第6話 雨

《全国の不登校の小中学生が、三十五万人と過去最多に。小学校低学年が急増。十年前に比べ七倍に・・》



 僕は今、生きているという刑に服している。


  

 雨――


 土砂降りの雨――


 全身に降り注ぐ雨――


 どこまでも降り続く雨――


 心底最低な雨――


 雨に濡れていないすべての存在をうらやむ――惨めな存在。


「何で俺は俺なんだ?」

 何で俺は、あそこで笑っているあいつじゃないんだ?

 ふと思う。



《ガザ空爆、四十八時間で少なくとも子どもを含め六十一人が死亡》

 


 心の芯までずぶ濡れになって、家に帰り着く。


 終わった。


 今日も終わった・・。


 でも、明日はまたすぐにやって来る。


 そして、それは永遠に終わらない・・。



 ブッダ:

 人は己を与えられず

 己を放棄できない


             相応部一―七八



 負け犬は負け犬なりに今日も生きている。

 


 今日も生きていない世界に僕は一人新聞を配る。


 不安――


 今日も何に対して不安なのかさえ分からない茫漠とした不安が、この世界いっぱいに広がっている。


 

「最近、大野さん見ませんね」

「大野さんガンだってさ」

「・・・」

「もうあの人はダメだ。復帰は無理だな」

「・・・」

 僕の終わりはどんなだろう。ふと考える。



 ブッダ:

 たとえば見た目も香りも味もすばらしいが

 毒の混ざっている飲み物がある

 飲めば死ぬか、死ぬほどの苦しみを受ける

 そのようにこの世界のものを愛し

 それらは美しく

 自己であり消えることはないと考える者は

 欲望し執着して、苦しみを得る


                   相応部一二ー六六



 ――通知――

 新聞をポストの奥までしっかり入れてくださいとのことです。お客様が大変怒っておいでです。気をつけてください。

「・・・」

 また広瀬からだ。


 怒り――


 なんだか最近、訳もなく無性に怒りが湧く。



 怒りに支配されたものには安全な場所など存在しません


                   増支部七ー六四



 社員の谷口君はとてもバカで嘘つきだった。しょっちゅうあり得ないミスを繰り返しては嘘をつく。でも、人に怒られると逆ギレした。

 それでも彼はクビにはならない。それが新聞販売の世界。



 いつもの時間。いつもの空間。新聞を配る。

 

 どんなに辛くてもあくびは出る。


 今日は、なんだか堪らなく眠い。


 

「・・・」

 生きていない世界にふと立ちどまる。やっぱり、そこは生きていない世界。


 そこには淡々と当たり前に絶望がある。


 

《演説中のトランプ大統領候補が銃撃され・・、その犯人は直ちにシークレットサービスによって射殺されました・・》


「彼はランチの時いつも一人だったよ。今の若者の残酷さが分かるだろ?」

             

                 銃撃犯の同級生の話


 

 この世界は偽物ばかり、愛も友情も言葉も理屈も関係性も全部上っ面な偽物ばかり。


 口元にこびりついたそのにやついた顔。

 今日も生きていない世界に集う、どんなに粋がってみたところで、結局、弱い者をいじめるくらいしかできない、そんな若者たちの群れ。


 僕を笑う目。それらが僕を見ている。

 うれしそうに、とてもうれしそうに――



 どこまでも腐った世界で、今日も僕は新聞を配る。


 今日も闇の中に、あの雑音を刻んだアナログで、奇妙なインストゥルメンタルの曲が流れている。


  

《ガザでの死者が四万人を超え、戦争が始まってから一年が経ち・・》


 

 ブッダ:

 生き物を殺すもの・盗むもの・邪な快楽にふけるもの

 嘘をつくもの・酒を飲むものは

 現在においても

 未来においても

 恐怖と憎しみを引き起こし

 また心に虚しさと憂いを感じます。


                   増支部一〇ー九二



 齢八十二。配達歴七十年。読売新聞、伝説の配達員。近くのエリアを配るその人を、僕は未だ見たことがない――。

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