第2話 傭兵の日課

 黙々とキッチンの後始末を終え、食事の支度を終えたロアは、先ほど大急ぎで駆け上がった階段を今度はゆっくりと登る。

 研究室の扉は吹き飛んだままで、中の様子は簡単に見ることが出来る。


「おい、飯の時間だ」


 ロアは研究室の中にいるアステルに声をかけた。

 先ほどの爆発でめちゃくちゃになった室内を使い魔たちがせっせと整えている中、アステルは黙々と鍋をかき混ぜている。

 宙に浮かんだ三本の羽ペンがそれぞれノートに実験の経過をかきつけていた。返事は、ない。


「………」


 集中するとすぐこれだ。

 この状態のアステルにはどんな音も届かない。書き物だけなら無理矢理担いでいくが、今は実験の真っ最中だ。強硬手段をとることは出来ない。と、いうのも以前にそれを実行したことがあるのだ。結果は散々だった。コントロールを失った鍋が大爆発して、二人で仲良く死にかけた。


 四肢が吹き飛ぶ経験なんてそう何度もしたくはない。


 はあ、と本日何度目か分からぬため息をついたロアは実験室前の廊下にもたれかかって作業の終わりを待つことにした。


 ぐつぐつ、ぐるぐる、ごりごり、と規則正しい音が静かに流れていく。

 耳元を流れる落ちる髪から垣間見えるアステルの横顔はニマニマ歪み、好奇心に満ち溢れている。うるせえ顔だなあ、と彼は思った。

 そして、ポシュンと間の抜けた音と同時にアステルのかき混ぜていた鍋から細い金色の煙が立ち上る。


「ぃやったーーーー!!」


 子供のようにはしゃぐアステルは興奮しきった様子で鍋の中身をすくっては落とし、うっとりとした目でそれを眺めている。

 宙に浮いた羽ペンもそれに連動するように、さっきよりもずっと早いスピードでノートに文字を走らせていた。アステルの手が鍋から離れ、ペンへと向かったその時、ロアは預けていた背中を壁から起こし実験室の中へと踏み込んだ。


「アステル。飯の時間だ」

「う、わッ?」


 ロアはアステルを小麦袋のように肩に担ぎあげるとそのまま階下の居住スペースへと向かった。最初はこうやって担ぎ上げるたびにアステルはジタバタと暴れていたが、最近ようやく無駄だと理解したらしい。担ぎ上げると自ら脱力し、大人しく運ばれるようになった。


「今日は鹿肉と野菜のスープ、それと白パンだ」

「ロア、僕は全然空腹じゃないよ、それより今いいところなんだ」


 減らず口は変わらないが。


「そうか。毎回飯食い忘れてぶっ倒れる挙句客に介抱させてるバカはどいつだ」

「僕は天才だから、僕の話じゃないもんね」

「てめえの事だよバカ」

「……ふん!!」


 ボス、ボス、と背中に軽い衝撃が走る。小さな拳でロアの背中をポコスカ叩いているのだろう。足も藻掻くように暴れてロアの腹を蹴とばそうとするので、空いていた方の手で膝ごと押さえつけた。手の下で何とか足を動かそうともがいているが、万年実験室にこもりきりの貧弱な脚力などロアの敵ではない。


「そもそも食事って好きじゃないんだ、顎が疲れるから」

「食え。噛め。鍛えろ」

「やだ!!」


 子供のようにやだやだと喚くアステルをダイニングの椅子に座らせる。そして逃げ出そうとする肩を上から軽く押さえつけた。上から顔を覗き込めば、見事な膨れっ面のアステルは渋々とスプーンを手に取った。


「アステル、食え。食い終わるまで逃げられると思うなよ」


 机の上に二つ並んだスープは随分前に冷め切っていたがそれを気にする人間はいない。アステルがのろのろと食事をとり始めたのを見て、ロアもまた隣の椅子に座る。正面じゃないのはアステルの逃亡防止のためだった。


 簡素に済ませた食前の祈りの後、口に入れたトマトベースのスープの味は可もなく不可もなく、と言ったところだろうか。くたくたになるまで煮込んだ野菜と細切れにした鹿肉はどうにも食感が薄くてあまり食べた気はしない。柔らかな白パンも結局三口で食べきってしまった。


 早々に食事を終えたロアが隣を見れば、アステルのスープは半分も減っていない。スプーンでゆったりと具材をすくいながら、面倒くさそうな顔で咀嚼していたアステルと目が合う。


