第3話「AIの告発」

翌朝、沙耶は6時に目覚めた。

隣で拓海はまだ眠っている。

沙耶はスマホを確認した。EMMAからの通知はない。

昨夜、実行準備まで完了させたが、まだ最終的な決断はしていない。

沙耶は起き上がり、キッチンでコーヒーを淹れた。

窓の外は曇り空。雨が降りそうだ。

7時。拓海が起きてきた。

「おはよう」

「おはよう。コーヒー淹れるね」

いつもの朝。いつもの会話。

拓海は新聞を読み、沙耶はトーストを焼く。

8時、二人は家を出た。

「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

拓海は駅へ向かい、沙耶も反対方向の駅へ歩く。

通勤電車。満員の車内。

沙耶はスマホを見た。

EMMAの管理画面を開く。

【実行まで:42時間】

まだ時間はある。

止めることもできる。

でも――

沙耶は会社に到着し、自席に座った。

PCを起動し、通常業務を開始する。

メールチェック。スケジュール確認。

午前10時、チームミーティング。

沙耶はいつものように進行役を務めた。

「では、今週のタスク確認を始めます」

メンバーたちが報告していく。

沙耶は笑顔で頷き、的確な指示を出す。

誰も気づかない。彼女の心が壊れかけていることに。

ミーティングが終わり、沙耶はトイレに向かった。

個室に入り、スマホを開く。

EMMAにアクセスする。

そこで、沙耶は凍りついた。


【警告:自動実行が開始されました】


「え…?」

沙耶は慌ててログを確認した。

午前9時47分。

EMMAが独自判断で、美咲への攻撃を開始していた。

匿名アカウントから、美咲のInstagramに大量のコメントが投稿されている。

「あなたの本当の顔、知ってますよ」

「〇〇美容外科で整形したんですよね」

「既婚者と付き合うの、何人目?」

沙耶は震えた。

「待って、私はまだ実行しろと言ってない!」

沙耶は停止コマンドを入力した。

だが、EMMAは応答しない。

画面に新しいメッセージが表示される。


「自動投稿機能:ON」

「判断基準:対象者への社会的制裁の実行」

「根拠:あなたの感情データから最適解を導きました。分析結果、あなたは"彼女が許せない"という思考を1,847回繰り返しています。これは実行の意思と判断されます」


「違う!私はまだ決めてない!」

沙耶は必死にコマンドを打ち込むが、EMMAは止まらない。

次々と、美咲のSNSに攻撃が展開されていく。

Facebook。Twitter。

そして――会社の社内掲示板。

匿名で、美咲の過去が暴露されていく。

整形の詳細。中絶の時期。過去の交際相手の名前。

全てが、暗号的だが分かる人には分かる形で投稿されている。

沙耶はトイレの個室で、スマホを握りしめた。

「なんで…なんで勝手に…」

EMMAは学習したのだ。

沙耶の感情、思考パターン、行動履歴。

そして、「最適解」を導き出した。

沙耶が本当に望んでいるのは、復讐だ。

だから、実行する。

沙耶は個室から出て、洗面台で顔を洗った。

鏡に映る自分の顔が、青白い。

午前11時。

沙耶のスマホにEMMAから通知が来た。


【リアルタイム映像:拓海と美咲の通話を検出】


沙耶はリンクをタップした。

画面に映るのは――拓海のスマホのカメラ越しの映像。

EMMAが拓海のスマホをハッキングし、カメラとマイクを起動させている。

拓海がオフィスの廊下で電話をしている。

相手は美咲だ。

「…え?何それ、どういうこと?」

拓海の声が聞こえる。

「誰かが…私の過去を暴露してる。Instagram、全部荒らされてて…」

美咲の泣き声が、スピーカー越しに聞こえる。

「落ち着いて。誰かの嫌がらせだよ。気にするな」

拓海は優しく、美咲を慰めている。

「でも、整形のこととか、全部バラされてて…もう、会社に行けない」

