だけ。
重い体を無理やり起こし、軋むベッドを降りる。
まだ夢の残滓に囚われながら、小さなダイニングへ向かった。
「……あ、もう起きたんだね、お兄ちゃん」
その笑顔は、朝日のようにあたたかかった。
彼女だけが――この世界で俺の生きる意味だった。
ヒヨリ・ツキハラ。
俺のたった一人の妹。
両親が事故で亡くなったあの日から、俺たちは二人きりだった。
あの日を境に、俺は運命なんてものを信じなくなった。
貧しくても、不自由でも――ヒヨリはいつも笑っていた。
その笑顔だけが、俺の中の空白を埋めてくれる。
俺は無表情のまま、彼女を見つめる。
胸の奥に、かすかな温もりが灯った。
「……俺より早く起きるなんて、珍しいな」
そう呟くと、ヒヨリは笑いながら皿を差し出してきた。
焼きたてのトーストと目玉焼き。左手にフライ返しを持ったまま、髪は適当にまとめられている。
いつもの光景だ。
朝食を済ませたあと、俺はタオルを手にして浴室へ向かう。
「お風呂長く入っちゃダメだよ!お湯代、高いんだから!」
ヒヨリの声が背中に響く。
俺は片手を軽く上げて応えると、ドアを閉めた。
冷たい水が顔を打つ。
残っていた夢の気配が流れ落ち、現実へと引き戻されていく。
古びた鏡に映るのは――ただの高校生。
歳のわりに疲れきった目をした、どこにでもいる少年。
「……モブだな」
主役じゃない。
誰でもない。
ただの“俺”だ。
しばらくして、制服に袖を通し、カバンを背負う。
表情は無。完璧な仮面をつけたまま、俺は部屋を出た。
東京の街外れ。ひび割れた歩道を歩く。
落書きだらけの壁、消えない赤信号。
この世界は――夢が少しずつ殺されていく場所だ。
「おはよう、ヤガミー!」
向こうからクラスメイトが手を振る。
「……おはよう」
一言だけ返して歩き続ける。
何もかもが空虚だった。
すべてが、形式的なやり取りに過ぎない。
俺はこの現実という舞台の、ただの端役だ。
――だが、その朝だけは違った。
足が止まる。
悲鳴が聞こえた。
少女の声。恐怖に染まった叫び。
アニメでも、夢でもない。
現実の声だった。
俺は駆け出す。
狭い裏路地を抜け、汚れた空気を裂いて――たどり着いた先で見た。
数人のチンピラが、女子高生を囲んでいた。
卑しい笑み。濁った瞳。
俺は、ためらわずに前へ出た。
「おい、貴様ら!」
声が出た。冷たい、刃のような声。
一人の男が俺を睨みつけ、鼻で笑った。
「はぁ?なんだてめぇ?ヒーロー気取りか?」
俺は地面に転がっていた小石を拾い、そいつの頭に投げつけた。
「俺は――たまたま通りかかったモブだよ」
そう呟き、口元に笑みを浮かべた。
連中が襲いかかってくる。
殴打と蹴り。だが、そんな痛みには慣れていた。
昔、いじめられていたからな。
今の俺は――ただやられるだけのモブじゃない。
一人倒し、もう一人を叩き伏せる。
だが、その瞬間――
「――ッ!」
背中に熱が走った。
刃が肉を裂く感覚。
「ぐっ……!」
視界が揺らぎ、呼吸が荒くなる。
血が流れる。世界が遠のいていく。
それでも、俺は振り向いて蹴りを放った。
刺した男は悲鳴を上げて逃げ去る。
だが……もう、体が動かない。
少女が駆け寄り、泣きそうな顔で叫んだ。
「待ってて!助けを呼んでくるから!」
その声を聞きながら、俺は薄れゆく意識の中で笑った。
……そうか。
俺は、救われない役なのか。
世界が崩れる。
焼けるような痛み。
引き裂かれる感覚。
意識が砕けていく。
「――ああああああっ!!痛ぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
声が闇に響く。
「一度でいい……生きたいんだ!!!」
痛みの中で、ただ一つの願いだけが燃え上がる。
「魔法のある世界に、行きたい――!!!」
――闇。
――静寂。
そして。
目を開けた。
小さな体。ぼやけた視界。
泣き声。俺の声だ。
「……赤ん坊?」
小さな手。
だが、確かに感じる。
身体の中に流れる温かなもの――
マナ。
魔力だ。
「……これが……光の魔法……」
心臓が高鳴る。
傍らに、大きな男が立っていた。
剃り上げた頭に立派な髭。厳ついが、どこか優しい目をしている。
「……父さん?」
白銀の髪をした美しい女性が俺を抱きしめ、涙を流していた。
「……母さん?」
そして――
五歳ほどの少女が、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「弟くんだぁぁぁ!!」
彼女は俺を抱きしめ、笑った。
言葉は出ない。
けれど、胸の奥で確信した。
――ようやく辿り着いた。
この世界には、魔法がある。
そして今――
俺の名は、カズキ・アルセリオン。
影として生まれ変わった存在。
この世界を――裏から震わせる者。
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