麻酔士
刃物で肌や肉を切り開き、
体の内部にある臓器を治療する際に
必ず患者に施す物がある。麻酔だ。
患者の意識と痛覚を遮断しなければ、
体に刃物を入れた途端に
痛みで暴れ回ることになる。
更に麻酔を施すことで
臓器の動きを一時的に弱くし、
出血を最低限に抑える。
麻酔は治療においてかなり重要であるが故に
正確で精密な器用さが求められ、
注入する麻酔の量にも
細心の注意をしなければならない。
そして、主に刃物などの道具で
患者に直接治療を施す者を執刀医、
その執刀医の手伝いをする者を助手、
麻酔を打ち、患者の容態に
常に気を配る存在を麻酔士と呼ぶ。
「ノーナ、今日から私の助手として
治療所に来る気はあるか。」
ノーナがセヴァルに拾われたのは、
彼女が6歳になる頃だった。
元々父親がおらず、
兄弟もいなかったノーナにとって
母親は唯一の血の繋がった家族だったのだが、
その母親が森へ行ったきり帰ってこなかった。
孤児院なんてものがあれば
ノーナはそこへ行っただろうが、
ここベオムールには孤児院はない。
医術も何もかも発展しているベオムールでは
そういった親のいない子どもなんて
ほとんどいないからである。
しかし当然、6歳の女の子では一人で
生活することなどできないので、
誰かが引き取るべきだろうという
結論が街会議で出されたのだが、
その中で手を挙げたのがセヴァルだった。
「私はメア。あなたは?」
ただでさえ手のかかる年頃だというのに、
当時5歳だったメアの友達に
ちょうどいいだろうと、
セヴァルは躊躇うことがなかった。
だが、それはあくまでも表の理由だった。
ノーナには他の人間にはない
珍しい体質と力を持っていたのだ。
それは、相手の考えや体の不調などを
五感で感じ取ることができることと、
薬の効果や効き目に干渉できることだ。
どちらも医術に携わる者が持つに
これ以上なく有利なもので、
子どもだとしても大人に引けを取らないような
素晴らしい医術者になる。
セヴァルは一目見た瞬間に
ノーナの持つ力を見抜き、
治療所にスカウトした。
「ノーナ、今日から君には
麻酔という特殊な医術を教える。」
セヴァルの目に狂いはなく、
ノーナはみるみるうちに腕を磨いて
10歳になる頃には治療所の中でも
セヴァルとエレーナの二人しかいなかった
麻酔士としての資格を手に入れた。
それ以降、医術者としての総合的な
能力を磨いているメアに対して、
ノーナはより才能を必要とする
難易度の高い技術を磨いていった。
それが、今この瞬間にノーナがやった
ことに繋がっている。
「一体、何しやがった……!」
テルーロが動きを制限する魔術を
ノーナに使っていたとは言え、
それは体の自由を完全に奪うものではない。
ノーナは即効性のある麻酔薬を
針の先にホンの少しだけつけて、
テルーロの足に刺したのだ。
本来ならこの量の麻酔では
指が少し痺れる程度なのだが、
ノーナはその効果を何倍にも高めていた。
体の自由を完全に奪えないのと同じように、
流れる魔力の動きもノーナの意思のまま。
体が密着している分、
より早く、より強烈に麻酔の効果を発揮した。
その結果、大人であるテルーロの全身を
簡単に貫くことができた。
「ノーナ!こっち!」
「メア!」
テルーロの所から逃げ出し、
カルムの後ろにいたメアまで駆ける。
やがて二人がお互いの存在を確かめるように
抱き合ったのを確認して、
カルムからレンに視線を送る。
「人質は取り戻した!奴を捕えろ!」
人質がいなくなったのなら、
もう武術部隊に躊躇う理由はない。
レンの声で武器を構えた武術部隊が走り出し、
膝を着いたテルーロを捕まえようとする。
だが、そう簡単に捕まってくれるほど、
テルーロも甘い人間ではなかった。
「…こんな所で、捕まるかよ……!」
落ちた刃物を拾い直し、
テルーロは自らの手を刺した。
完全に意識を奪われるより前に
無理矢理に痛覚を刺激することで、
麻酔の効果を弱めたらしい。
それでもただの時間稼ぎにしかならないが、
そのたった数秒を確保することで
テルーロにある程度の選択肢は増える。
「この借りは必ず返してやる…!」
血のついた刃物を投げて
武術部隊の動きを牽制すると、
テルーロは懐から取り出した煙玉を
これでもかと投げつけて
立ち上る煙の中に姿を消した。
手をケガしている状態で
しかも武術部隊に囲まれていながら
諦めずに逃げるとは、
やはり彼はただ者ではない。
だが、少女たちばかりに
見せ場を取られるレンではない。
「確かに速い。根性もある。
タールズから逃げられたのは
ただの偶然ではなかったようだな。」
「ぐはっ…!?」
鞘に収まったままの剣を一振り。
それだけで起こった風が
瞬く間に煙を晴らして
ようやく人の影が見えるようになると、
すでに気絶したテルーロの体が転がっていた。
レンが得意としている遠距離への斬撃。
それはたとえ剣を抜いていなくても
十分過ぎる程の威力を発揮していた。
煙を払ったのはそのおまけに過ぎない。
「ここは俺たちの街だ。
毎日のようにパトロールもしている。
たとえ両目が潰されていようと、
お前の動きは決して逃さん。」
「さすが隊長。」
「よせカルム。褒めるなら俺ではなく、
お前の妹とその友人にしてやれ。
何をやったのかは分からんが、
人質を取られている状況では
俺には何もできなかったのだからな。」
テルーロの手足に拘束具を嵌めて、
レンが先導して武術部隊の本拠地へ運ぶ。
テルーロが陽動に過ぎない以上、
尋問して情報を吐かせる必要がある。
そして、共犯者を追うために
即席の小隊編成が組まれることになり、
そのリーダーはカルムに任命された。
メアのノーナの二人も
参謀役兼治療要員として組み込まれ、
まずは最有力候補として
セヴァルの治療所へ向かうことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます