陰の俺と、輝く彼女。

酒本 ナルシー。

第1話 新学期

 四月。咲き残った桜が、校舎の窓を淡いピンクに染めていた。

 新しいクラス、新しい出会い。そしてたぶん、新しい面倒ごと。


 クラス替え初日の教室は、やたら明るかった。誰がどこのグループに属すのか、まだ確定していないこの時期だけは、みんな妙にテンションが高い。

 それでも俺――米倉蒼真(よねくら・そうま)にとっては、いつも通りの朝だ。


 慣れた手つきで出席番号順の席を探し、カバンを置くと同時に机へ突っ伏す。昨日も夜遅くまで美容学校だったせいで、睡眠時間は絶望的だった。


 「おーい見た? 同じクラスに瑠璃ヶ浜るりがはまさんいるらしいぞ!」

 「マジ!? 今年は当たりじゃん!」


 ……なんて声が近くでする。だが、俺には関係ない。

 高校生活は昼、夢のための学校は夜。この変則的な毎日を三年間続けると決めた時点で、青春だの恋愛だのは諦めてる。


 ──と、そのとき。

 教室の前の方から、ひときわ明るい笑い声が弾けた。


 「亜里沙ありさちゃんだよね? よろしく!」

 「うん、こちらこそ! 二年でも仲良くしてね」


 見なくてもわかる。声だけで、空気が華やいでいくのが伝わってきた。

 誰にでも優しくて、男女問わず人気者。雑誌でも見たことがある有名モデル。

 このクラスにいるだけで周囲の温度が上がるような存在。


 ――俺とはきっと、一生交わらない世界の人間だ。


 だからこそ、俺は机に顔を伏せたまま、小さく息をつく。

 シャンプー台の白い光と、髪を整える音が頭の奥によみがえり、まぶたがゆっくりと落ちていく。


 教室のざわめきなんて俺には関係ない。

 そう思っていた。


チャイムが鳴り、担任が自己紹介を促すと、教室の空気は一気に静まった。

 新しいクラスでの“第一印象”が決まる儀式。普通なら緊張の場面だ。


 けれど俺にとっては――ただの睡眠妨害である。


 「じゃあ出席番号順に、前に出て簡単に自己紹介をしてくださいね」

 担任の言葉とともに、前列の男子が立ち上がる。自己紹介は、淡々と進んでいった。


 何人目かが話しているころ、前から二列目あたりでひときわ明るい声があがる。


 「瑠璃ヶ浜るりがはま亜里沙ありさです! モデルの仕事もしてます。趣味は歌を歌うことで、将来は歌手を目指しています! 二年はもっといろんなことに挑戦したいので、仲良くしてくれると嬉しいです!」


 その瞬間、男子の半分がメモを取り、女子の半分がため息をついた。

 笑顔・声・所作。そのすべてが、人を惹きつける力を持っている。


 クラスが一気に明るくなる。


 ――やっぱり、別世界の人間だ。

 そう思いながら、俺は眠気と戦い続ける。


 「……つぎ、米倉くん」


 担任の声がして、ようやく顔をあげた。

 前の席の女子がこちらを振り向き、ひそひそと囁く。

 「寝てたのに大丈夫なの……?」


 俺はゆっくりと立ちあがり、教壇へ向かう。

 亜里沙と目が合った。


 笑顔。作り物じゃない、自然な笑み。

 普通の男子ならドキッとするだろう。けれど――俺は特に何も感じない。


 なぜなら、俺の家は美容室で、女性の“見た目だけの輝き”には免疫がある。

 美しさは髪の艶や角度次第で変わる。光の当たり方やセットの仕方でも印象は操作できる。

 そういう世界を、もう何年も見てきた。


 だから俺は、ただ淡々と名乗るだけだ。


 「米倉蒼真です。とくに趣味とかはありません。以上です」


 教室は静かになり、すぐにざわめきに戻った。


 ――終わった。


 席へ戻ろうとした、そのとき。


 「米倉くんって、なんかミステリアスだね」


 声の主は、さっきと同じ笑顔の瑠璃ヶ浜亜里沙。


 俺は一瞬だけ彼女を見たが、すぐに興味を失い軽く会釈する。


 「……そうですか」


 それだけ言って席に戻る。亜里沙は少しきょとんとした顔をしていた。


 ――このときの俺は知らなかった。

 彼女が、思った以上に“しつこい”タイプだということを。

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