13. 噂の男
東京都に属する高尾山、その近辺にはいくつかのホテルが点在しており、そのなかに
このホテルは、明治時代に西洋の建築様式を用いて建てられており、ステンドグラスが施された玄関扉を抜けると、
建物が老朽化していることと山奥にあるということを除けば、帝霧館は誠に豪華なホテルであるが、このホテルに宿泊する者はほとんどいない。それどころか、このホテルを知っている者もほとんどいない。なぜなら、このホテルは宣伝活動を一切行っていないからである。このホテルには看板すらない。
では、なぜこのようなホテルが存在するのか。それは、このホテルがダミーホテルであり、実際はMISTという内閣官房直轄の組織の東京本部だからである。
MISTは、もともと明治政府によって創立された特異事件対策組織であり、現在では主に違法召喚や違法降霊を取り締まっている。
政府が霊界と盟約を交わし、降霊者を構成員とすることで創立に至ったMISTであるが、その目的の性質から存在は公にされていない。創立当時の“霧雨”という組織名から名は変わったものの、その存在をずっと隠しつつ今に至る。
山々が紅葉し始めた秋の夕暮れ、この帝霧館三階の一室において、本部長の
椿木が黒いパンツスーツで足を組んで座る姿は、40代の女性とは思えないしなやかさを醸(かも)し出している。
「先ほど、
「えーっ、白狼って危険度Bの霊能者じゃないですかぁ!」
「ああ。本名は不明だが、その通り名のとおり狼を守護霊に持つかなりの強者だ」
「嫌だなあ。何で僕が?」
椿木のデスクの前に立ち、任務を嫌がっているこの青年の名は巫月
MISTの上位霊能者たちは、その実力によって一番隊、二番隊、三番隊に振り分けられており、巫月はこの三番隊の隊長を務めていた。最下の三番隊とはいえ、隊員となれない者も多くいる中で、弱冠二十歳にして隊長を務めるのは史上二人目であり、周囲の者からは秀才と呼ばれている。
巫月もまた黒いスーツを着て、更に黒いネクタイをしているが、これはMISTのドレスコードがブラックフォーマル、要するに喪服だからである。
「今は一番隊も二番隊も手一杯なんだ。しょうがないだろう。それに除霊しろとは言っていない。尾行して奴らのアジトを見つけるのが目的だ」
「尾行って言われてもなぁ」
「いざとなったら逃げればいいし、もしかしたら遠距離から攻撃していれば、お前なら勝てるかもしれんぞ、秀才くん」
赤縁の眼鏡の向こうから、椿木が
「また、そんなふうにおだてて~。そうやって何度こき使われたことか。本当に椿木さんは人使いが荒いんだよなぁ」
巫月が、茶色がかった天然パーマの髪を掻きながら、不満をこぼし始める。少し低めの伸長で文句を言う姿は、この年齢の男にしては可愛げを感じさせた。
「この前の任務だって大変だったんですから。大体……」
――フオォォンッ――
巫月が文句を言っていると、突然、その背後から
『坊ちゃん、上司の命令は文句を言わずに聞くものですぞ』
「何だよ、爺までー」
爺と呼ばれる霊体が現れると、巫月は不満を言う口を閉じた。
「ありがとう、
椿木が礼を言うと、与一と呼ばれた霊体は「いえいえ」と言いながら巫月の体内に戻っていく。
「ちぇ~っ」という巫月に、椿木は話を続けた。
「それとだな、巫月」
「何ですかぁ? まだ何かあるんですかぁ?」
「もしそこで“彼”が現れたら、接触を試みてくれ」
「彼って……。あーっ、あの噂の彼ですか? ここ最近、何度もウチの獲物を横取りしたっていう」
「ああ。ここ半年で七体もの手強い霊体を奴に除霊されている」
「すごいなー。半年で
「やられた者の半数近くがアニマや創世会の召喚者だったことから、RAINの者であるという可能性が高いが、RAINの者なら除霊でなく消滅させているはずだからな。そういう意味では、単独で動いているという線も捨てきれん。そして単独なら、他が手をつける前にウチに引き抜きたいとこだ」
日本国内には、MIST以外にも霊能者を中心とした組織がいくつか存在する。その中で最も大きい組織がMISTから離反したRAINであり、それに次ぐ組織がアニマと創世会である。MISTとRAIN以外の組織は全て民間組織であり、そのほとんどが違法召喚や違法降霊を行っている。
