昭和の残党
猫浪漫
第1話 ゲームボーイ争奪戦・前編(1990・H2)
小学五年生の頃、夏休みに入った五日目の夕方に、突如としてファミコンが壊れてしまったのです。
さっきまで動いていた筈の我が家の家宝――あの名機が、何の音沙汰もなくその活動をやめてしまいました。
いくらカセットの端子をフーフーしてホコリを舞わせ、その余波で唾をフライングさせてもダメだったのです。
突然のファミコンの沈黙に、わたしは途方に暮れてしまいました。
――ファミコン無しの夏休みは考えられない。ファミコンなしでどのようにひと夏を乗り切ればよいのか?
近所のおばさんから、身内の不幸でもあったのかと勘違いされるくらいに、わたしの嗚咽は止みませんでした。
そんなわたしの背中を不憫に思ったのか、翌日の朝、母が優しい笑顔で一枚のチラシを差し出してきたのです。
それは駅前のディスカウントショップのチラシであり、その店の名を「ダ〇クマ」といいました。
その広告の中に、ゲームボーイ本体の特価販売の項目があったのです。
ゲームボーイとは、かつて任天堂が発売していた携帯ゲーム機であり、2000年代以降のDSやSwitchなどの前身といえるものでありました。
「なんだか、可哀想だから買ってあげる」
この時の母は、まるで弁財天のようでありました。
当時、ゲームボーイは発売から既に1年が経過しておりましたが、未だその人気は衰えず、ミニ四駆と並んで小学生の話題の中心を存分に担えるほどの存在でした。
とはいえ、親には買ってもらえないこどもたちも、わたしを含めそれなりにいたので、そんな少年少女たちにとって、この名機は高嶺の花といえるものだったのです。
ですが、この小学生にとっての最大級の秘宝を得る時が、遂にこのわたしにも到来したのでありました。
わたしは我が家の弁天様(母)から軍資金を貰うと、喜び勇んでちゃりんこを限界速度にまで走らせました。
そのスピードはわたしの人生においても五指に入るであろう爆速なタイムを叩き出し、開店の40分前にはダイ◯マに着きました。
しかしその時既に、顧客整理のためか出入り口の一角が開放されており、そこにはゲームボーイをこの手に収めんとする連中が、我こそはとおもちゃ売り場の方から長蛇の列を成していたのでありました。
このような由々しき事態に対し、わたしもこぞって、この野心高き物欲の蛇に連なろうとすると、四方からゲームボーイ・ハンターの嫌疑ある危険因子――即ち親子連れの群れがやって参りました。
すぐに危機を察知したわたしは、昼時のラーメン屋に駆け込むときなどに用いる、浅ましい早歩きを駆使することで、彼らよりも早く最後尾に着くことに成功しました。
「すっごい早歩きだったね!」
「競歩みたーい!」
――確実にわたしのことをいっている……。
前を並んでいた不愉快な母子が、自分のことをこのようにディスり始めましたが、いつもならちっとのことで気にしいのわたしも、この時は臨戦モードでありましたので、気高い沈黙を貫き通すことにしたのです。
その後、出遅れた連中が次々とわたしたちの後に並び始めました。
このようにして、数多の親子たちが作る列は、たちまち出入り口をはみ出すほどの長いものとなったのです。
この時ばかりは、あのドリーミーな「カリスマネズミ」にも、そこそこ認められるほどの状況だったといえます。
このようなスネーク・インフレが止まらない中、
いつもこの店にいるオヤジ(店員)が、マイクを手に次のように呼びかけてきました。
「えー今から整理券をお渡しします。券は在庫分の枚数となっておりますので、この券をお持ちでない方はご購入出来ませんので、ご理解の程、よろしくお願いいたします」
この告知に対し、我々のいるおもちゃコーナーでは低音の効いたどよめきが発生し、その後、事情を理解したこどもたちの甲高い悲鳴が鳴り響くと共に、深刻な緊張感が漂い始めました。
やはり爆発的な人気のため、事前に整理券を用意しておいたようですが、この券を所有出来ないという事は、ゲームボーイをGET出来ないということですから、即、死を意味します。
一変して、この長蛇列はゲームボーイを巡る覇権争いの様相を呈したのです。
また、この日は子供連れの客が多く、実際の購入者の数が掴みづらいところがあり、このことが更に不安を煽りました。
といいますのも、顧客は何も子連れだけではなく、中高生やソロの大人もいる訳です。
つまり単に子供にせがまれて1人で買いに来たおばさんなのか、または単に自分が買いたくて1人で来たおっさんなのかも判らない人が混ざっている可能性がありました。
また子供に両親がついていても、通常はストックを1台失うだけですが、実は両親ではなく、全く別のご家庭のお母さんだったり、近所の仲良しさんとお互いの子供を連れだって来ているケースさえもあったのです。
「アラッ! ナカムラさん(仮名)!」
「いやあ〜こどもにせがまれちゃいましってぇ〜」
「アラン! うちもなんですよぉ〜」
事実、店員が整理券を配りだすと、前列の方でこのようなフェイク・ペアレンツ現象が起こり始めました。
次々と手渡されていく整理券――このミラクル仕様のチケットを手にして、歓喜する前方のこどもたち。
その表情を、わたしはまるで上級国民に対するような負の感情で見つめておりました。
――まだ大丈夫、わたしのところまでは整理券は持つはずだ……神様お願いします……南無阿弥陀仏……。
このように、わたしの中で「謎の神」と「浄土真宗」がゲームボーイ獲得のために総動員され、あらゆる習合の力でゲームボーイ獲得の祈願が行われました。
「かみしゃま……!」
この行為はわたしばかりではありません。手を組み、悩ましい祈りを捧げている幼いこどもたちも散見されます。
よく甲子園なんかだと、綺麗どころの女子高生あたりがカメラマンに見つけだされて、自軍の勝利を祈る彼女の姿が映し出しだされたりしますが、あのときの「神頼み専用の神」が、この「ダイ◯マ」にも引っ張りだこに召喚されつつありました。
今のところは整理券の配布は滞りなく続いており、とうとう店員のオヤジが、目の前にいるわたしの小走りをディスった母子連れのところまでやってきたのです。
――おっしゃ! おっしゃ! いける! いける! 神様ナイス! 神様ありがとう! ナイスナイス! いけるいける神様! あともうちょい! あともう一声! 南無阿弥陀仏!
あと少しの粘りで、わたしはこの争奪戦の勝者になれる状況といえました。
祝福のときは今、わたしの目前にまで迫っていたのです。
「あのう……2台買うことは可能なんでしょうか……?」
わたしが殉教者レベルの習合的祈願を重ねていると、突然、その母子連れのお母さんがこのようなことをいつものオヤジ(店員)に口走ってきたのです。
というのも、ゲームボーイはファミコンと同様にゲームによっては対戦プレイが出来るのですが、そのためには、この神器を2台用意する必要がありました。
しかしこの状況で、「2台買いたい」と主張できるのは、この日本において空気の読めないお子様だけです。
そんな空気の読めないお子様が、この「ダイ◯マ◯」にもいたのでした。
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