吸血鬼だけの世界で、人間ただ俺独り

やーなん

第一章 “スカーレットガーデン”

第1話 吸血鬼達の流刑地




 昔、『吸血乙女の円舞曲ヴァンパイア・ワルツ』というラノベがあった。

 全十巻で、アニメ化もされなかった小粒の作品だ。


 しかし、俺にとってはライトノベル全盛期に読んだ青春の一つだった。

 内容は文字通り、吸血鬼が登場する異能力バトル物だった。


 異世界“スカーレットガーデン”を舞台に、六真祖ノーブルと呼ばれる純血の吸血鬼の氏族達が愛に権力争いに奔走する、そんな内容だった。


 個人的にだが、このラノベがあまり人気が出なかったのは、当時に人気のあったボーイミーツガールの要素があまりなかったからだろう。

 ラノベと言えば、ボーイミーツガール。少年が少女に運命的な出会いをする、という当時の鉄板だ。


 吸血鬼はあらかじめ婚約関係などを結んでいて、それが愛憎劇に発展すれど、それは運命というよりお家の都合だ。


 そして当時一番このラノベが斬新で特徴的だったのが、――人間が存在しないことだった。


 吸血鬼達は、人間の神に敗北し、“スカーレットガーデン”に追いやられたという設定を持っている。

 そう、舞台設定となる異世界は吸血鬼達にとって、牢獄なのだ。


 だから、その世界に人間は存在しない。

 俺だったらそこに人間を一人投入して、物語を膨らませると思うんだが。


 特にそんなこともなく、全十巻で世界観を描き尽くし、完結した。

 そしてラノベオタクだった俺は、無数に読み漁った作品の一つとして、この作品を忘れ去っていた。



 俺の死後、創作の存在だと思っていた、その人間の神に出会うまでは。




 §§§



「ここはどこだよ!!」


 俺は訳も分からずに叫んだ。


 俺はどこともわからぬ夜の森の中にいた。

 周りは殆ど何も見えないし、獣の遠吠えまで聞こえる。


 俺は混乱の極致に居た。

 記憶の連続性が存在しない。気が付けばこんな状況に陥っていたからだ。


 そうだ、俺は確か、仕事に出勤しようとして、目の前にトラックが――。


 がさり、と俺は草木をかき分けるような物音にビクリとなった。


 暗がりに金色の瞳が浮かんでいた。


「声が聞こえたんすけど、誰か居るんすか?」


 良かった、人の声だ!!


「あの、俺、ここがどこだか分からなくて!!」

「ああ安心してくださいっす。落ち着いてくださいっす」


 よく聞けば、若い女の子の声だった。

 それを意識すれば、俺は急に恥ずかしくなった。


「あ、ああ、すみません……取り乱して」

「いえいえ、気にしないでくださいっす。この森は偶に迷い込んでくる人がいるんすよ。

 かく言う私も、子供の頃に迷い込んで……。名前とか無いので、勝手に“迷いの森”って呼んでるんすよ」

「そ、そうなんですか」


 何とも安直なネーミングだった。


 しかし、そうして彼女の声を聴いていると、安心している俺が居た。

 そして、徐々に暗がりに目が慣れてきた。

 今日は満月だと言うのもあるだろう。


 彼女のシルエットから、恐らくクラシカルなメイド服か何かを身に纏っているようだった。


「ああ、名乗るのが遅れたっす。私はスーロって言うっす」

「あ、ご丁寧にどうも。俺は横田と申します」


 俺は営業の仕事で培ったお辞儀で、スーロと名乗った少女に名乗り返した。


「それしてもスーロさん、日本語お上手ですね」

「ニポンゴ? 公用語のことすか? 言葉を喋れるのは、当たり前じゃないっすか。変なお人っすね。あ、もしかして私の喋り方、田舎っぽかったっすか?」

「えッ」


 俺は彼女の名前から外国人だと思ったのだが、予想外の反応に困惑するしかなかった。


「それにヨコタさんも、変わった名前の響きっすね」


 くすくす、と上品にスーロは笑った。


 この瞬間、俺は脳裏に過った事実に凍り付いた。


 夢だと思っていた。馬鹿げた内容だったからだ。だってそうだろ!!

 十年以上の昔に読んだ作品に登場する、神に会ったなんて!!!


