第4話 見送り

 次の日の朝。弁当を鞄に詰めて、慌てて靴を履いて玄関を出る。

 すると、扉を開けた先には、ニコニコと微笑んでいる若い男が美央を待っていた。


「おはようございます、美央さん」


 そう言って太陽のような笑顔を浮かべて挨拶をするのは、昨日、一緒に残飯処理をしてくれた大澤直登だ。

 23歳の社会人からすれば、その笑顔はとても眩しくて若い。美央は軽く会釈して「ども」と一言だけ返す。

 ニッコニコで隣を歩いてくる大澤に、多少の苛立ちを覚えながらも、自動車を留めている駐車場まで歩く。

 カギで扉を開けると、無言で運転席に乗ろうとする美央の腕を軽くつかんだ大澤。


「待ってよ、なにか聞きたい事とかないの?」

「しつこいよ? 聞きたいことってなに? もしかして昨日の残版の事? でも、それって昨日処理したから解決したんじゃないの? 正直そこまで暇じゃないんだけど……」

「そうなんだけど、違うんだってば。植野さんの件、ちょっとだけ進展があってさ」

「進展?」

「そ。最近、旦那と離婚していたらしい」


 ドヤ顔で報告してきた大澤の内容に、思わず「何だって?」と返してしまう。


「離婚って……何かあったの?」

「植野家だと毎晩のように口喧嘩、あと冷戦状態だったらしいんだよ。それで妻である植野 晴子はるこから離婚届を差し出して、旦那だった植野 孝雄たかおがすぐにサインしたんだ」

「へえ」

「興味ない?」

「いや、残飯事件とどういう関係があるの? 私にはさっぱり分からないんだけど……」

「意外とね、関係があるんだよ。それで今日、美央さんにこの資料に目を通してほしくて……」


 大澤が玄関先から持っていたクリアファイルを取り出すと、中にあるクリップで留めてある大量の資料を差し出してきた。

 仕方なく受け取って中身を見てみると、彼らの素性と行動をまとめられていた。昨日だけでこの書類をまとめたというのなら、本当によくやっていると思う。


「すご」

「でしょ~~」

「でも危ないことはしちゃダメ! 君はまだ若いんだから」

「ええ? 美央さんも充分若いのに~~」

「充分って何よ。おばさんって言いたいの?」

「嘘だって! 美央さんは綺麗だよ、いつも頑張ってて偉いね」

「うっ」


 恋愛感情に触れてこなかった美央にとって、大澤の些細な一言は胸を高鳴らせた。

 いやいやいや、待って。うん、冷静になろう。たとえ相手が男の子でも、大人が未成年に手を出したら、それこそ事件に発展しかねない。

 ふう、と一息ついて、一旦冷静になる。改めて大澤に目を向けて、資料を返した。


「だからって私には関係ない。もう関わらない方がいいんじゃない? 私はもう大人。アンタは子供。それだけの関係じゃない」

「そうなんだけど、危ないのはここからの話で……」

「ごめん、仕事の時間が迫ってるから」

「あ、ちょっと!」


 車の運転席に乗り込んで、扉を閉める。すぐにエンジンをかけると、ちらりと彼を見た。寂しそうに俯いている。

 はあ……世話の焼ける奴だなぁ、と思った美央は、窓を開けてから「帰りなら話聞けるから。その時に話そう」と言った。すると、大澤の表情がパァァと明るくなって「分かった!」と大きな声で返事をした。

 ふふ、わんこみたい。

 不意に思った自分の感情に、不思議な気持ちになった。とりあえず時間を確認して、仕事が始まる時間が迫っていることに気付く。


「行ってらっしゃい! 美央さん、待ってるね!」

「はいはい。待っててね」


 元気に手を振って見送る大澤の姿に、思わずふっと微笑んでしまう。

 久しぶりかもしれない。笑顔をこんなにも自然に出せるなんて。そんな相手が未成年の彼だったとは思わなかったけど……。

 でも、社会に揉まれに揉まれて精神がすり減っていた美央にとっては、とても新鮮な気持ちだった。

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