魔導遺物MAGIRON(マギロン)

青月 日日

序章 最終実践評価試験

 灰色の格納庫に、一機の人型兵装が静かに立っていた。

 全高五メートル。流線形の装甲に刻まれた魔法陣が、淡く橙の光を放っている。

 汎用魔導機〈Spitfire〉。そして、そのコアとペアリングされた少年――テムジンがいた。


「テムジン、感応値は安定してる?最終調整よ。脳波同期、開始するわ」


 李香蘭の声が、透明なヘッドセットを通して響く。どこか楽しげな、けれど張り詰めた声だった。

 テムジンは操縦席のシートに深く身を沈め、頭部インターフェースの締めつけを感じながら目を閉じた。神経接続の波が、脊髄を駆け上がる。全身の感覚が、重力から解き放たれていく。


「問題なし。……見えます、全部」


 彼の視界が切り替わった。

 暗闇の中で、光の粒が走る。形を取り戻していくのは、五メートルの鋼の身体。指を動かすたび、金属の指が応える。

 ――感覚が、繋がった。

 彼は今、〈Spitfire〉そのものになっていた。


「ふぅ……これが、マギロンの視界か」


 自分の声が機内スピーカーを通して反響する。心臓がどくどくと早鐘を打ち、視界の隅で魔力反応の波形が踊っていた。

 どこかで、アレイスタの低い声が響く。

「無駄口を叩くな。機体出力、上昇中だ。……あまり跳ねるなよ、坊主。本番じゃない」


「了解っと。……心配性だな、技師殿は」


 軽口を返した瞬間、彼の目の前にゲートが開いた。

 空間を切り裂くような紫の渦。八重の円陣が回転し、膨大なエーテルが渦を巻く。

 李香蘭が告げた。


「これより最終実践評価試験を開始する。第一パイロット、テムジン――シミュレーション・フィールドへ、ダイブを許可」


 その言葉と同時に、彼の周囲の拘束アームが解かれる。

 機体が滑るように前へ進む。

 ――音が、遠のく。

 次の瞬間、世界が反転した。


 ゲートの先は、無音が堆積していた。

 光も音も、重力すらも歪む仮想空間。テムジンは一瞬、自分の身体の境界を失った。

 まるで自分が液体になって溶け出すような感覚。だが、すぐに機体のコアが安定波を発し、視界が戻る。


「転送完了。座標、訓練フィールド『第一ゲート模擬領域』……うわ、景色、すごい」


 そこは、廃都だった。

 空に浮かぶ瓦礫の街。地平は裂け、マギロンの残骸が宙に漂っている。

 そして、彼の前方に一機――自分と寸分違わぬ〈Spitfire〉が立っていた。


「仮想敵……か」


 アレイスタが説明する。

「そうだ。訓練プログラムのステージ1は、起動試験を兼ねている。自機の戦闘データを元に生成された仮想敵(ゴースト)だ。破壊しろ」


「了解。香蘭さん、見ててくださいよ。俺の初舞台だ」


 李香蘭が笑った。「もちろん。期待してるわ、天才パイロットさん」


 テムジンの両手がレバーを握る。魔力伝導が一気に全身へ。視界が赤く染まる。

 仮想敵が動いた――轟音。

 地を蹴った反動が、座席を震わせる。骨の芯に響くほどの衝撃。

 光の矢が飛ぶ。

 反射的にスラスターを噴かし、左へ滑る。頬をかすめる熱が、神経フィードバックを介して現実にまで伝わる。

 感覚が、鋭くなっていく。

 世界が、彼の思考に追いつけず、遅れて回転する。


「遅い、遅い!」


 マギブレードを展開し、敵機の腕を切り払う。衝撃波が走り、金属のきしみが空間に反響する。火花が舞うたび、視界の中でスパークが散った。

 ――痛覚があった。敵の攻撃を受けるたび、身体のどこかが焼けるように疼く。だが、それがむしろ、興奮を加速させた。


「行け、テムジン!」李香蘭の声が弾む。

「了解――ターゲット、ロックオン!」


 マギライフルの照準が合う。

 放たれた光弾が、一直線に仮想敵の胸を撃ち抜く。

 光のポリゴンとなって、敵〈Spitfire〉が四散した。


 爆風の中、テムジンは息を吐いた。

「……やった。俺が、勝ったんだ」


 呼吸が荒く、体中に汗が滲む。現実と仮想の境界が曖昧になる中、李香蘭の声が優しく届く。

「おめでとう、テムジン。完璧よ!評価はもちろんA+!」


 アレイスタの渋い声が続いた。

「データは取れた。だが調子に乗るな。仮想空間だからこそ、その出力が出せたんだ」


「了解、了解。だけど――」テムジンは笑った。「ここが俺の戦場か。悪くない」


 仮想の廃都が、足元から消えていく。

 真っ白な空間に、≪SIMULATION COMPLETE≫の文字が浮かび上がった。

 世界の命運を背負うための本当の戦いがすぐそこに迫っていることを、少年はまだ知らない。

 ただ、胸の奥で何かが熱く燃え上がっていた。

 それが「英雄」という名の炎であることを、彼はまだ知らなかった。

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