「ロア、もう終わっていい?顎疲れた……」

「食え」

「ローアー」

「ダメなもんはだめだ、食え」


 甘ったれた声に負けるわけにはいかない。人差し指でスープを指させばアステルは渋い顔で咀嚼を開始した。食事が嫌い、という割にスプーンを動かす手つきや、パンをちぎる所作は洗練されていて美しい。

 どういう育て方をしたらこのわけの分からない天才が生まれるのか、ロアは不思議に思いながらアステルを眺めていた。結局、スープとパンを半分ほど食べたところでアステルはもう無理、と皿をロアの方へと押し出した。


「……ま、こんだけ食えば上出来か。……そんでてめえは待て」


 ロアは右手でアステルの残り物を片付けながら左手で意気揚々と実験室へと戻ろうとしたアステルの首根っこを引っ掴む。


「グぇ!!…何するんだよお!」

「風呂。最後に入ったのは?」

「えっと……、前の…前に君が来たとき、かな?」

「5日前だな。実験は風呂の後にしろ。臭うぞ」

「ええー!!!5日前に入ったからいいじゃないか!!まだ大丈夫だって!」

「よくねえよ!! 毎日入れよバカ!!」


 食事を手早く片付けたロアは、ぎゃんぎゃんと喚くアステルの服をぽいぽいとひん剥き、居住スペースに設置してある風呂場へと放り込む。

 ロアはシャツとスラックスの裾をまくると、壁に取り付けられた大きな給湯器のレバーを引いた。ゴウン、と音を立てて水のくみ上げと加熱が始まる。アステルは観念したのか大人しく風呂場の椅子に膝を抱えて座っていた。


 そうこうしているうちにぬるま湯が完成した。それを桶に貯めてはアステルにじゃぶじゃぶとかけ、石鹸を長い髪にこすりつける。視線を正面に固定したロアは無心でその作業を行っていた。


「こんなことをしなくたって洗浄液でいいじゃないか」


 ロアから渡されたタオルでモタモタと体をこすっていたアステルが不満げな声を上げる。


「よかねえよ」

「なぜだい?何もかもつるっとまるっと落とせる完璧な洗浄液なのに。こんな手間をかけなくたってさあ」

「汚れを皮膚ごと溶かす洗浄液を完璧とは言わねえんだよ馬鹿!!」


 減らず口を黙らせるように、ロアは桶のぬるま湯をアステルの頭に勢いよくかける。何日も洗ってない髪は碌に泡すら立たなかった。もう一度石鹸をアステルの頭にこすりつけると、ようやく泡立ちの兆しが見えてきた。


「ポーションで修復するから溶けてもいいじゃないか」

「良くねえ!!」


 度し難いとでも言いたげにアステルはため息を吐く。それをしたいのはこっちだ!と叫びたい気持ちをぐっとこらえ、ロアはため息で返した。

 アステルに風呂の良さを教えるには、あと百年ほどかかりそうだと思った。


 風呂、というよりも洗浄といった方がふさわしいだろうか。

 アステルの洗浄作業を終えたロアはびしょ濡れのまま風呂場を出ていこうとする小柄な後ろ姿にバスタオルを投げつけた。

 ぱさ、と頭に引っかかたタオルの上から長い髪の毛を乱雑な手つきで拭いていく。無駄に長い髪から水分を取ればこちらのものだ。

 手の下からくぐもった文句やうめき声が聞こえるが、そんなの知ったことではない。ロアにやられるのが嫌ならば自分でやればいいのだ、と苛立ちを反映した手つきが荒くなる。

 この腹立たしい生き物は放っておくと水滴を零しながら研究に戻ってしまう。濡れた床をふくのはロアだ。クソ、と内心毒づきながらも作業の手はよどみなく進む。タオルドライがあらかた終わった後は、ドライヤーの出番だ。

