十六夜の心
もう夕陽も落ちてきた頃だったので、
十六夜は和泉を家まで
送っていくことにした。
徐々に闇に染まる夜道を歩きながら、
二人は言葉を交わしていた。
「ここね…。例の土地っていうのは。」
大き過ぎる程の広い土地。
そこには、大型の重機や
作りかけの建物らしき物があった。
十六夜の父親が任されていた
ナイトプールの成れの果てである。
十六夜はフェンスを掴み、
その向こうの光景を見る。
本当なら、今頃はもっと工事が進んで
骨組みまで完成していたはずだった。
どれもこれも中途半端で、
話を聞いていなければ
何を作っているのかすら分からない。
「私が言うのも無遠慮というやつだけど、
あまり気にしない方がいいわ。
あなたのお父さんを騙した連中は
そう遠くない内に逮捕されるだろうし、
自分の失敗の残骸を
子どもに見られているというのは、
男として恥ずかしいことこの上ないはずよ。」
遠くを見ながら和泉が言うと、
十六夜はフェンスを握る手に
グッと力を入れた。
「それに、いつまでも気にしていると
また別の妖神に目を付けられるわ。」
十六夜はしばらく無言のまま
重機や建物を睨み続けて、
ため息を吐くと共に手を離した。
そして、和泉に向き直ると、
とても申し訳なさそうな顔で、
しかしどこか苦しそうに言う。
「なぁ、和泉…厄介事を押し付けるようで
本当に申し訳ないんだが、
もう一つ、俺の話を聞いてくれないか?」
きっと、十六夜にとって
人に何かを頼むことは、
とても苦しいことなのだろう。
ただそれは無理もない話だ。
自分の父親という身近な存在が、
職場の部下に裏切られて
人生を破綻させたばかりなのだから。
和泉にカッターナイフを突きつけて
脅すような態度を取っていたのも、
裏切られることを恐れたからだ。
わざわざそんな事をしなくとも
和泉は裏切ったりしないし、
つい先程、十六夜を救ったばかり。
和泉が十六夜を裏切らないと
頭では理解していても、
今の十六夜にとって誰かを信じることは
とても難しいだろう。
だから、この場面で和泉が取るべき行動は
十六夜の話を聞くことだ。
十六夜の手を取り、優しく接して、
暖かく抱き締める。
そうすれば十六夜は安心して
和泉を信じることが出来る。
だがしかし、簡単に聞いてしまっては
十六夜のためにもならない。
「お断りよ。」
静寂な時間が流れた。
カラスの鳴き声も、風の音も、
心臓の音すら遠のいて、
何の音もしない空間に支配される。
和泉の断固たる意思を、
たったそれだけの言葉から
十分に感じることができた。
これがアニメであれば、何か壮大な音楽でも
流れること間違いないくらいだ。
「…えっ?」
そして、和泉の言葉を聞き取って、
やっとの思いで十六夜が発した言葉が、
ただの疑問符だった。
十六夜は面食らったような顔で
目を大きく見開いて、
和泉の言葉を理解しようとする。
しかし、十六夜が自分で
その答えを出すことはできなかった。
「お、おい、なんでだよ?
さっきは助けてくれたし、
今のこの雰囲気で
俺の話を聞いてくれないのか?」
和泉は十六夜を蜂から救ってくれた。
今だって、何の意味もないだろうに、
和泉は横にいてくれている。
だから、もう一つくらいお願いをしても、
二つ返事で了承してくれると思った。
それが『和泉
十六夜は思っていたのだから。
しかし、実際の和泉は違った。
十六夜からのお願いを、
話を聞く前から断ってしまった。
それも、確固たる意志があるかのように。
「…確かに、私はあなたを助けた。
でもそれはあなたのためじゃなくて、
師匠に頼まれたからの。
今はただの高校生でしかない私は、
妖神との架け橋を担うのが仕事である
師匠とはモチベーションに大きな差がある。
別にあなたを見捨てたところで、
私の名前に傷はつかないんだから。
私は師匠に助けられて、
その師匠に恩を返すために
やむを得ずあなたを助けただけ。
今もこうしてあなたの隣りにいるのも、
師匠に頼まれたからに過ぎないわ。
だから、ここであなたのお願いを聞く義務は
私にはない。それに……。」
捲し立てるように、
一方的に和泉は告げる。
十六夜を助けたのは善意ではなく、
その場の流れに逆らわなかっただけだと。
そして、突然の和泉の言い方に、
更に十六夜は困惑した。
その困惑が大きさを増していき、
それは巨大な凶器となる。
凶器は十六夜の心を大きく傷つけて、
バラバラに破壊する。
十六夜はその場にペタリと座り込み、
項垂れてしまう。
裏切りというものを痛感した。
そして、そんな十六夜を前に、
ひと息ついて、和泉は静かに言った。
「それに…人にものを願う時に、
地獄にいるみたいに悲しそうな顔しないで。
そんな顔をされなくても、
私はあなたを何度でも助けてあげるわ。
それに私、あなたのその鋭い割りには
真っ直ぐで誠実な目が好きだから。」
十六夜の手に自分の手を重ねて、
和泉は優しく微笑んだ。
薄い浅葱色の和泉の髪から
雨上がりのような涼しい香りがして、
清らかな風が十六夜の頬を撫でる。
普段はやる気のなさそうな目をしているが、
この時はどこか違うように見えた。
何か大切なものを守るかのような、
決意と情熱に満ちた目。
バラバラになった十六夜の心が
再構築されていき、
十六夜の隙だらけだった心に
和泉という存在が噛み合った。
「そんな顔をするあなたの話は聞けない。
でも、あなたにそんな顔をさせる何かが
あなたを苦しめているのなら、
私はそれを破壊する。
……あなたの友人としてね。」
もうすっかり陽は沈み、
辺りの街灯が熱を帯び始める。
その街灯よりも熱い涙が、
十六夜の瞳からこぼれ落ちた。
音が戻った世界で、
十六夜のすすり泣く声だけが
夜の道端に響いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます