壊れた夢

 ふたりの結婚式は、穏やかな雰囲気で進行した。これは式の主役がラッドとエンシアだからではない。この村では、結婚式はいつもこういった雰囲気で進められるのだ。主役のふたりの周りに集まるのは特別親しい者たちだけで、ほかの参加者は離れた位置にあるテーブルで料理をつつきながら各々好きなように会話を楽しんでいる。

 ラッドのために隣の村から来てくれた同僚なんかは、この緊張感のまるでない雰囲気に飲まれて村娘に鼻の下を伸ばしていて、ラッドのことなんかまるで眼中になくなっている。ラッドは横目で彼のだらしない姿を見やって、明日会ったら小突いてやると心に決めた。


 この日のために用意した衣装に身を包んだエンシアとラッドの周りに集まるのは、互いの親族と友人たち。みな口々に祝福の言葉を贈り、色とりどりの花びらを投げてくる。ふたりの足元に薄く積もる花びらが、ふわりと吹いた風に巻き上げられた。


「おめでとう、エンシア。良かったね。――だいぶ長かったね?」


 亜麻色の髪を結ったエンシアの友人が、目を細めてエンシアに花びらを掛ける。薄い肩に乗った赤い花びらが、エンシアが身体を揺らした動きにつられてはらりと落ちた。


「だって、相手がラッドこいつなんだぜ? 早かったらおかしいって」


 自警団の同僚が、皮肉っぽく笑いながらラッドに花びらを掛けた。頭上から大量にふりまかれて、ラッドの頭頂がカラフルに彩られる。頭を振って振り落としながら、ラッドは唇を尖らせた。


「うるせえな。……しょうがねえだろ、いろいろあるんだよ」


「ははっ、おめでとう」


 ばん、と手のひらで胸を叩かれて、ラッドの長身が揺れる。少しだけむせるラッド。足元に積もった花びらに目を落として小さく顎を引く。


「……ありがとう」


 伏せた目を同僚に向けて上げて、にっと笑顔を作った。

 手を取ってラッドたちから離れていく賓客ふたりに手を振って、その背を見送る。


「うわっ」


 周りに控えていた親戚たちが一斉に花びらを投げ掛けて、ラッドの視界は色とりどりに染まった。ざわざわと声がして、人々の足音が集まってくる。ラッドとエンシアをぐるりと囲む厚い人の輪。それがさっと開いて、その奥からラッドとエンシアの父親が村長を引き連れて歩いてきた。


「ラッド、エンシア。誓いの時間だよ」


 腰の曲がった村長が、低い声でそう告げる。周囲からさわさわと囁き合う声がする。ラッドが隣に立つエンシアに向き直ると、エンシアは頬を染めてラッドを見つめ返した。


「……エンシア」


 名前を呼んで、その細い肩を両手で捕まえてそっと引き寄せる。エンシアの足元で花びらがふわりと舞って、ボリュームたっぷりのドレスの裾がラッドの脚の間に滑り込んでくる。互いに無言で見つめ合って数秒。


 エンシアの細い顎先に手を触れた。周りから聞こえていたささめき声が静まって、ラッドの耳に響くのは、風の音とエンシアの呼吸音。こちらをまっすぐに視つめるエンシアの色の白い顔に顔を近付けると、白い花の香りがした。

 日が翳って、エンシアの顔に影が落ちる。生ぬるい空気が頬を撫でて、悲鳴が鼓膜を突き刺した。ラッドの足元に、湿った塊が転がってきた。反射的にラッドは足元に目をやって、一歩後退った。――誰かの、足だった。瞬く間に視界が白く煙って、視界が効かなくなる。咄嗟にエンシアの身体を引き寄せたラッドは、腹部に激しい痛みを感じた。


「ラッド……」


 エンシアの声。絞り出すような小さな声に、血の気が引いた。抱き寄せたエンシアの背中は熱く濡れていた。血の匂いがする。


「エンシア!」


 細い身体を抱き寄せて、かがみ込む。腕の中でエンシアが咳き込むと、白い顔が赤い血の色に染まった。濃く立ち込めて周りが見えない霧の中で、人々が駆ける音と、緊迫した叫び声が方々ほうぼうから聞こえる。


「剣を取れ!」

「斬れない……!」

「なんだこいつ、やめろ……!」


 からん、と軽やかな音を立てて、足元に剣が転がってきた。持ち手に血が付着している。ざわつく周囲の声は、ラッドにはどこか遠く聞こえた。


「エンシア」


 掠れた声で名前を呼ぶと、小さな手のひらが頬に添えられた。いやに冷たい指先の温度に、ラッドは呼吸が止まりそうだった。


「エンシア……少し待っててくれ」


 小さな声で名前を呼んで、エンシアの身体を地面に横たえる。けほっと小さな音がして、エンシアが血を吐いた。

 足元の剣を拾って腰を上げると、あたりに立ち込める濃い霧が、ラッドの眼前に収束して、輪郭の曖昧な人間の形を成した。


『ラッド……』


 霧の中から、声がする。男とも女ともつかないぼやけた声だった。ラッドが霧に向けて剣を振ると、霧の形が一瞬崩れて、再び人間の形に戻る。


『ラッド、おまえから全部盗っちゃった』


 剣を振る。霧の形はふわりと崩れて、また戻る。自警団の同僚たちがラッドに続いて剣を振るが、結果はどれも同じだった。


『あははっ、無駄だよ。ぼくは霧なんだ。形のないものを斬れると思う?』


 再び、霧の中から声がする。人間の形を取った白い霧が、両手を広げてラッドを嗤う。

 赤い瞳で霧をにらみつけて、ラッドが低い声で喉を揺らした。


「おまえはなんだ? どうしておれの名前を知っている?」


 ふふふ、と霧の笑い声が降ってくる。白い輪郭がゆらりとほどけて、あたりに声が反響する。


『ラッド、おまえを霧の塔で待っているよ』


「答えろ!」


 ラッドの怒号。手にした剣が空を斬って、ほどけ始めた霧を分断した。


『ねえラッド……塔まで来てくれたらぜんぶ教えてあげる。おまえに選ばせてあげる。ぼくはいつまでも、おまえを待つよ』


 それだけを言い残して、霧は静かに霧消した。


 あとに残されたのは、負傷した男たちと、ラッドとエンシアの両親だったはずの肉塊。剣を捨てて、エンシアに駆け寄るラッド。細い身体を抱き上げると、異様なほどに軽くなっていた。

 ラッドの周りを、男たちがばたばたと駆け回る。どこか現実感が薄い光景に思えて、ラッドはまるで夢でも見ているような気分だった。しかし、この手に抱いたエンシアの体の軽さが、腕を伝う生ぬるい血液の感触が、耳に聞こえる微かなエンシアの吐息が、生々しいラッドの現実だった。


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