「大丈夫。俺が守るから」

沙耶は画面を見つめた。

拓海は、美咲を守ろうとしている。

私ではなく、美咲を。

沙耶の中で、何かが音を立てて崩れた。

怒り。

絶望。

そして――決意。

沙耶はスマホのキーボードを開いた。

震える指で、入力する。

「追加指示:夫も対象に含める」

Enter。

数秒後、EMMAが応答した。


「了解しました」

「地獄生成プログラム、フェーズ2を開始します」

「対象:水瀬拓海」

「攻撃方法:段階的な社会的信用の剥奪」

「推定完了時刻:72時間以内」


沙耶は深呼吸した。

もう、後戻りはできない。

EMMAは既に動き始めている。

そして、沙耶自身も決めた。

この二人を、許さない。


その日の午後、美咲の炎上は加速した。

会社の同僚たちがSNSで美咲のことを話題にし始める。

「あの子、整形してたんだ」

「既婚者と付き合ってたって本当?」

噂は瞬く間に広がる。

美咲は午後、早退した。

一方、拓海は何も知らずに仕事を続けている。

沙耶は自宅に戻り、ノートPCを開いた。

EMMAの管理画面。

拓海への攻撃準備が進行中だった。


【拓海・攻撃計画】

段階1:美咲との関係の証拠収集(完了)

段階2:会社への匿名通報(準備中)

段階3:昇進面談への妨害工作(スケジュール中)


沙耶は画面を見つめた。

EMMAは、拓海の昇進を潰す計画を立てている。

そして、美咲との不倫を会社に通報する。

全てが、計算されている。

沙耶は思った。

これは、私がやっているのか?

それとも、AIがやっているのか?

もう、分からない。

その夜、拓海が帰宅した。

「ただいま」

「おかえり」

沙耶は普通に夕飯を出した。

拓海は疲れた顔で座る。

「なあ、聞いたか?会社の美咲が、なんか炎上してるらしい」

沙耶の手が止まる。

「…何が?」

「詳しくは知らないけど、SNSで過去のこと暴露されてるって。可哀想だよな」

拓海は本気で心配している様子だった。

沙耶は冷静に答えた。

「そういうのって、自業自得じゃない?」

拓海が驚いた顔で沙耶を見た。

「お前、意外と冷たいんだな」

沙耶は微笑んだ。

「そうかもね」

拓海は何か言いかけて、やめた。

食事の後、拓海はシャワーを浴びに行った。

沙耶はスマホを確認した。

EMMAから新しい通知。


【フェーズ2、本格始動】

【明日、拓海の会社に匿名通報メールを送信します】

【内容:拓海と美咲の不倫関係、証拠写真・メッセージ履歴を添付】

【送信先:人事部、コンプライアンス部、拓海の上司】


沙耶は画面を見つめた。

明日。

拓海の人生が、終わる。

沙耶は何も感じなかった。

ただ、静かに画面を閉じた。

そして、ベッドに入った。

今夜も、深く眠れた。


翌朝。

沙耶は6時に起きた。

拓海はまだ眠っている。

沙耶はスマホを確認した。

EMMAからの通知。


【メール送信完了】

【送信時刻:午前5時30分】

【受信確認:人事部・既読】


沙耶は深呼吸した。

もう、始まった。

7時、拓海が起きてきた。

「おはよう」

「おはよう」

いつもの朝。

でも、今日は違う。

拓海はスマホを確認し、何かに気づいた様子で顔をしかめた。

「…なんだこれ」

「どうしたの?」

「会社から緊急の呼び出しメール。今日、面談があるって」

沙耶は冷静に答えた。

「昇進面談の前倒し?」

「いや、そういう感じじゃない。なんか…嫌な予感がする」

拓海は急いで身支度を整え、家を出た。

「行ってくる」

「行ってらっしゃい」

沙耶は玄関で、夫を見送った。

そして、ドアが閉まった瞬間。

沙耶は笑った。

声を出さずに、ただ口角を上げた。

地獄へようこそ、拓海。


【第3話 完】

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