第22話 戦旗 ~それは誰のための舞台か~
俺とクレア、そしてセレナ王女。たった三人で始めた旅は、エランドにフィリス、ギャラント伯と身分を偽る必要のなくなった騎士オーウェンの七人で卓を囲むまでになっていた。合議のメンバーもだいぶ増えた。
王弟が代王となるという衝撃の急報を受け、各々が次の手を述べる。エランドは金で引き込める貴族がいると言い、ギャラント伯は戦場を共にした信に値する者がいると言う。フィリスは秘密裡に魔法協会に便宜を図る貴族の所在を匂わせた。
しかし、その円卓会議を取り仕切ったのは、王女自身だった。幾度となく舞台に立ち、観客たちと向き合ってきた彼女は、言葉を尽くし、耳を傾け、自身の主張を述べ、最終的に意見はまとまった。
――王都との間に横たわるファニエス辺境伯の領地を突破して最短距離で国王の下へ。それが結論だった。その間にもギャラント伯の決起は王国を駆け巡り、何人かの貴族は水面下での協力を匂わせてきていた。
円卓会議で結論を得た日の夜、俺は王女とともに交易商人ギルドのバルコニーで夜風に当たりながら夜空を見上げていた。
「ブラックランド公、あの日の言葉の意味、教えて頂けませんか?」
この言葉が出ることを、俺は恐れていた。俺がウィリアムであってウィリアムではない、この世界の人間ではないのだと知られることが、いつしか恐れとなっていた。体はこの世界の者でも、魂も人格も違う。それを知られることで、何かを失うことが怖かった。
無言で首を振る。いまはまだ、打ち明けることはできない。
「言えませんか……。わかりました……、無理にとは申しません」
王女の顔に影が射す。明らかに失望を隠せないその瞳を、俺は忘れることなどできるはずもない。俺が見出し、表舞台に引っ張り出した。そのことに何一つ後悔はないし、王都を出て以来ガラス細工の上に裸足で立つような心境で過ごしてきた王女のことを思えば、いっそ明かしてしまっても良いのではないかとすら思う。しかし、俺は言えなかった。
王女は邸内に戻り、夜は明けていく。一人見上げる空は、舞台を彩る絵画の如く星が散りばめられていた。
◇◆◇
スコイアブルクを立った俺たちは、いくつかの小競り合いこそあったものの、ギャラント伯の手勢の力もあり、おおむね順調に進んでいった。
王女は戦場にあっても戦陣に立ち続け、ギャラント伯や騎士オーウェンの活躍は目を見張るものがあった。フィリスの魔法もスコイアブルクで潤沢に確保した魔力結晶もあり、偽装に攪乱に大いにその力を発揮した。
「もうすぐファニエス辺境伯の領地ですね」
彼女の言葉に俺たちも気を引き締める。巡回劇団をスコイアブルクに残し、俺はもっぱら戦場での演出に掛りきりだった。特にフィリスの魔法をどう活かすかを考えるのは俺の独壇場。それこそ舞台演出にそのまま転用したいほどの、素晴らしい効果を上げてきた。
「ブラックランド公、ここを乗り切れば王都への道が拓けます。しかし相手は名も力もある辺境伯。信仰にも篤いお方。」
ファニエス辺境伯に教会の後ろ盾があってもおかしくはない。相手にする兵の数もこれまでとは比べ物にならないだろう。
「私に考えがあります。お任せください」
俺の脚本と演出通りに進めば、それは十分勝算がある作戦だった。
◇◆◇
「王女殿下、お下がりを!」
オーウェンが叫ぶ。いまや俺たちは劣勢に立たされていた。フィリスとともに一部の兵を割き、大兵力が反対側から迫っているかのように陽動して注意を引き、手薄になった辺境伯の中枢を一気に落とす。
俺の脚本は、この大事な場面で筋書き通りにはならなかった。以前幻影魔法で勝ち取った無血の勝利は、相手に同じ轍を踏まないだけの判断材料を与えてしまったのかもしれない。
騎士オーウェンを中心にギャラント伯の手勢が精一杯防いではいるものの、いまや辺境伯の全兵士たちを相手にしているといっても良い状況に追い込まれていた。
「作戦通りとは、なかなかいかないものですな」
ギャラント伯は平静を装った顔をしてはいるものの、全体を見れば明らかに押されている。喚声と怒声が戦場を覆い、騎馬が駆けまわり土埃が舞い上がる。単純な力比べではいずれ押し切られる。
「百戦百勝とはいきますまい」
伯爵の言は尤もだが、仮に退くとしても、その判断は一歩間違えば全面的な壊走に繋がる。それに、無理を押して最短距離で王都を目指すのは王女の強い希望なのだ。
「王女殿下だけでも、後ろへ下がって頂けませんと……、ここは危ない」
王女はここまで自身が戦陣の、それもできるだけ前線に立つことでここまで兵たちを鼓舞してきた。この強行突破を決めたことの責任を果たそうと、矢が飛び剣が舞う戦場を厭わずに。