「いずれにしても、何度もウチを出し抜けた方法が謎だ。禅尚さんのような霊能者が仲間にいるのなら別だがな。とにかく、もし白狼を追跡中に彼に出会ったら、接触して目的を探ってみてくれ。防犯カメラの映像や証言から、若い青年だということだけは分かっている。頼むぞ」
巫月は「承知しました~」とやる気のない声で返事をすると、振り向いて部屋のドアに向かった。巫月がドアを開けたところで、椿木が念押しで声をかける。
「巫月、いいな。尾行するだけで決して白狼とは戦うなよ。万が一戦うことになっても、近接戦だけはするな。うちの期待の星に怪我でもされては困るからな」
「はいはい、気をつけますよ~。まったく優しいんだか、人使いが荒いんだか」
巫月は、ぶつぶつ言いながらも、満更でもない顔で出ていった。
――その夜、東京の郊外。
巫月が指定された場所に着くと、そこは自然豊かな住宅街であった。
近くの駅からタクシーで20分ほどの距離であったが、その様子は駅前とは大きく異なる。ネオンもなければ、深夜ということもあり人通りも全くない。風で舞う枯れ葉だけが、この場所に動きを与えていた。
「……ここか」
巫月は、タクシーから降りると辺りを見渡した。
そして、すぐに与一に声をかける。
「爺、頼む」
すると、与一が「承知しました」と言って巫月の背中から現れた。
『ふむ、いい風ですな』
与一は、両腕を下ろしたまま手のひらを正面に向け、咒文を唱え始める。そして、最後に静かに言い放った。
『走れ言霊、空流検知』
――フアァァァァァァッ、フアァァァァァァッ、フアァァァァァァッ――
その途端、数千もの光の糸がゆらゆらと宙に現れ、周辺の風の流れを可視化し始める。
生前の与一は弓の名手であり、風の流れを読むことに長けていた。与一の死後、それが特殊能力となったものが、空流検知である。
空流検知を使うと、半径200メートル以内の空気の流れが把握できるようになり、その微細な変化も見逃さなくなる。
『坊ちゃん、南西の方向、170メートルほど先、ちょうど住宅街と隣接する森林とのあいだの道路上で、強い空気の揺れがあります。これは打撃のぶつかり合いですな』
「白狼かっ。分かったっ、そっちに行ってみよう。急ぐよっ」
巫月たちが、走ってその場所に向かう。
すると、そこでは見知らぬ青年が白狼と呼ばれる召喚者と戦っていた。
「二人とも魂力の光を纏ってるっ。霊能者同士の戦いだ、爺!」
『ええ。しかも、周囲の家の者に戦闘を感知されぬよう、この辺一帯が大きな結界に包まれている。少なくともどちらかは、このレベルの結界を張れる霊能者ということですぞ。坊ちゃんっ、とりあえず離れて静観しましょうっ』
与一が声をかけると、すぐさま巫月は、離れた場所にある民家の屋根の上に飛び乗った。
「多分、あの痩せ細った男が白狼だ。だとすると、もう一方は何者なんだ……? もしかして、椿木さんが言ってた噂の奴か!?」
青年は、椿木が念押しするほど避けろと言った近接戦を、白狼と繰り広げている。
白狼と呼ばれる男の守護霊は、名前そのままに白い狼であり、相手の青年の守護霊は、狩衣を着た武士であった。
「しっかし、あの人すごいな。白狼と真っ向勝負してるよ」
青年と白狼は、自身の守護霊と共に縦横無尽に駆け回り、ところどころでぶつかり合う。そして、ぶつかり合うたびに、連続する打撃音が辺り一面に響いた。
『ん!? あれは……』
青年の戦い方に巫月が感動していると、与一が目を丸くする。
『まさか……』
与一は、そのまま巫月の背後から、ふらふらと前方に歩きだした。驚きで呆然としている様子である。
「ちょっと爺、そこにいたら見えないってー」
『……間違いない……あれは義経さまだ……』
「えっ、なにー? 聞こえないってば」
『坊ちゃんっ、あれは大英霊さまですぞ!』
与一が振り向き、声を大にして言った。
「え!? 大英霊ってあの大英霊!?」
『はいっ。我ら英霊の中で最も神霊に近いといわれているのが大英霊さまたち。あの方は、そのうちの一人です』
「そんな……。だとしたら、あの人は大英霊を守護霊にしてるってこと!?」
『……分かりません。大英霊さまが降霊に応じることなど滅多にないはず。かといって並の霊能者では、強大な力を持つ大英霊さまを強制的に召喚することなどは不可能です』
「じゃあ、何でこんな所に大英霊が!?」
遠くで行われる激戦を見つめながら、巫月が当惑した表情を見せた。
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