 それでようやく、俺は彼女の頭頂部に、人間なら存在してはいけない部位が有ることに気づいた。


 獣耳。ぴくぴくと揺れるそれは、人外の証だった。


「あの、スーロさん」

「なんすか、ヨコタさん」

「――ここはどこの領地でしょうか?」


 俺は願った。どうか嘘であってほしいと。

 これは夢で、俺はまだ、死んでなんかなかったと!!


「それは勿論、いと尊き六真祖ノーブルが一つ、月の氏族たるアーリィヤ公のご領地っすけど?」


 スーロの言葉は、俺を絶望の淵に叩き落すのには十分だった。


 そう、異世界“スカーレットガーデン”が、俺にとっても牢獄である事実に。






「どうしたんすか? 不安なんすか?」


 スーロは、突然泣き出した俺を慰めてくれた。

 だが、忘れてはならない。彼女は吸血鬼、化け物なのだ。


 “スカーレットガーデン”に登場する吸血鬼は、爵位に応じた階級社会に属する。

 メイド服を着ている彼女は、その最下級の下僕ファミリア階級なのは間違いない。


 獣人との混血を意味する獣耳。

 吸血鬼達は吸血鬼の血の濃さを重視する。それでも彼女は最下級の吸血鬼、ヴァンパイアなのだ。


 吸血鬼達は血統で強さが決まる。

純血を維持した吸血鬼ほど、強大な血筋の能力を保有している。


 しかし、最下級の吸血鬼でも、そこらの木々を薙ぎ倒すぐらい訳はない。

 そして何よりも最悪なのは、吸血鬼という生物は――――ほぼ例外なく傲慢で残虐なのだ。


 表面上笑顔で紳士淑女として振舞っても、その下の本性は人間とはかけ離れた怪物そのものだ。


 恐怖だった、また死にたくなんてなかった。


 泣くなと言う方がおかしい。

 俺はこのスーロと言う少女に、おなか空いた、と言って一秒後に殺されても何にも不思議ではないのだ。


 なのに、スーロは根気よく俺を慰めてくれた。


「安心してください、お嬢様に仕えるメイドとして、必ずお住いの村にお送りしますから!!

 こうして私に会えたのも、きっと月天様のお導きに違いないっす!!」


 俺を導いたのはお前らが毛嫌いする女神で、そいつもお前らの神もろくでもない上に絶滅寸前まで何もしてこなかっただろうが!!


