責任持って終生飼うのよ

 導具屋どうぐやに寄って彼女の旅用の導具を一式買って、その後に靴屋で靴を買う。保存食の調達なんかも済ませて一通りこれからの旅へ向けての買い出しが終わったころには、もうとっくに昼は過ぎていた。町並みに数軒ある料理屋から、いい匂いが漂ってくる。


 そういえば、朝食もまだだった。眠れなくなってから食欲も少し遠くなったラッドは空腹をあまり感じないのだが、もしかしたらアトラは腹を空かせていたかもしれない。ただでさえ壊れそうなくらい細いのに、栄養が足りなくなったらすぐにでも死んでしまいそうだ。近くにある行きつけの料理屋に入る。


 ラッドと彼が連れたアトラを見て、店にいたごろつきどもの空気が少しぴりつく。ごろつきどもに悪いとは思うが、ラッドだって塩っ気の多い保存食ばかり食べて生きるわけにはいかない。それに、こういった料理屋では昼間から酒を浴びているやつらが多いおかげか、ラッドへの注意も逸れやすい。ラッドのせいで変わった空気も、料理が運ばれてくる頃には元のように和らぐのだ。


「やあラッドさん。ひと連れてんの珍しいね。今日は何食べるの?」


 空席に座ったふたりに水を持ってきた店員が、ラッドに笑顔を向けた。おそらく二十代前半であろう彼は、最初こそラッドを怖がっていたが、ラッドが何度か通ううちに慣れて親しげに接してくれるようになった。彼は町中で爆発物のような扱いを受けるラッドにこうして普通に接してくれる数少ない人間のうちのひとりである。ラッドが通うことで客足が落ちるのではないかと心配もしたが、却ってラッドがいることで揉め事の抑止力になることがあるらしく、不要な揉め事を嫌う者たちが店に来るようになって客は増えたと言っていた。


「適当に頼む。弁当もふたり分包んでくれ」


「おっ、了解です。今日も霧に行くの?」


「いや、一度村に帰るんだ。また戻ってくるけどな」


 彼と会話しながらちらりとアトラに一瞥くれると、アトラの薄墨色の涼やかな目元がつり上がっていた。数少ないエンシアを怒らせてしまったときのことを思い出して、思わず背筋を正す。――いや、こいつはエンシアじゃないのに、おれは一体何をしているんだ。


「はぁ? なんで? 霧に行かないの? なんで?」


 きつい口調で詰問してくる彼女に頭を振って返す。


「おまえみたいなのを連れていけるか。すぐに死ぬぞ。おれはてめえの世話まで見てやれねえ」


「ふざけないでよ! わたしは霧に行きたくてあんたに買われたの! 買ったんなら責任持って霧に連れてってよ!」


 小さな手で襟首を掴まれて、がくがくと揺さぶられる。酔っ払いの会話が飛び交っていた室内が、静まり返った。いきなり響いたアトラの声に反応した冒険者たちの注目を浴びている。


「ラッドさん、大恋愛……?」


 大仰な口調で、店員がそんなことを言ってきた。アトラのこの様子を見て大恋愛という単語が出てくるなんて、どういう了見なのだろうか。


「違う」


 短く否定すると、困ったように大げさな笑顔を返された。彼はラッドに向けて肩をいからせているアトラに向き直って、口を開く。


「霧の中は女のコが行くようなところじゃないよ。ラッドさんだって、霧にやられたらあなたに何するかわかんないよ。ねえ、ラッドさん」


 彼の茶色い瞳に見つめられて、ラッドは静かに視線を逸らした。

 あの霧は、入ったに状態異常を食らわせるのだ。ある時には幻覚が見え、ある時には毒を食らう。幻覚によって錯乱し仲間に刃を向ける冒険者や、毒により血を吐きながらのたうつ冒険者たちをラッドはたくさん見てきた。ラッドだってもちろん霧の影響を受ける。いくつか対処法は確立されていて、ラッドひとりでならどうにでも対処できる。しかし、ろくに抵抗もできないであろうアトラを連れて、錯乱した自分の刃が彼女に向かない保証がない。そうなれば、アトラはひとりで霧に向かわせるよりも酷い目にあうだろう。


 どういうわけか、この霧は女には全く影響がない。しかし、女には効かないからといって女の冒険者が多いわけでもない。むしろ他のこういった冒険者たちが集まるスポットよりも遥かに少ないらしい。霧にやられた男の冒険者の方が、霧や魔物なんかよりも遥かにになることが多いからだ。


