第1部:交流 / 第26話:王
王都ティル・ナ・ローグにたどり着いた一行は、束の間の安息を得ていた。城では、来たるべき籠城戦に向けて、着々と準備が進められている。
城門では、エアデール王国騎士団長ガウェイン・ファーガスが、レオンとその部下たちを自ら出迎えていた。
「グリムロックの将軍殿。この度は、我々の援軍要請に応じてくれたこと、心から感謝する」
その言葉に、レオンは愕然とした。援軍要請? 我々は、そんなもの一切受け取っていない。頭の中で、パズルのピースが組み合わさっていく。エアデールからの使者は、やはりザフランの手によって…。
レオンは込み上げる怒りを抑え、静かに答えた。「…礼には及ばん。我々は、ただ為すべきを為すためにここに来た」
玉座の間に案内されると、国王エリアンが玉座から立ち上がり、レオンに歩み寄った。
「おお…!よくぞ参られた、レオン殿。この御恩は、生涯忘れませぬぞ」
その心からの感謝に、レオンは顔を伏せるしかなかった。
「…申し訳ありません、陛下。我が部隊は、わずか百名足らず。とても援軍と呼べるものでは…」
エリアン王は、その言葉の裏にある全てを察した。彼は静かに尋ねる。「…これは、レオン殿の独断での援軍ですかな?」
レオンは、自国の女王のメンツを潰すわけにはいかず、無言で俯いた。
その沈黙を肯定と受け取ったエリアン王は、次の瞬間、誰もが予想しない行動に出た。彼は、自らの頭上から、王の象徴である冠を静かに外し、床に置いたのだ。
「皆聞け!」
その静かな、しかし有無を言わせぬほどの強い声に、広間にいた全ての臣下が息を呑んだ。民を慈しむ温厚な父として知られる王が、これほどまで声を荒げるのは、誰も見たことがなかった。
「今、私は国王ではない。一人の人間として、友国の騎士レオン殿に、心から感謝を申し上げる」
そう言うと、王はレオンの前に深く跪いた。
広間に衝撃が走る。「陛下…」「おお…」「なんと…」。臣下たちは驚きにざわめいた。しかし、国の窮地に王としてのプライドを捨ててまで感謝を示す王の姿に、彼らは王の真の想いを理解した。一人、また一人と、王妃メイヴ、騎士団長ガウェインをはじめ、その場にいた全ての臣下、騎士、貴族たちまでもが、静かに、そして一斉に国王に続いた。
「陛下、おやめください!これでは示しがつきません!」
レオンが焦って叫ぶ。しかし、エリアン王は顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「私はそもそも、王の器ではございません。もとはただの魔法研究家。この国の民に代わり、御礼申し上げる。…この戦が無事終わった暁には、私の全私財を投げ打ってでも、貴国にこの御恩を返すとお約束致しましょう」
その言葉を聞き、レオンは涙をこらえながら、心の中で強く思った。(この方にこそ、我が命を捧げたかった…!)
「頭をお上げください、陛下。あなたは、誰よりも立派な国王です。でなければ、なぜ皆があなたに続くというのですか」
そう言うと、レオンはエリアン王に対し最敬礼を行い、心からの敬愛の情を示した。その姿に続くように、彼が率いてきたグリムロックの騎士たちもまた、一糸乱れぬ動きでエリアン王に最敬礼を行った。
レオンを迎えた王宮では、直ちに軍議が開かれた。
レオンは、エアデールの地形を見て、「まず、白鹿大橋を破壊し、敵の流入を食い止めるのが先決でしょう」と進言。ガウェインも同意する。
その時、一人の伝令が血相を変えて駆け込んできた。
「申し上げます!ギザリオン公国より、早馬による返書にございます!」
伝令が差し出した国書を、ガウェインが受け取り、その封を解く。エリアン王が期待の眼差しを向ける中、ガウェインは力強い声でその内容を読み上げ始めたが、その声は次第に、苦々しいものへと変わっていった。
「ギザリオン公国は、我がエアデール王国に対し、援軍及び支援物資の提供、またアルヴァン川への船団派遣による国民の救出を約束する、と…!…ただし、条件が。この先一年間の魔法資源及び技術の無償提供、関税撤廃、アルヴァン川の輸送経路の譲渡…。さらに…救出は女子供を優先し、我々騎士団、王族はここに残れ、と…」
それは、国の主権を明け渡せというに等しい、あまりにも過酷な条件だった。
「そんな!それでは国に滅べと言っているようなものではないか!」
レオンが憤る。しかし、エリアン王は、迷いなく、即答した。
「わかった。すぐさま使者を出そう」
彼は、傍らの王妃に視線を移し、優しく微笑んだ。「メイヴ、それで良いな?」
メイヴ王妃は、夫の決断を、そして自らの運命を受け入れ、微笑みを浮かべた。「陛下の御心のままに」
「陛下、それではあまりにも…!」
「レオン殿。国が滅びても、民が生き延びることができる。我々エアデールの民の技術がこの世界の役に立てるのであれば、それで良いのです」
その気高い自己犠牲の精神に、レオンは再び言葉を失った。彼は、エリアン王に向き直ると、力強く進言する。
「陛下、この戦、必ずや乗り切ってみせましょう!」
しかし、ギザリオン公国の援軍が来るまで最低でも二日はかかる。それまで王都を守りつつ、橋を破壊しなければならない。エアデール騎士団は、王都の防衛で手一杯だ。
その重い沈黙を破ったのは、レオンだった。
「その役目、我がグリムロック騎士団にお任せいただきたい」
彼の後ろに控える部下たちは、副官レナ・アストリッド共々眉一つ動かさない。皆、死を覚悟していた。
だが、たった百名で、十万の大群がひしめく橋を破壊するなど、不可能に近い。誰もが絶望的な表情を浮かべた、その矢先だった。
一人の兵士が、息を切らして玉座の間へ駆け込んできた。
「ご報告します!ガウェイン様! れっ、レオニス様が…!たった今、城門に…!」
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