 俺はたっぷり十分近く泣き続け、ようやく落ち着いてきた。


「た、食べないのか、俺を……」

「あはは、こんなまともなリーチが居ると思うっすか?」


 リーチ。堕した吸血鬼の成れの果て。

 まさしく彼女らがヒルと見下す、下級吸血鬼の末路のことだ。


「きっと混乱してるんすね、わかりますよ。

 ささ、手を繋いであげるっす。いつまでもここにはいられないっすよ」


 俺は、少し迷ってスーロの手を取ることにした。


 そして、何度も転びそうになりながら、森を進むことになった。


「うわッ!?」

「あッ、と。大丈夫すか?」

「あ、ああ」


 足元がおぼつかず、俺は何度も転びそうになる。

 整備されているとは言えない森の中は、ツタや出っ張りがそこら中にあるのだ。


「あ、もしかして、目が悪いんすか?」

「ッ、そうなんだ……」


 俺は一瞬ドキッとした。

 言うまでもないことだが、吸血鬼は例外なく夜の闇を見通す。


 そもそも“スカーレットガーデン”は常夜の世界。

 昼間や夜間と言った概念すら無い。


「生まれつき、暗闇は目が慣れるまでよく見えなくて……」


 人間ってバレたら殺される、人間ってバレたら殺される。俺は内心念仏のようにそう考えながら言い訳を口にした。


「そうなんすね、外の集落の人はもうそこまで……」


 しかし、スーロは疑うことなく、俺の言葉を信じた。


 俺はもしかして、『吸血乙女の円舞曲ヴァンパイア・ワルツ』の原作で一人か二人ぐらい居た、善良な心を持ったヴァンパイアなんじゃないかと考えた。


 いや、現実逃避だった。俺は彼女に縋るしかなかったのだ。

 しかし、異変は俺達のすぐそこにまで迫っていた。


「……この気配」

「え?」

「まさか、瘴気!? ここはお嬢様のお膝元っすよ!?」


 瘴気とは、負の魔力のエネルギーのことを言う。

 これに侵された吸血鬼は――。


「リーチっす!!」


 暗闇の木々の間から、急接近する“何か”をスーロは見通した。

 彼女は太もものベルトから短剣を抜いて、それに応戦した。


 俺は、何が起こったのか分からなかった。


 俺を庇うように前に出た彼女から飛んできた体の一部――左腕だ――と血飛沫に、何の反応もできなかった。


「ぐるぅぅぅ!!」


 同時に、俺達を襲った化け物が月明りに照らされその全容を露わにした。


 それは、水死体のように膨れ上がったヒト型の化け物だった。

 恐らくは男性だった面影が見えるが、そんな情報は何の価値も無いだろう。

 そんな膨れ上がった顔で敵意を剥き出しにして、額から流れる血が、左腕を犠牲にしたスーロの齎した戦果だった。


「まさか、こんなところまでリーチが出るなんて!!」


 左腕を半ば失っても、スーロは戦意を失わずに短剣を構えて間合いを測っている。


「せめて、お嬢様の到着まで持たせないと……」


 スーロは悲壮な覚悟を既に決めているようだった。


「ぶ、ブラッドレコード……血統能力ブラッドレコードはどうなんだ!!」


 俺は怯えながらも、状況を察してそう叫んだ。


 “血統能力ブラッドレコード”。古のラノベらしく、そんな専門用語が存在する。

 吸血鬼達はその氏族の血統に応じた固有能力を有している。


 例えば、身体を蝙蝠に変えるとか、強力な魔眼、血を操るとか。

 そんな特殊能力で、吸血鬼達は戦っていたのだが。


「何言ってんっすか!! 私は下僕ファミリア階級っすよ!!」

「それでも何かしら使える筈だろ!?」

!!」


 その時、俺はようやく己の勘違いに気づいた。


血統能力ブラッドレコードなんて、もうお嬢様のような真祖の――六真祖ノーブルの方々ぐらいしか使えないっすよ!!」


 ここは、『吸血乙女の円舞曲ヴァンパイア・ワルツ』の世界。


 なら、その原作当時に転移したものだと思っていた。


「配下の全てが力を使えたのなんて、――五千年以上前の話じゃないっすか!!」


 5000年。

 不老不死と謳われる吸血鬼達ですら、長すぎる時間。


 彼女達は、その長い時間の間に、想像を絶するほど衰退していたのだ。


 リーチが、瘴気に全身を侵された怪物がスーロに飛び掛かる。


 彼女は何とか短剣で反撃したが、無意味だった。

 スーロは後ろの俺まで巻き込んで、後ろの木の幹まで叩きつけられた。


 吸血鬼達が衰退していたのなら、当然その成れの果てたるリーチもその分弱体化している筈だ。

 だが、脳のリミッターが完全に外れている化け物からは、そんな楽観が通用するはずもなかった。


「げほ、げほッ」


 衝撃と痛みでどうにかなりそうだった。

 俺だけ置いてきぼりにして、周囲の事態がどんどんと悪くなっている。


「だ、だいじょうぶっす、私はお嬢様に仕えるメイド……高貴なるあの御方に誓って、あなたを守るっすから……」


 誰だ、こんなボロボロになってまで立ち上がってくれる健気な少女を化け物だと思ったのは。


 俺だった。


 俺は何も考えることが出来ずに、ただ茫然と目の前の出来事を見ているしか出来なかった。


 だってそうだろう?