 静かな声で諭されたアトラは目を細めて店員を見た。


「うるさいな。わたしはおまえとはしゃべむぎゅ」


 なんとなくアトラを自由に喋らせてはいけないような気がして、彼女の小さな口を手で塞いだ。


「悪いな。こいつはちょっと、その、見ての通り野生児で……」


 ラッドがしどろもどろしながら弁明をする。アトラの口を塞いでいた手を外すと、アトラは不満そうにラッドに視線を向けたがそれ以上は何も言わなかった。謝りこそしなかったが、店員にしおらしく伏せた目を送って黙っている。


「はははっ、そのくらいオレは全然気にしませんよ。……まあ、ラッドさんなら霧の中でもかえって安心かもしれないし」


 ぱたぱたと手を振って、彼は厨房の方へと踵を返した。


 自分は村へは行かない、霧の中へ連れていけ、さもなくば他の男のところに行くぞとしつこく言ってくるアトラを無視しながら待つと、料理が運ばれてきた。


「わぁ、おいしそう! いい匂いする」


 運ばれてきた料理に素直な反応をしたアトラ。店員は得意げに照れ笑いをしながらテーブルに料理を並べていく。甘く煮付けた塊肉に、塩で炒めた野菜。芋とミルクのスープに、柔らかいパン。それに、レモンカードが詰め込まれた小さなタルト。今日はいつもより量が多い。見るからに食の細そうなアトラとふたりで食べ切れるだろうか。


 店員が持ってきてくれた平たい取り皿に、アトラが一品ずつ料理を盛っている。なんとなくその慣れた手付きを眺めていると、料理の乗った皿をアトラが差し出してきた。人への気遣いなんか知らないような素行なのにこういったことをしてくるのが意外で、目を丸くするとラッドの表情の意図を汲んだらしいアトラが柳眉を寄せた。


「不満なの? 毒なんか入れてないって」


「違う。……ありがとう」


 なんだか調子が狂う。アトラが自分のぶんを取り分け終えるのを待って、料理を口に運んだ。いつも通りに美味しい。

 先程対応した青年の父親がこの店の店主で、料理担当らしい。あの青年は店主の拾い子なのだと聞いた。実の親は彼の目の前で魔物に殺されたのだとか。この世界にはそういった者も数多くいる。そんな過去を持っていても前向きに生きている彼らとは違って、ラッドは今でも過去に囚われている。

 亡くした恋人によく似た容姿のアトラが他の男に抱かれるのがどうしても許せなくて、勢いで身請けまでしてしまった。彼女は、エンシアではないのに。彼女はラッドにとって他の商売女と変わらないどうでもいい他人のはずなのに、彼女の身を案じてしまう自分がいる。あの村には霧への復讐を遂げるまでもう帰らないと誓っていたのに、彼女を村に送り届けようとまでしている。馬鹿なことをしていると自分でも思う。けれど、自分の衝動を止めることができなかった。


「おいしいねぇ、ラッド。このお肉すごいぷにゅぷにゅだよ」


 子どもみたいに料理を喜んでいるアトラを見て、胸が痛む。


「おまえ、本当に記憶がないのか? 自分の名前はわかるんだろ?」


 ラッドがそう問いかけると、アトラは表情を暗くしてうつむいた。


「……うん。でも、わたしが知ってるのは自分の名前だけだよ。ここに来る前に何をしてて、なんで自分が今ここにいるのかもよくわかんない。でもなんか、霧の奥に帰らなきゃいけない気がするんだ」


「おまえも霧に呼ばれたのか?」


「わかんないけど、そうなのかな」


 テーブルの上に向けられた彼女のエンシアと同じ色の瞳が、ゆらゆらと揺れている。その瞳が、ラッドをまっすぐに射貫くようにしてこちらに向けられた。


「ねえラッド、お願い。わたしを霧の中に連れて行って。自分が誰かもよくわかんない今だって、死んでるのと変わんないんだよ。死んだって文句言わないから……わたし、霧の中に帰りたいんだ」


 小さな手で手のひらを握られる。真剣な眼差しに、震えをはらんだ指先。エンシアと同じ姿で必死に懇願してくるさまがあまりにもかわいそうで、気が付くとラッドは頷いていた。


「……わかった」


「……ありがとう」


 アトラは手のひらで顔を覆ってうつむいた。泣いているのだと思ってラッドはうつむいた彼女の白い指先を静観していたが、やがて顔を上げた彼女の目には泣いた後など微塵もなかった。つい先ほどまでそうしていたようにおいしそうに料理をほおばり始めたアトラを見て、ラッドは自分がはめられたことにようやく気が付いた。



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