第7話 成功と代償 ~王都の門は閉じる~
セレナ王女の言葉に、敵の兵士たちは沈黙する。
「今一度、フロリア王国第一王女として、私は皆さんに問います。――この戦さは、誰のためのものなのですか?」
彼女の声が響く。格調高いトーンは、演技だ。普段の王女はもう少し幼い。貴族に向けてではなく、その兵士に向けた言葉。平易な用語にシンプルな問い。それを王女としての振る舞いで呼びかける。
すべてはここに来るまでの道中で俺の書いた筋書き。戦場を舞台に通用する俺の力があるとすれば、それは劇場に見立て、主役に注目を集めること。
「私は、皆さんのための政治をすると、誓いました。王のためでも貴族のためでもない、……皆さんのためです。まだまだ私は未熟です。力もありません。ですが、皆さんが剣を向ける相手は、本当に私なのでしょうか?」
丘の向こうから射す陽光が、王女を引き立てる。
素直で無垢な王女。兵士たちにはそう映る。実直な言葉で良い。千や万の観衆相手には通用しないそれでも、目の前にいる十人やそこらには通じるはずだ。いや、たった一人でもいい。
「ホーウッド男爵は、いくらかのお金を約束したのでしょう。それは魅力的なものかもしれません。今日明日の皆さんの食事は、ちょっと豪華になるかもしれません」
ここで一呼吸入れる。この次だ。ここからのセリフを、王女は決める必要がある。
「男爵は大層ケチな御仁だとか。きっと集めた兵士たちも、無理やり連れてこられただけで、そこに忠誠などありはしませんよ」
俺は、クレアのその言葉を思い出していた。それが事実なら、この演説は効果があるはずだ。
「食事が少しだけ豪華になる、それは大切なことです。しかし、そのために命を粗末にするほど、そこに価値があるのでしょうか?」
相手の生活に思いを馳せ、同時に生き方を問う。男爵の人となりを考えれば、これで十分だろう。
「これは王と貴族、その諍いが生んだ争いです。どちらが勝とうと、皆さんにはどうでもよいことでしょう。違いますか?」
ホーウッド男爵が居館の前に築いた粗雑な杭を組み合わせた防御陣の奥で、兵士たちが騒めき始める。
辛抱強く王女は待つ。その瞳が見つめる先で、ついに一人の兵士が手にした武器を放り出したのが、俺にも見えた。
「おいらには待っている女房も子どももいる。金にもならない他人の喧嘩で、死にたくなんかない」
戦場に駆り出されたことへの不満は、それを口にしたたった一人をきっかけに、波のように広がっていく。
「おい貴様。この私、ホーウッドの命に、逆らうのか!」
男爵は怒りに満ちた顔で背を向けて去っていく兵士に罵声を浴びせる。その声に、武器を捨てた男は振り返りもしない。
「弓兵、あの裏切り者を射てしまえ!」
いよいよ怒髪天を衝いた男爵は、激情に任せて大声で、威圧するように命じる。その弓兵もまた、みすぼらしい服装に栄養状態の悪そうな顔が並んでいた。
「あいつは、おらの村の真面目な木こりだ。おらの仲間だ。射るなんて、無体な」
弓兵が男爵の命を拒む。兵士たちが騒然とし始め、男爵はすっかり取り乱して側近だろう身なりの整った兵士にこう宣言した。
「裏切り者など我が領地には要らん。ここから立ち去った者は、村ごと焼き払ってしまえ!」
この言葉がすべてを決めた。いまや自分たちの村ごと男爵の暴虐に晒される危険が明らかになった兵士たちは、一人また一人とその剣や鉾、槍や弓を男爵とその側近たちへと向け、騒ぎ始める。
「男爵こそ反乱者じゃないか。おいらたちの村を焼くなら、焼かれる前に男爵を吊るしてしまえ」
兵士たちが怒りに震え、口々に男爵を罵り始め、その勢いは奔流となってその場を圧していく。土が踏み鳴らされ、男爵たちをりじりと包囲し始める。この反乱が終わった瞬間だった。
「王女殿下。このままではあちらの兵士たちはホーウッド男爵たちと死闘を始めてしまいます。もう十分です。この場を沈め、事を納めましょう」
王女も頷く。そしてこのまま大きな戦にならずに済みそうなことに、安堵の色を浮かべていた。戦場での即興劇は、無事成功した。これ以上、王女に流血沙汰を見せるのは良くないだろう。俺もそんなものは見たくもない。
◇◆◇
俺と王女、それにクレアと五十人ばかりの近衛の兵士たちは、男爵の居館に向けて歩を進め、怒れる兵士たちを宥め、慰め、沈めていった。
「至らぬ私ですが、心はいつも皆さんとともにあります」
彼らは王女の言葉に一つ一つ頷きながら、だいぶ時間はかかったものの、皆家へと帰って行った。
