幸せな夢
朝の乾いた空気が、ラッドの頬を刺す。昨日の溶け残った雪が足元を濡らして、靴の裏に土がまとわりついてくる。目と眉の距離を近付けて歩くラッドの視界には、エンシアの住む家。ラッドの家から三軒離れた所にあるその家は、ラッドが住んでいる家よりも倍ほど大きい。ラッドの大きな靴が土を踏みしめると、足元でじゃりっと音がする。
「やあ、ラッド、おはよう」
思わぬ方向から声を掛けられて、ラッドは赤銅色の瞳を丸く開いた。足を止めてあたりを見まわすと、前方の木の影から、エンシアの父親が顔を出してこちらを見ていた。庭に植えられた木の手入れか何かをしていたらしい。手に小さなはさみを持っている。
今日会いに行く約束はしていたけれど、まさか家の外に出ているとは思わなくて、ラッドは一瞬面食らって黙ってから、木の柵の向こうにいる小柄な彼に返事をする。
「おはよう、ワスカさん。……今日は、その、話があって」
「入って。エンシアが待っているよ」
穏やかに細められた彼の目元は、エンシアによく似ていた。
家の中に通される。子どものころから、最近だって何度か入ったことのあるエンシアの家。それなりに見慣れているはずの景色に妙にそわそわしながら待つと、家の奥からエンシアとその母親が出てきた。軽く挨拶をして、促されるままに椅子に座る。ラッドの隣にエンシアが座って、その向かいにエンシアの両親が腰を下ろした。
テーブルに置いてあったポットから、エンシアがカップにコーヒーを注ぐ。中身の注がれたそれを受け取って、ラッドが各々の前に置いていく。
飲み物の準備が終わると、部屋が急に静まった。三
「んふふ」
ラッドの前方と隣で、よく似た笑い声が同時に聞こえた。エンシアと、その母親。緊張や恥ずかしさよりも愉快さが勝って、ラッドは少し口元を緩めた。一度空気を飲んでから、口を開く。
「……エンシアと」「いいよ。ずっと待ってたんだよ。遅かったね」
エンシアの父親に言葉を遮られて、ラッドはその言葉の意味を理解するのに少しの
「おれまだなにも言ってないんだけど」
「んふふ」
エンシアの笑い声。そっと肩口に寄せられた小さな頭に向けて、ささやきかける。
「おまえ、もしかして言った? おれから話すって言ったのに……」
「言ってないよ。そんなことしないもん」
拗ねた目で見つめられて、ラッドの背が揺れる。いまいち緊張感のないふたりの間を、落ち着いた調子の低い声が割った。
「はは、聞いてないよ。でも、見ていればわかる」
「ああ……めちゃくちゃ恥ずかしいな、おれ」
ラッドがうなだれて、天を仰ぐ。カップに注がれたコーヒーを一口飲んでから、改めてエンシアの両親を見つめ直して、口を開いた。
「もう一度言わせてくれ。エンシアと結婚させてほしい。おれの一生をかけて、エンシアのそばにいさせてほしい」
「よろしく頼むよ」
そう言って、エンシアの両親は目を見合わせて笑った。それから、エンシアの母親が涼やかな印象の目元を緩ませながらラッドに笑いかける。
「エンシア、いつもラッドくんの話ばっかりするの。昨日も夕飯の支度しながら」「やだ、やだ、だめ!」
大げさな動きで手をパタパタと振りながら、エンシアが母親の声を遮る。エンシアの母親は一度口を閉じてから、ラッドに穏やかな視線を向けた。
「……んふふ、こんな感じなの。大事にしてあげてね」
「エンシア。世界で一番大事にする」
まっすぐにエンシアを見つめると、涼やかな印象の目元がふわりと笑んだ。
「うん。嬉しい」
両親の目もはばからずに抱き着いてきた華奢な身体を抱き返して、互いのぬくもりを共有する。ちょっとした衝撃で壊れてしまいそうなその肉付きの薄い背中を、ラッドは静かに、優しく撫でた。
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