第12話:軍師、渋谷の街を歩く
「今日は、お休みにしましょう」
朝一番、サクラが、いつになく断固とした口調で言った。
「え?」
「孔明さん、最近、疲れてるでしょう? 昨日も、夜中まで『占いとは何か』って、ぶつぶつ言ってたし」
確かに、ここ数日、僕の頭の中は混乱していた。メディアからの取材依頼は増える一方で、「現代の軍師」としての期待も高まっている。だが、昨日の田村との対話以来、僕は自分が何をしているのか、分からなくなっていた。
「でも、予約が……」
「全部キャンセルしました。『軍師様、体調不良のため』って」
「勝手に……!」
「たまには、普通のカップルみたいに、街を歩きませんか?」
サクラの、少し照れたような笑顔に、僕の抗議の言葉は、喉の奥で消えた。
三十分後、僕たちは、渋谷の雑踏の中にいた。
道士服ではなく、サクラが選んでくれた現代の服装に身を包んだ僕は、なんだか、別人になったような気分だった。
「どこか、行きたいところはありますか?」
「うーん……」
僕は、周りを見回した。平日の昼間だというのに、街には多くの人が行き交っている。学生、サラリーマン、主婦、外国人観光客……。皆、それぞれの目的を持って、足早に歩いている。
「あの人たちを、観察してみたい」
「観察?」
「占いカフェに来る人たちは、皆、何かしらの悩みを抱えておる。だが、街を歩く人たちは、どうじゃろう? 彼らの心の中には、何があるのじゃろうか?」
サクラは、くすっと笑った。
「孔明さんらしいね。じゃあ、人間観察デートってことで」
僕たちは、まず、スクランブル交差点のカフェに入った。
窓際の席から、行き交う人々を眺めながら、僕は、一人一人の表情を観察した。
「あの、スーツの男性」
僕は、急ぎ足で歩く中年男性を指差した。
「眉間にしわを寄せ、携帯電話を握りしめておる。恐らく、仕事で何かトラブルが……」
「孔明さん、それって、ただの推測でしょう?」
「そうじゃな。だが、占いも、結局は推測の積み重ねかもしれぬ」
僕は、コーヒーカップを両手で包み込んだ。
「サクラ殿。我は、ずっと、人の心を『読む』ことばかり考えておった。だが、本当に大切なのは、『理解する』ことではないか?」
「読むのと、理解するのって、違うの?」
「読むのは、一方通行じゃ。だが、理解するには、相手との『対話』が必要じゃ。昨日の田村殿との会話で、我はそれを学んだ」
サクラは、僕の手に、そっと自分の手を重ねた。
「孔明さんって、本当に真面目なのね。でも、たまには、何も考えずに、ただ一緒にいるだけでも良いんじゃない?」
その言葉に、僕の心が、ふわりと軽くなった。
そうか。僕は、いつも、何かを分析し、理解しようとしていた。だが、時には、ただ、隣にいる人の温もりを感じるだけでも良いのかもしれない。
午後、僕たちは、代々木公園を歩いた。
平日の公園は、思いのほか静かで、ベンチに座るお年寄りや、ジョギングをする人たちが、ゆったりとした時間を過ごしていた。
「孔明さん」
「何じゃ?」
「私のこと、どう思う?」
突然の質問に、僕は戸惑った。
「どう、とは?」
「占い師として、じゃなくて。一人の女性として」
僕は、彼女の横顔を見つめた。夕日に照らされたサクラの髪が、金色に輝いている。
「……美しい」
「え?」
「汝は、美しい。外見だけではない。汝の心が、美しいのじゃ」
サクラは、顔を真っ赤にして、俯いた。
「そんなこと、言われ慣れてないから……恥ずかしい」
「我も、こんなことを言うのは、初めてじゃ」
僕は、正直に答えた。
「千八百年前の我には、こんな感情は、なかった。戦のことしか、考えておらなんだ」
「今は?」
「今は……汝のことを考えると、胸が温かくなる。これが、恋というものなのじゃろうな」
夕方、僕たちが公園のベンチで休んでいると、一人の男性が近づいてきた。
三十代前半、スーツ姿で、眼鏡をかけた、いかにも理知的な印象の人だった。
「すみません、お二人、カップルですよね?」
「え、ええ……」
サクラが、困惑しながら答えた。
「実は、僕、心理学の研究をしていまして。恋愛関係における意思決定プロセスについて調査しているんです。よろしければ、少しお話を聞かせていただけませんか?」
僕は、興味を持った。
「心理学……面白そうじゃな。どうぞ」
男性は、山田と名乗り、僕たちの向かいのベンチに座った。
「お二人は、どうやって出会われたんですか?」
「彼が、私の働いているカフェに……」
「占いカフェじゃな」
「占い?」
山田の表情が、急に冷めた。
「申し訳ありませんが、僕は占いというものを、全く信じていません。非科学的で、根拠のない迷信だと思っています」
サクラが、僕を心配そうに見た。だが、僕は、むしろ興味深く感じた。
「ほう。では、山田殿は、人の心も、全て科学で説明できると?」
「当然です。心理学、脳科学、認知科学……。人間の感情や行動は、全て、科学的に解明できます」
「なるほど。では、一つ、質問させてもらおう」
僕は、山田の目を真っ直ぐに見つめた。
「山田殿は、なぜ、恋愛の研究をしているのじゃ?」
「それは……人間関係の最適化のためです。効率的なパートナー選択の方法を……」
「効率的?」
僕は、首をかしげた。
「では、山田殿は、恋人はおるのか?」
山田は、急に口ごもった。
「それは……研究が忙しくて……」
「そうか」
僕は、静かに頷いた。
「山田殿。汝は、頭では恋愛を理解しているつもりじゃが、心では、まだ一度も恋をしたことがないのじゃな?」
山田の顔が、みるみる赤くなった。
「な、何を根拠に……!」
「根拠など、ない。ただ、汝の目を見れば、分かる。汝は、恋愛を『研究対象』としてしか見ておらぬ。だから、いつまでも、一人なのじゃ」
山田は、立ち上がった。
「失礼します!」
彼が去った後、サクラが僕を見つめた。
「今の、占いだったの?」
「いや」
僕は、首を振った。
「ただの、人生経験じゃ。我も、つい最近まで、山田殿と同じじゃった。頭で理解することと、心で感じることの違いを、知らなんだ」
「今は?」
「今は、汝がおる。だから、分かる。心で感じることの方が、はるかに大切だということが」
サクラは、僕の腕に、そっと寄りかかった。
「今日は、良い一日だったね」
「ああ。占いのことを、一日忘れることができた」
その夜、僕は、久しぶりに、深く眠ることができた。
夢の中で、僕は、もう軍師ではなく、ただの一人の男として、サクラと手を繋いで歩いていた。
(第12話 終わり。次話へ続く。)
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