 脱衣所に置かれているそれにロアが魔力を流すと、ぶおおおおおおん、と爆音とともに熱風が入り口から噴き出した。

 アステルの髪に当てれば、細い毛束が嵐の只中に放り込まれたように蠢く。風の直撃を食らってアステルは間抜けな声を漏らしていた。


「へぶっ」

「なあ、この改造ドライヤーいい加減に直せよ!!」

「なにかいったかい!! 聞こえないのだが!!」

「あー……もういい!!」


 アステルが購入したこのドライヤー、初めは常識的な温風を吹き出す魔法道具だったのだが。少し見ないうちに魔改造されていた。

 仕組みが気になって分解したついでにやったらしい。以前のドライヤーの半分の時間で髪が乾く!!と偉そうに胸を張っていたが、嵐のような熱風に利便性を見出すのは難しい。


 結局風当たりを弱めるために、動力として流す魔力を減らしたり、物理的に距離を作ったりと工夫が必要になった。

 面倒くさいので元に戻せと度々訴えるのだがアステルはそのまま使えばいいとの一点張りで聞く耳を持たない。ため息を爆音にかき消されながらも、手際よくアステルの頭に風を当てていく。暴れまわる髪から水分を飛ばし、なんとか手櫛で毛流れを整えたロアはふう、と息をついた。


「おら、終わりだ。さっさと服着てこい」

「……」


 バスタオルから覗く金の瞳はじと、と半目になっていて随分ともの言いたげであったが、言葉にすることはやめたらしい。

 ぷいっとアステルはそっぽを向くと、部屋の隅に置かれた木製の籠からシャツを引っ張り出している。ちなみにクローゼットなんて洒落たものはこの塔にない。少なくともロアの目視圏内にはなかった。


 アステルが服を適当な籠に突っ込んで管理していると知ったときは、その手があったか、という気持ちと人として終わりだな、という気持ちが同時に沸き上がったものだ。

 ここ最近あのシャツを毎度毎度洗濯して籠に補充してるのが使い魔ではなく、ロアだという事にアステルが気づく日は来るのだろうか、と思ってまあ来ねえだろうな、とロアは結論づけた。

 アステルに察しの良さを期待するのは出会ったその日に諦めていたので。


 そもそもの話、洗濯なんて、使い魔に丸投げしておけばよかったのに、洗濯方法があまりにも野蛮かつ大雑把で見ていられなくなったのだ。

 その方法は、ある意味至ってシンプルだった。


 手順1。沸き立った鍋に洗浄液と服を突っ込みぐつぐつと煮る。以上。


 確かに清潔にはなるが、加減を考えず長時間適当に服を煮ているので普通に繊維が傷む。

 加えて、以前作りかけのスープでその「洗濯」をやられたためもう自分でやった方が速いし心労も減るだろう、と手を出した。というか出してしまった。

 それ以来、洗濯がロアの仕事に追加された。


 ロアは食器棚を空けた。なぜかは分からないが戸棚のカップが日に日に減っているような気がする。並ぶカップの中から何とか欠けていないものを二つ取り出し、飲み水でいっぱいに満たす。

 浄水器を通したのではなく、井戸から直接くみ上げたそれは未だひんやりとしていて、旨い。

 乾いた喉に染み渡るそれに、ああ、喉が渇いていたのだと遅れて自覚する。


「アステル」

「……ん」


 服を着て戻ってきたアステルにもマグを手渡した。

 アステルもまた、喉が渇いていたのだろう、ごくごくと勢いよく水を飲むアステルの口の端からはだぱ、と水が垂れてシャツに盛大なシミを作る。


「あ、」


 3回に1回はこんな風に水の量を見誤ってこぼしているので、本当にこの生き物は生きるのがヘタクソだな……とロアは毎回感心していた。

 口をごしごしとぬぐうアステルからマグを受け取ると自分の分と一緒に洗ってしまう。

 マグを食器棚に片付けたロアはアステルの方に振り返ると、ぴっと親指で氷室を指さして言った。


「アステル」

「なんだい」

「ポーション1本貰っていいか?金は払うぜ」

「構わないよ。使用感を教えてくれるなら代金は不要だとも。前あげたやつは使ったのかい?どんな感じだった?どこを失くしたんだい?」


 紙とペンを呼び出したアステルがキラキラと目を輝かせながらずい、と身を乗り出してくる。

 ロアの服をひん剥いて検証しかねない勢いだ。


「使ってねえ。使う前に消費期限が来たんだよ。ウチにはこの冷える戸棚ねえしな」

「なんだい。そうかい。……まあ別にいいよ。お金は」


 むす、と表情を不機嫌なものに変えたアステルは空中でペンをぐるぐる回しながら唇を尖らせていた。


「毎回それだろ。採算はいいのか」

「……君に世話になってることぐらいわかってるとも。君が勝手にやってることだけど」

「そうかよ。なら、ありがたく貰ってくぜ」


 アステルの言葉に、ふ、と知らずロアは笑みを浮かべていた。

 氷室の戸棚を開けると、中にはずら、と並んだ大量のポーション。


「で、どれならいいんだ?」

「持っていくならロット100から120にしておきたまえ。僕で治験済みだ。120から130は効果が強い分副作用も強くて使いにくいよ。もちろん使ってくれても構わないけどね」

