狼と女の子

グルルル……と、

狼は牙の隙間から低い声で威嚇する。

触れただけでケガをしそうな

硬くしなやかな真っ黒な色の毛、

筋肉で引き締まった長い四肢、

獲物を見据える鋭い眼光。

狼という存在を生で見たのは初めてだが、

流歌は目の前にいるそれが

狼だとすぐに分かった。

狼の毛色は灰色や茶色、黒、白のうちの

2つ以上の色を含んでいることが多いが、

流歌の目の前にいる狼は

頭からつま先まで黒一色だった。

そして、その狼が本物の狼ではなく、

『妖神』であることも流歌には分かった。


「正直、獲物の横取りは性に合わないけど、

元々ここはアタシらの縄張りだから、

あれはアタシらが狩らせてもらう。」


尻餅をついたままの流歌の後ろから、

低い女性の声が聞こえた。

流歌がなんとか振り替えると、

そこには烏城高校の制服を着た

一人の女子生徒が立っていた。

リボンの色を見ると、

その女子生徒は三年生だった。

烏城高校は学年によって

ネクタイとリボンの色が違い、

今は緑が三年生、青が二年生、

そしてオレンジが一年生となっている。


「あ、あの──」


「何も言わないでいい。

アタシは、自分がやりたいことを

やりたいようにするだけだから。」


流歌の言葉を遮って、

彼女は流歌より前に出る。

先陣を切っていた狼の横に並び、

『影』の繭と対峙した。

急な狼の登場に驚いたのか、

繭は動きを一時的に止めていた。

だが、それもホンの一瞬。

繭は再び動き出し、

かなりの速度で狼の方へと突進してきた。


「噛み砕いてやりな。」


繭が動き出した瞬間、

彼女の声に従うように狼は地面を蹴った。

狼の駆ける速度のなんと速いことか、

風でもまとっているかのような速さで

一瞬で繭まで接近すると、

前足で繭を押さえつけて、

同時に高く飛び上がった。

その高さはおよそ10m。

空中で器用に体の向きを整えると、

空気を蹴るようにして一気に加速して

鋭い牙を繭に突き立てた。

すると、狼の牙に抵抗するように

繭は強い圧力で押し返す。

二つの力の衝突によって激しい風が発生して、

華奢な体つきの流歌は飛ばされそうになる。


「アタシの後ろに隠れてな。」


流歌の前に彼女が立ち、

防護壁の役割をしてくれた。

腰まで伸びた灰色のバサバサ髪に

高校生離れした凸凹のある体、

そして、勇ましささえ感じる程に力強い背中。

妖神の狼といい、彼女自身といい、

一体彼女は何者なのだろうか。


「あなたは、一体……。」


と、そんな事を考えているうちに、

早々に繭と狼の戦いに決着がつきそうだ。

次第に繭の表面にヒビが入り始めて

それが徐々に広がっていくと、

ガラスが弾けるかのように

影がバラバラに飛び散り、

中から月詠が出てきた。


「月詠さん!」


倒れそうになる月詠を、

すぐ横にいた狼が支えた。

流歌が走ってきて月詠に肩を貸す。


「しっかりして!」


月詠は意識が朦朧としているらしく、

その場に座り込むように膝をついた。

外傷は負っていないようなので、

おそらく命に危険はないだろう。


「深くは聞かないから、

アンタらも早く帰んな。」


「あ、あの……!ありがとうございます…!」


何の追及もすることなく、

彼女は踵を返して去っていく。

すると、まるでそこが

帰る場所であるかのように、

狼は彼女の影にするりと潜った。

その瞬間に、流歌は思い出した。

流歌が唯一知っている『影』の妖神。

名を『影狼かげろう』。文字から分かる通り、

影に潜む狼だ。影狼は人の影に憑依して、

太陽がある昼に眠り、

闇が深くなる頃には獲物を狩るために

夜通し駆け回るという妖神だ。

ただ、憑依された人間は

体の自由まで奪われるため、

夜になると意識が曖昧になり、

自分の意思で動くことはできないはず。

彼女が連れていたのは、

間違いなく影狼だった。

なのに、自由を奪われるどころか、

まるで影狼と共生でもしているようだ。


「これも何かの縁だろうから、

アタシの名前、聞かせてあげる。」


公園の出口で、背を向たまま

彼女は立ち止まった。

沈みかけている夕陽を浴びて

横顔だけ見せる彼女は、

裏世界で暗躍するような

ダークヒーローに見えた。


「アタシは三年の面影楓。

名前くらいは知ってるだろ?」


彼女の名前を聞いて、

流歌は妙な納得感を覚えてしまった。

『大和四人衆』の最後の一人、面影楓。

その風貌から只者ではないと思ってはいたが、

まさか彼女がそうだとは。


「じゃあな。……不死の鳥の後輩ちゃん。」


「───っ!?」


面影が放った最後の言葉。

それを聞いて、流歌は慌てて

面影を呼び止めようとしたが、

もうその姿は闇へと消えていて、

あとには二人の少女と、

疑念の心だけが残されていた───。


「まさか、あの子が手を貸すなんてねぇ。

僕の出番がなくなったじゃないか。

まぁ、いい物が見れたし、

今日はこれでいっかぁ。」


それから少しだけ時間が過ぎ、

月詠を抱えたままの流歌の所へ

冬馬が戻っていく様子を

千歳は遠目から眺めていた。

影の繭の気配も消えているし、

わざわざ千歳が出張る幕はない。

だが、答え合わせをしてあげるために、

もう少しだけ舞台に立とう。


「やっぱり、若いっていいなぁ。」


『妖神』とは、隙のある人間に取り憑いて

妖神としての本分を果たす。

必要以上に人間に干渉して、

時には世界すら混乱に陥れる。

そして、妖神と共生することは

かなり貴重なケースである。

ただ現在、流歌は不死鳥と、

流舞はホトトギスと共生しており、

この世界に悪い影響を出していない。

妖神の中でも特に力のある不死鳥とホトトギス、

この2つが同じ時代に、同じ街で、

しかも姉妹に取り憑くことは、

歴史上聞いたことがない。

更にそこに共生などという言葉が

最も似合わないであろう影狼まで

関わってきているとなると、

専門家である千歳には興奮を隠し切れない。


「師匠、来るのが遅いわ。

あと、その変な顔やめて。気持ち悪い。」


こうやって愛弟子に

キツイことを言われるのも、

あと少しの間だけだ。

もしかすると、今日が最後になるかもしれない。

プロとして、専門家として、師匠として、

優秀な弟子に最後の授業をしよう。

最後だなんて、決して口には出さないが。


「まぁまぁ、解決したんだからいいじゃない。

そんなことよりも、

たった今まで暦君を包んでいた影について、

僕の見解を含めた話をしよう。」

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