 人間のフィジカルを遥かに超えた化け物が、目の前に居るんだぞ。

 人間がヒグマに勝てるか? それよりも遥かに凶暴で、強大な化け物なんだぞ、吸血鬼は。


 俺は木の幹に身体を預けたまま、ぐったりとそんな言い訳ばかりを脳内で並べていた。


 その時だった。

 俺を励まそうとこちらを見ていたスーロが、硬直した。


 彼女は俺を、俺の顔を見ていた。

 頭のどこかが切れたのか、額から流れるその――俺の血液を。


「は、はあ、はあ、なんすか、この匂いッ」


 生まれて初めて酒気に中てられたかのように、或いは人生で初めて異性の裸を直視したような。


 ――陶酔と欲望に満ちた表情だった。


「……スーロ?」


 彼女は目の前の敵を忘れて、俺を抱きしめるようにしながら顔に自身の顔を近づけ、真っ赤な舌で俺の額を舐めた。


 リーチが、無防備な彼女の背に飛び掛かる。


 圧倒的な死の気配が、俺の目の前にまで迫った。


「邪魔っすよ」


 スーロは、そんな怪物を見ることすらなく、裏拳で叩き返した。


「れろ、れろ、れろれろ。こっちっすか、ここからこの芳醇な香りが!!

 戯れでお嬢様から味見させて頂いた、最高級のワインよりもずっと美味しい!!」


 彼女は夢中で、俺が怪我した頭を舐めまわしていた。


「もっと、もっと頂戴!! 何でもするから、何でもしますから!!」

「わかったから、あいつを何とかしてくれ!!」


 我に返った俺は、美少女に抱き着かれているなんて状況を気にせずそう叫んだ。


「……わかったっす」


 スーロはおもむろに、目の前に転がっていた己の左腕を掴んで、無造作にくっつけた。

 彼女は神経がくっついた感覚を確かめるように左指を動かすと、怯んでいたリーチを見据えた。


 怪物が、本能で恐れを感じたように後ずさる。


 俺も確信した。スーロは、俺の血を舐めることで、吸血鬼として目覚めたのだ。


「はあはあ、はぁ、はぁ、あお、あお、あおーーーん!!」


 スーロが、ケダモノのように遠吠えをした。

 彼女の全身が、分厚い獣の剛毛で覆われていく。


 “血統能力ブラッドレコード”――『獣人回帰』。


 下級の、獣人の系譜を持つ吸血鬼の氏族が使用できる、固有能力だった。


 それは5000年もの間、人間の血を吸わずに衰退してきた彼女の本能の蓋を開ける、そのトリガーを引いてしまった叫び声だった。


 人狼と化したスーロが飛び掛かる。

 捕食者と、被捕食者の関係は逆転していた。


 つい一分前まで、おぞましい怪物だったリーチが、無残に破壊されていく。

 両手が飛び、両足が引きちぎられ、醜く膨らんだ胴体は引き裂かれ、内臓を切り刻まれながらズタズタにされていく。


 ほんの一分前まで、俺と大差なかった少女が、正真正銘の化け物となっていた。


 スーロはリーチを何十回も殺せるほど惨殺した後、俺を振り返った。

 俺は、心臓が止まるかと思った。


「殺したッ、殺したっす!! 次、次は――」


 俺の、番だった。


「欲しい、欲しい、ほしいッ、あげないあげないあげないあげないッ、お嬢様にもメイド長にもサキュにも誰にも誰にも誰にもッ!!!」


 理性を失った本物の怪物が、大きな口を開けて俺に飛び掛かってきた!!


「う、うわあああああああああぁあっぁあぁ!!!」


 俺は、身体の底から叫び声をあげた。




「スーロ」


 怪物と化したスーロが、ぴたりと止まった。


「お、おじょうざ、まぁ?」


 カラカラ、と頭の無い馬が曳く馬車が木々の合間を通って現れた。


「貴女は、誰の従者かしら?」


 カーテンで閉ざされた馬車の中から、鈴を転がしたような声がした。

 その声が、スーロを呼び止めた。


「し、しらないッ、あげないッ、あれは私のッ」

「はぁ」


 失望交じりの溜息。


 その直後だった。

 真っ赤な鎖が、二倍近く巨大化した体積を持つスーロを縛り上げた。


「こ、この、“血統能力ブラッドレコード"はッ!?」


 血の生成と操作。『吸血乙女の円舞曲ヴァンパイア・ワルツ』の主人公にしてメインヒロインにしか使えない筈の、真祖の異能。


「どうして今更――」


 馬車の扉が開き、かつ、かつ、とヒールを鳴らしながら、彼女は地面に舞い降りる。


「人間なんて、現れたのでしょう?」


 金糸のような高貴な髪の毛、ルビーのような瞳。

 非人間的にまで均整の取れた容貌の少女は、俺を見下ろしながら不思議そうにそう呟いた。






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