「わかった。……なあ、一つ聞いていいか?」

「副作用の事かい?121番から126番は鼻水が止まらなくなって――」

「違ェよ」


 ペラペラと聞いてもいないことをしゃべりだした言葉を呆れ混じりに遮ったロアは扉を一度閉じるとアステルに向き直った。


「売らねぇのか? これ」

「生成が安定しない。ほんの少しの温度や材料の状態で効果が変わるんだ」

「しょっちゅう爆発しているもんな」


 ぼそりと落とした呟きにアステルが彼を睨みつけるように目をすがめる。好きで爆発しているのかと思ったが、どうやら本人的には不本意だったようだ。唇を尖らせて下からロアを責めるように見上げてくる視線に両手を上げて降参の意思を示しつつ、ロアは言葉を続けた。


「なんにせよ、売る気がねぇならいい」


 ロアの質問に首を傾げたアステルだったが、特にその意図に興味はなかったのだろう。

 ロアは110、と書かれたポーションに手を伸ばし――手に取ったのは、その横、130と書かれた小瓶であった。

 それをスラックスのポケットに素早くねじ込む。

 ロアは足早に戸棚から離れると、椅子に掛けてあった黒い外套を羽織って剣を腰に下げる。

 もう少し塔での仕事を済ませて置きたかったが、ロアの「本業」は別にある。


「俺は行く。ちゃんと飯食えよ、アステル」

「……んー」


 気の抜けた生返事を返しながら、アステルはロアを一瞥もせずにラボへと続く扉の向こうに消えていった。

 もう頭の中は新しいアイデアや実験の改善案でいっぱいなのだろう。

 アステルの背中を見送ったロアは軽く息を吐くと反対の扉――塔の階下へと続くものへと足を向けた。



 塔の壁をなぞるように配置されたらせん階段をぐるぐると下りていく。青い光が揺らめくランタンが廊下を照らしていた。そのまま二階の物置スペースを抜け、一階フロアへと続く重い金属製の扉を押し開ける。


 塔の一階は玄関兼応接室兼店になっている。来客用なのか、革やら布やらでつぎはぎだらけの長いソファが一対とローテーブルが向かい合うようにして部屋の中央に置いてある。壁際には本やらがらくたが無造作に置かれており、ロアが来るたびに減ったり増えたりしていた。


 その中で最も目を引くのは玄関近くに置かれた大きな箱型の道具だ。その道具――アステル曰く「ポーションうるうるくん」。つまるところ、無人でもポーションの売買を可能にする装置だそうで。


 売っているのはアステルが体の一部を吹っ飛ばすたびに使うような、万能薬の成りそこない達ではなく、正しく肉体を修復するという目的を持って製造されたポーションたちだ。


 その売り上げで生活費や研究費を稼いでいる、と以前アステルが言っていた。ロアの「本業」も生傷が絶えない仕事だ。これにはよく世話になっている。だから、この無人販売装置を見る機会も多々あったのだが。


「……なーんか、へこんでねぇかこれ」


 以前ポーションを買ったときにはなかったへこみや汚れがついている。調子を確かめるように軽く側面を叩けば、ガタン、と機体の一部が開いた。開いた窓の中にあったのは円筒形のノズルの様な物体だ。嫌な予感が背筋を駆け上るよりも早く、ノズルから液体がロアの顔面に向かって吹きかけられる。

 首を傾けて反射的にそれをよけたロアだったが、じんわりと肝を冷やしていた。頬をかすめた液体は、触れずともわかる。熱湯だ。


「危ねぇな。下手すりゃ死人が出るぞ、これ……、ん?」


 そうなれば不利になるのはアステルだ。流石にやりすぎだろうと、と避けた液体を確認すべく背後を振り返れば、そこにあったのは真っ青な水たまり。そう、アステルがこの無人販売機で売っているポーションと同じ色。


「へぇ、熱湯ポーションってわけか」


 指先で触れたそれはまだ熱をもっていたが、もう火傷はしない温度だ。鼻先をかすめる匂いも普段から世話になっているそれと同じ。


「合理的で極悪なトラップだな」


 熱湯をかければ人間は当然火傷する。だが、その熱湯が高い治癒能力をもつポーションだったなら?答えは簡単、火傷で皮膚がただれた傍から修復する。罠にかかった哀れな誰かさんは、地獄の痛みと治癒を味わうことになる。怪我が残らないことが救いだが、加害の証拠を巧妙に隠滅する狡猾な罠ともいえた。


 ポーションは金になる。大方泥棒対策にアステルが仕掛けたのだろう。だが、これほど軽い衝撃で作動するのは些か過剰だ。以前にはなかった機体のへこみや汚れを見るに、不届き者がいたとみて間違いない。そのせいで罠の機能が些か過剰に動作しているのだろう。


 ロアは機体を刺激しないように一歩離れたところからその全体を見回した。よくよく見れば先ほどロアが発見したものとは別のへこみがいくつもある。拳で殴りつけたような跡もいくつかあるが、他は痕跡から見るにこん棒の様なものでやったと見る。この有様なら何度かさっきの熱湯ポーションを食らっていてもおかしくはない。


「……根性というか……執念だな、ここまでくると」


 だが、ロアが見た限りでは大きな破損はなく、泥棒がポーションを手に入れられたとは考えにくい。例えば、ロアのように反射神経に優れたものなら盥で熱湯を受け止める、という曲芸技もできたかもしれないが。


「それはねぇか」


 床を慎重に観察してみれば、ところどころに零れたポーションの水玉が渇いて残っていた。

 アステルの使い魔達が定期的に掃除をしているはずだから、拭き残しだろう。乾ききっているという事は、不届き者がここにきていたのは少なくとも今日ではない。


 物騒だとは思うが、罠を食らうような間抜けならここよりも上のフロアに入ることも出来ないはずだ。一階からアステルのプライベートなエリアにあたる二階以上に入るためには、少々特殊な鉄扉を開く必要がある。


 加えて、例の根性があるのだか無いのだか分からない泥棒も、散々熱湯ポーションを食らった後でアステルの部屋へと踏み込む勇気があるとも思えない。

 ロアはそう結論づけると、改めてポーションうるうるくんに向き直った。勿論、ポーションを買うために。


 並んでいるポーションは上級、中級、下級と三つのランクがあり、上級は一瓶につき金貨二枚。パンを買おうと思ったら百個は買える。それなりに値が張るが、四肢を失うような致命傷以外なら大概の傷はどうにかなるので重宝していた。中級は銀貨三枚、下級は銅貨五枚。それぞれ値段相応の効果が得られる。


 ロアはいつも通り、上級ポーションを購入しようとしたのだが、普段と異なりコインの投入口がふさがっていた。


「殴られすぎて壊れたんじゃあねえだろうな」


 罠を警戒しつつ、そっとコインの投入口に金貨を押し込んでみれば、「ウリキレ!!ウリキレ!!」とどこかアステルに似た声で販売機が喚きだした。


「売り切れ。……売り物をトラップにも使った……は、無ぇか」


 先ほど襲い掛かってきた熱湯ポーションの色は鮮やかなスカイブルー。中級ポーションの色だ。上級ポーションは更に濃いネイビーだから色が違う。仮に売り物を罠に流用していたとしても、無くなるとすればそれは中級ポーションだ。


 という事は、純粋に上級ポーションを品切れになるまで買い占めた奴がいるらしい。


「太っ腹なのか、それだけの必要性があったのか……?」


 ここの売れ行き商品は基本的に中級ポーションだ。

 次点が下級。上級も売れるには売れるがなにせ値が張る。金貨二枚というのはそれなりの大金だ。在庫をどれほど用意していたのかは知らないが、それなりの量はあるはずだ。

 だが、怪我人が大量に出るような事件や災害の話はここのところ聞いていない。タイミングが悪く、上級ポーションを必要とする人間が沢山いた、と言えばそれまでだが。


 ベコベコに凹まされた販売機といい、初めての売り切れといい、どうにもキナ臭い臭いがするとロアの勘が告げていた。


 とはいえこれ以上の手掛かりがない事も事実。上級ポーションを諦め、中級ポーションを二本購入したロアは塔を後にして、街へと足を向けた。

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