第11話 つばさの入院

 結局、翌日の日曜日までつばさは検査入院となった。

 ウィングスーツ自体、耐衝撃性を持っている。そして、その安全性こそが危険なファイトレースを成立させているのだ。しかし、それでも完全ではない。千尋はそれをよく知っているため、大丈夫だと言い張るつばさを強引に入院させた。診断結果は打撲なのだったが、千尋は強引にCT検査までさせたのだった。


「チーちゃん、大げさだよ。せっかくの日曜日なんだし、さっさと退院させてよ」

「だめだよ。ちゃんと検査結果が出ないと退院させません」


 そう、強行に言い張る千尋に負けて、つばさは仕方なく病院のベッドで握力を鍛えるべくハンドグリップを握っていた。病院で出来るトレーニングがそれくらいしかないからだ。

 その横で、千尋は本を読んでいる。つばさはしばらくそうしていたのだが、握力トレーニングに飽きたのか、つまらなそうにタブレットを操作した。と、あの日、モニカの伝説のレースの出ていたファイアマークのウィングスーツに身を包んだトム・サラマンダーが、春の重賞レースを制したニュースが流れていた。

 あの伝説のレースまでは、若さと才能にまかせたレース運びをしていたのだが、その後は事前研究を重ね、安定感が生まれたというのが、あらゆる解説者の共通の意見だった。

 そのほかにも同じくあのレースに出ていた登り龍のドラゴン・伊吹が、トムとは別のレースで優勝したそうだ。しかし、タブレットをどんなにスクロールしても、女性レーサーの活躍は聞こえていなかった。

 女性のプロレーサーは活躍できない……かぁ。

 ふと、高田部長の言葉が、つばさの脳裏に蘇る。

 そして、それが事実であることを、いくらスクロールしても女性レーサーの活躍を伝えてくれないタブレットが教えてくれていた。

 それでも、モニカは別格だとつばさは思う。そう、思いたかった。身体の小さい女性だって、男達に負けないレースが出来るとつばさは証明したかった。

 つばさがプロレーサーになって活躍する。それはつばさの夢であり、つばさにその夢を見せてくれたモニカに対する恩返しだと思っている。


「ふぅ」


 小さく息を吐き、タブレットをスリープモードにすると、つばさは病院の窓から青い空に流れる白い雲を眺める。強めの春の風が木の葉を揺らしていた。

 上手く捕まえれば、いい浮力が得られそうだな。フライト日和なのに、なんで病院のベッドなんかにいるんだろうか。

 つばさがぼんやりと考えていると、ドアがノックされた。


「はい。どうぞ」


 つばさの声にドアが開かれると、桜子先生と高田部長が入って来た。

 桜子先生は椅子に腰掛けながら、声をかける。


「調子はどうだ? 空野」

「元気ですよ。今すぐひとっ飛びできるくらい」

「そうか、それは良かった。入学早々、長期入院はお前も嫌だろう」


 そう言って、桜子先生はお見舞いの品が入った袋をつばさに渡す。


「そうですね。身体がなまっちゃいますからね。先生、わざわざお見舞いに来てくれたのですか?」

「当たり前だろう。生徒が入院したらお見舞いにくらい来るだろう」


 つばさは桜子先生とそんなやりとりをしながら、お見舞いの袋を開けると、中から瓶に入った黄色や緑のプリンが出てきた。

 そのプリンを見て、千尋は喜びの声を上げながらお茶を入れ始めた。


「先生。それって玉木屋さんのプリンじゃないですか?」

「おお、飛鳥は玉木屋を知っているのか?」

「ネットでしか見たことがなかったんですが、彩珠学園に入学が決まってから、近くのスイーツ店はチェックしていたんです」


 千尋は、洋菓子、和菓子共にいける甘党で、つばさは千尋と喧嘩したときはお小遣いをはたいて、仲直りスイーツを貢いだものだった。その千尋が声を弾ませているということは、よほど有名な店なのだろう。つばさも千尋につられてワクワクし始めた。


「あの、先生」


 有名店のプリンで盛り上がりを見せる女子達に水を差すように、おそるおそる高田部長が桜子先生に声をかけた。


「ああ、すまん、すまん。空野、高田から話があるらしいぞ」


 そう言えば勝負の結果の話が途中だった。まあ、ハンググライダー部の乗っ取りはともかく、桜子先生の顧問兼任は最低限のラインだ。そのために無茶な条件での勝負を受けたのだから。まあ、ふっかけたのはつばさでなく千尋なのだが。

 つばさはそんな事を思い出しながら、高田部長からどんな言い訳が飛び出すのか構えていると、高田部長はその頭を深々と下げた。


「ありがとう、空野。優香子を助けてくれて、心から感謝する」

「へ!?」


 勝負は無効だとか、桜子先生は顧問に渡せないとかと言った内容の話だと、構えていたつばさは混乱して、すっとんきょうな声を上げた。

 しかし、部員を助けたのだ、部長がまっさきに礼を言ってもなにも不思議はない、とつばさは思い直した。ただ、ひとつだけ違和感が気になって思わず口走った。


「優香子?」


 いくら部長でも、ただの部員を呼び捨てにするのはさすがにおかしい。


「つーちゃんが助けた子は、高田部長の妹さんなのよ」

「ああ、そういうこと」


 つばさは千尋の言葉に納得した。

 部長として部員を助けたことと同時に、兄として妹を助けたことに対するお礼を高田部長はつばさにしたいのだろう。

 そんな高田部長の誠心誠意を込めたお礼に、つばさは答える。


「ボクたちは当たり前の事をしただけですよ。それより妹さんに怪我はなかったですか?」

「おかげで優香子は無事だ。本当にありがとう。ところで、勝負の事だが」


 勝負の話しを自ら切り出した高田部長の顔は険しくなる。太いまゆげをへの字に曲げて、その彫りの深い瞳はまっすぐに二人を見た。

 ハンググライダー部を預かり、部員を導く部長として高田部長は声を出した。


「ハンググライダー部を、フライングレース部にするのは勘弁してくれ」


 高田部長は大きな身体を小さくしてその場に土下座をすると、頭を下げたまま言葉を続ける。

 絞り出すように、申し訳ないように、しかし、自分の意志を伝えようと必死な声だった。


「俺としては、優香子を助けてくれたお前達に協力はしたい。しかし、部員達のこれまでの頑張りを無駄にする事だけは、したくないんだ。代わりと言っては何だが、俺はハンググライダー部を辞めて、フライングレース部の雑用をさせて貰う。練習場に関しても、ハンググライダー部の練習場所を使用して貰ってかまわない。それと後藤先生の顧問兼任は先生が了承してくれれば、俺達ハンググライダー部はそれに従う。それで勘弁して貰えないだろうか?」


 頭を床にこすりつけるように頭を下げて懇願する高田部長を見て、つばさは嫌な予感がする。千尋のスイッチが入ってしまうのではないかと。つばさは恐る恐る千尋を見ると、その大きな丸眼鏡の奥は小悪魔のような顔になっていた。


「練習場が使えるのは当然でしょう。それと後藤先生の顧問兼任の問題は解決済みです」

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