「叔父上のように後ろで待ち兵たちを戦わせるなど、私は望みません」
王女はこの戦に先立ち、そう宣言していた。王弟とは違う、下の者とも笑い合い、助け合っていくのだという決意。それが俺が王女としての振る舞いを求め続けた結果なのか、王女自身がその立場を考えた結果なのか、それはわからない。ただ一つ、この場にあって、その考えは彼女の身を危うくする、それだけが確かだった。
「私は皆を置いてなどいけません!」
俺もギャラント伯も、王女を下がらせようと進言を繰り返すが、王女は頷かない。頑なにそうさせる原因はただ一つ。
王弟の代王としての足場が固まってしまえば、国王の廃位=弑逆は時間の問題。そうなれば王女の王位継承第一位としての地位も失われる。「急げばまだ父上をお救いできる」という想いが、王女をして一歩も退かない姿勢を貫かせていた。
「ここで倒れれば、国王陛下の下へは戻れません!」
この言葉は我ながら卑怯な脅迫だ。王女が戦場に立ち続けるのは国王に会いたい一心。俺はその想いを利用して、全軍覆滅という事態の回避を図ろうとしていた。敵味方入り乱れた喚声は戦場の中央にいる俺たちにはっきり聞こえるほど近づいていた。
「ブラックランド公! 貴公は私の、いったい何なのです!?」
ああ、そうだ。俺は王女の何なのだ? 私設顧問の役はとっくの昔に失っている。公爵家として王家の遠縁だといっても、それだけのこと。王都から救出した功労者ではあっても、それは王女が望んだ形とは程遠い。返す言葉もない。
「私は貴公にとって、王女という役を演じる女なのですか? それとも、王弟への対抗馬として担いだ印なのですか?」
駄目だ。いまこの危地にあって、こんなことを言い合っている場合ではない。そんなことは、おそらく王女自身も理解しているはずだ。それでもここまで言わせるまでに、王女を追い込んでしまったのは、俺なのか?
巡回劇団という体裁を取って、俺は王女を主演に押し上げ、この世界で現実を相手に最高の舞台――無力な王女が光を取り戻すという脚本――を展開することで、自分の演劇監督としての集大成を作る。それは王女を守ることにもなり、おそらくこの国のためにもなる。
その結果が、これなのか? これは誰の舞台なんだ?
「右翼が持たんな……、このままでは囲まれますぞ!」
右翼は既に突破されつつあった。前線は大きく乱れ、ファニエス辺境伯の手勢は最後の薄い陣を破らんとしていた。
ギャラント伯は手練れの将でもある。引き際が見極められる人物こそ、優れた将。その男が、ここが下がる時だと暗に告げる。決して負けるとも破れるとも言わないあたり、歴戦の将の風格があった。しかし感心している時間は無い。
「王女殿下、私は……」
引っ張ってでもこの場から連れ出すと言いかけた俺の前に、クレアがピンク髪を揺らして立った。眼鏡の奥の蒼い瞳は、今まで見たどの目よりも美しく、儚い輝きを帯びていた。
「王女殿下、ご主人様。お二人に……、お伝えすることがあります」
この危急の秋に、……話? クレアの握りしめた拳が震えていた。
俺は混乱する頭を必死に落ち着けようと意識を集中する。執事兼メイドのクレアがその役割以上の働きを見せたのは一度や二度ではない。そして、瞬時の判断や咄嗟の動きに一切の無駄がないことを、俺は知っている。
だからわからない。たとえ彼女が常人では推し量れないほどの力の持ち主だとしても、大勢の兵士たちがぶつかり合い、乱戦の様相を呈している、しかもいま負けつつある猶予のない戦場で、話し合っている時間などありはしない。
「ギャラント伯、あと少しで構いません。もう少しだけ持たせてください」
クレアの決意の滲んだ言葉に、伯爵は黙って頷く。オーウェンもそれに従い、崩れかけた右翼の支援へと馬を駆る。
「ありがとうございます伯爵。お心遣い、胸に刻みます」
ギャラント伯に一礼したクレアは、俺たちに向かって話を始める。
――それは俺たちにとって、極めて重要な話。
==セレナの日記==
この瞬間ほど、私を驚かせたことはありませんでした。
おそらく、今後もこれほどのことはないでしょう。
私は、自分の言葉の持つ意味をこれほど見つめたことは、ありませんでした。
――次幕、告白。
クレア。執事兼メイド。彼女が背負ってきたものが、いま明かされる。
―――――――――――
【ウィリアムの幕間メモ】
舞台も脚本も、俺の描いた通りに進まない。
そんなときは、いつだって新たな俳優が思わず生まれる。
辺境伯領での舞台も大詰め。ぜひ栞(=フォロー)を挟んでおこう。
毎夜20:05、舞台の幕は上がる。
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