僅かな近臣以外の兵士が揃って敵になった状況に、ホーウッド男爵はいまや王女の足元へ逃げ込み、助命を懇願するばかりの哀れな男へとなり下がる。この反乱が現国王への不満を示すものとして作為された、王弟の仕組んだ恣意的なものであることも、あっさりと白状した。
「ブラックランド公、すっかりあなたの見立て通りになりました。本当にこれだけのことを、見通していたのですか?」
俺は首を横に振る。こうも鮮やかに決まったのは、彼女の言葉がしっかりと相手に届き、それが想像以上の効果を発揮したからだ。
「王女殿下。これは、殿下の言葉に力があったからですよ」
今度はセレナ王女が首を横に振る。俺は王女の手を取って、改めて「これは、王女殿下が為し遂げたことなのですよ」と、しっかりと言葉にした。王女の瞳は嬉しそうに俺を見つめていた。小さな手は暖かく、慈しみが伝わってきた。
王女は、晴れやかな顔で近衛の兵士たちを一人一人労り、その声に近衛の兵士たちもまた笑みを零し、敬礼で応じた。
「これで叔父様にも少しは認めてもらえるでしょうか?」
それこそが問題だ。王女の演説が発端ではなく、ただの口実に過ぎないのであれば、事はこれだけで終わるはずがない。しかし、王女の嬉しそうな顔を見れば、水を差したくはなかった。俺の思い過ごしであることを祈りながら帰途につく。
王都までの五日。その間だけは、この成功の余韻に浸るとしよう。そのくらいのことを願ったところで、罰は当たるまい。
◇◆◇
王都に帰還した俺たちは、冷や水を浴びせるような出迎えを受けた。
「ブラックランド公とその郎党は、この王城の門を潜ることはまかりならん」
衛兵が門を堅く閉ざし、真剣な顔で俺たちを見て早口に捲し立てる。二人の兵士が交差させた槍で扉の前にさらに障害を作る。
「なぜです? 勅命を受けて、反乱したホーウッド男爵の元へ行き、反乱を鎮めて帰ってきたのですよ? いったい誰がそんな命令を出したのです?」
答えを渋る衛兵。詰め寄る王女。押し問答が繰り返される王城の門に、騒ぎを聞きつけた他の衛兵も集まってくる。
王都を、季節外れの一迅の冷たい風が撫でていった。
その時――。
「ブラックランド公ウィリアム。貴様はただの王女の私設顧問に過ぎない。公職ではないのだから、これ以上は控えて頂こう」
城門の上で、男が俺たちを見下ろしていた。その声に王女はハッと息を呑む。
その手にある錫杖で城壁を強く打ち付けると、その音に衛兵たちの背筋がピンと伸び、その表情は固まる。恐ろしい存在を前にしてただ従うだけの、感情を押し殺した顔。
「あれが、王弟バートラム殿下です」
クレアが耳打ちする。実際にこの目にするのは初めてだった。
あれが噂の王弟――、いかにも老獪で酷薄な、抜け目のない男に見える。
彼にとって、無力なまま留めておいた王女が政治的に力を持つことは、目障りでしかない。簒奪するつもりならなおさらだ。
「叔父上……、王弟殿下! ブラックランド公は反乱鎮圧の功労者なのですよ!」
王女の叫びが空に木霊する。しかしそれは強調すればするだけ、逆効果。
「そもそもセレナをろくな護衛もつけずに民衆の前に立たせ、いままた戦場へ引っ張り回した。功労者どころか王位継承者を軽んじているからであろう」
王弟バートラムとしては俺たちを引き剥がす口実はなんでも良かったはずだ。王女の政治力を再び無力化できれば良いのだから。それにしても、言っていることは見方を変えればそう見えるという話。これ以上抗弁しても所詮水掛け論に過ぎない。
「王女殿下。私はいったん身を引くことに致します。大丈夫、殿下はもう無力ではありません。その言葉は、人を動かす武器です。そのことを、お忘れなきよう」
俺は王女に深く礼をして別れを告げ、クレアを伴って王都を後にする。
俺のことを名残り惜しそうに眺める王女の目には、うっすらと切ない涙が浮かんでいた。
「私の……、ただ一人私の手を取ってくれた方なのです!」
王女が切ない叫びが響く。その小さな肩は震え、警護名目で近寄った兵士たちをしきりに追い払っていたのは痛ましく、見ていられなかった。
王都での暗転劇は、しかしまだ終わりではなかった。
――次幕、襲撃と決意。
待ち受ける血路を、クレアの力が切り拓く。
―――――――――――
【ウィリアムの幕間メモ】
王女と王弟。二人の関係の亀裂が大きくなる。
この展開の先が気になるなら、ぜひ声援(=コメント)をかけてほしい。
毎夜20:05、舞台の幕は上がる。
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